第1回有識者コラム

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今年の情報通信白書によせて植田一博(東京大学大学院 総合文化研究科准教授)

植田一博

植田一博東京大学大学院
総合文化研究科准教授

筆者は情報学の研究者でありながらも、認知科学・知能情報学を専門とする立場上、今年の情報通信白書では、普段はなかなか接することのない情報通信に関する多くの社会統計データを拝見することができ、日本の情報通信に関して改めて考える機会が得られました。

日本の情報通信の現状を分析するには、世界の情報通信における日本の立ち位置を統計データによって明らかにすることがもっとも効果的な方法の一つであり、「情報通信白書」の第2章ではそのような分析が丁寧に展開されています。第2章での分析結果をまとめると、「日本の情報通信の基盤は世界でも最高水準だが、その利活用は他の先進諸国に比べて進んでいるとは言いにくく、かつ世界的にも安全な情報通信基盤が提供されているにもかかわらず、情報通信技術・サービスの利用への国民の不安は高い」ということになります。この結果から、日本の情報通信を取り巻く環境の問題点が浮かび上がってきてきます(「情報通信白書」の第3章でも、その議論は部分的に展開されています)。第一に、世界的にも安全な情報通信基盤を利用しているにもかかわらず情報通信技術・サービスの利用への国民の不安が高いという結果は、日本の情報通信基盤は世界的に見ても安全だという告知(プレゼンテーション)の不足から生じているものと思われます。実際、日本の高等教育での情報関連の授業において、日本の情報通信の現状を世界との比較において論じ、日本の情報通信基盤のメリット・デメリットを教えるあるいは議論する授業は、筆者のまわりでもほとんど実践されていません。つまり、現在の情報リテラシー教育に問題があるということであり、我々大学の人間が今後改善すべき点だと考えます。しかしそれ以上に、このような結果に影響を与えているのは、中谷内一也著『リスクのモノサシ』(NHKブックス)でも触れられているように、情報技術がもつリスクに対するマスコミの過剰な報道の仕方であるように個人的には思えてなりません(つまり、国民は情報通信に関する正しい知識をマスコミ報道から得られていない可能性があるということです)。インターネットをはじめとする情報通信技術・サービスからの個人情報の漏洩がしばしば報道されますが、その原因の多くは情報通信に携わる「人」にあるのであって、「技術やサービス」そのものにあるのではないにもかかわらず、情報通信そのものが悪者であるかのような論調をしばしば目にします。マスコミ報道からどこに本当の問題があるのかを見極めるための、真の意味での「情報リテラシー」が国民に求められているとともに、今後のマスコミの報道のあり方を、総務省とともに国民は注視していく必要があるように思います。

ご存知の通り、最近の調査によると、ブログでの利用言語の第一位は英語ではなく日本語です()。英語を母語・公用語・準公用語とする人口が21億人以上にいると言われるのに対して、日本語を母語にする人口が1億人強(日本語はローカルな言語なので、母語ではないのに日本語を公用語・準公用語にする人はほとんどいないと思われます)であることを考えると、この調査結果は注目に値します。日本人はコミュニケーションのために情報通信技術・サービスを活用していると言えますが、民間レベルでの情報発信が盛んだとも言えるでしょう。これに対して、「情報通信白書」でも述べられているように、公的な機関が発信する情報の利活用が日本では高くないために、第2章のような分析結果が得られたとも考えられます。公的な情報の利活用は高くないが民間レベルの情報の利活用は高いということは、例えばweb上の闘病日記の利活用と病院等の公的機関が発信する情報の利活用とを対比させて考えると、日本の情報通信の現状をもっともよく現わしている現象のように感じられます。「情報通信白書」の第3章でも取り上げられているように、北欧諸国では公的な情報の利活用が進んでいることを考えると、日本でも公的な情報の利活用を促進するための集中的な投資を行い、関係機関(大学を含めて)が一層の努力をすることが必要となるでしょう。

情報通信の話から少し逸れてしまいますが、この民間レベルの情報が活用されているという現象は、日本の産業のさまざまなところで見られるように思います。筆者は民間企業と共同で日本のイノベーションの構造を分析していますが、その中で、ユーザの製品使用に端を発したイノベーション(demand-side innovation)が存在することを突き止めつつあります。これは、ユーザが既存の製品を、その製品の設計開発者が想定もしていなかったような使い方で使う(例えば、携帯電話を夜に懐中電灯替わりに使う)ことがあり、そのような「想定外の使い方」が次の商品開発の重要なヒントになる、さらに言えば、その後の製品開発の方向性を変えてしまうことがある、ということを指しています。具体的には、情報通信メディアの一種である携帯電話のイノベーションのほとんどはこれに当たると言えるでしょう。例えば、携帯電話の前に存在したポケベルに数字で一方向のメッセージ通信ができる機能が備わった時に、渋谷のチーマーと呼ばれる若者たちが、そのメッセージ通信機能と語呂合わせを使って双方向のコミュニケーションを開始しました。そのことが後の携帯電話にメール機能が掲載されるきっかけになったと考えられています。また、当時のメール機能を使って「おはよう」などのショートメッセージがやり取りされることを設計開発者は想定していましたが(現在流行のケータイ小説などは、想定外中の想定外の使い方ということになります)、あるとき、ユーザが目の前の風景(箱根の紅葉)の美しさを長文でメールするという状況に設計開発者が遭遇し、長文による感動共有というコミュニケーションスタイルが存在することに気づきました。そしてこのことが、後の携帯電話にカメラを掲載するきっかけになりました(カメラがあれば、風景の美しさを長文で伝える必要はなく、画像を送るだけで済みます)。このように、特殊な専門知識をもっているわけではない民間人(上記の場合には一般ユーザ)が創り出す情報(インターネットの場合にはそれが発信される)が日本の社会や産業(上記の場合には製品開発)を支えている事例は数多くあり、これが日本の強みなのではないかとも考えています。

多くのマスコミ報道において日本の携帯電話産業は世界の中のガラパゴスだと揶揄されていますが、ガラパゴスにはそれなりの良さがあるからこそ、日本の携帯電話は豊かなコミュニケーションツールとして独自の発展をとげてきたのでしょう(さらに言えば、日本の携帯電話が世界標準から外れているのは規格だけだということにも注意すべきです)。最近のマスコミ報道では日本の元気を奪うような報道も多いため、あえて上述のような日本を元気づける話をさせていただきましたが、このような日本の情報通信の独自性も今後の「情報通信白書」の中では積極的に評価していただきたいと個人的には考えています。

最後に、このようなことを考える機会を与えて下さった総務省の関係者の皆様に感謝申し上げます。


経歴

昭和63年
東京大学・教養学部・基礎科学科第二卒業
平成5年
東京大学・大学院総合文化研究科・広域科学専攻・博士課程修了、博士(学術)
平成6年度~11年度
東京大学・大学院総合文化研究科・広域科学専攻・助手
平成11年度~19年度
東京大学・大学院総合文化研究科・広域科学専攻・助教授
平成12年度~16年度
東京大学・大学院情報学環に流動教官(助教授)として出向
平成19年度~
現在 東京大学・大学院総合文化研究科・広域科学専攻・准教授

著書

主要論文

受賞歴

1995年度電気学会研究会発表賞、日本認知科学会2004年論文賞、HAI-2007 Outstanding Research Award、日本認知科学会2007年論文賞、日本教育心理学会2007年優秀論文賞、第7回(2008年)ドコモ・モバイル・サイエンス賞・奨励賞(社会科学部門)、Top Ten Finalist at the 5th Best Visual Illusion of the Year Contest 2009 held by Neural Correlate Society、日本デザイン学会第56回春季研究発表大会(2009年)・グッドプレゼンテーション賞、等を受賞
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秋山美紀 秋山美紀慶應義塾大学
総合政策学部専任講師
情報通信によるエンパワーメント-医療の場合
佐々木俊尚 佐々木俊尚フリージャーナリスト
 
日本のITは本当に遅れているのか
篠﨑彰彦 篠﨑彰彦九州大学大学院
経済学研究院教授
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