平成3年版 通信白書

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第1章 平成2年情報通信の現況

(3)国際情勢の変化への対応等

 ア 東欧諸国の電気通信の現状
 2年10月3日の東西ドイツ統一に象徴される、東西間の急激な変化は続いており、東欧各国は民主化・自由化による経済の再建や市場経済の導入に努めている。しかし、これまでの社会忠義体制下で電気通信への投資は不十分であり、設備の老朽化、電話の積滞等市場経済を支えるべき情報通信基盤は極めて脆弱で、その整備・強化は緊急かつ重要な課題となっている。
 このような状況で、東欧諸国は、電気通信網の早急な整備のため、事業体を国営から公社、さらには民営とすること、また、ネットワークの一部に合弁等による外資導入を認めることを検討している。
 我が国は、このような東欧諸国の努力に積極的に協力していくことが期待されており、特に、事業体の民営化や電気通信市場への競争導入の経験を生かし、政策面、経営面等で、東欧諸国の電気通信市場の構造転換に大いに貢献しうると考えられる。
 イ 共産圏との国際通信回線の開設等
(ア)北朝鮮との直通衛星回線の開設
 1990年12月11日には北朝鮮との直通衛星回線がKDDにより開設され、従来は短波通信により行われていた国際電話サービス(指名通話のみ)等に加え、国際電話(番号通話)、国際自動テレックス、国際専用回線等のサービスが利用できることとなった。
(イ)ソ連との国際通信回線の増設
 KDDとソ連邦電省は、1991年1月からモスクワにおいて会合を開催し、[1]国際電話回線の増設及び新設(3年末までに、東京〜モスクワ間等において、現在の27回線から65回線に増設するほか、レニングラードとの間に1回線を新設し、合計66回線により運用を予定する。)、[2]新サービスの取扱開始(1991年末までに、国際高速デジタル専用回線(ハイ・ビットリンク)サービス等を開始する。)等について合意した。
 ウ 湾岸危機対策の実施
 1990年8月2日に勃発した湾岸危機は、その後戦争状態となり、1991年2月28日午前0時の戦闘停止により収束したが、開戦前に解放されたとは言え、多数の民間人が人質に取られるという状況であった。
 郵政省では、この非常時において多数の中東地域の在留邦人に対する迅速かつ正確な情報の提供のため、我が国と湾岸諸国との間の国際通信等の確保に努めた。この他、[1]湾岸危機に関する我が国の政府見解、外交活動並びに中東支援策、[2]事態の進展及び退避方法等、邦人保護のための重要情報といった事項について湾岸地域向けに放送を行うことをNHKに対して要請した。これに伴いNHKでは、国際放送の強化に努め、1990年8月3日以降は従来のガボン中継局から、1991年1月1日からは新設のスリ・ランカ中継局からの放送も合わせ、1日延べ23.5時間と通常の3倍強の放送を実施するとと石に、家族からのメッセージ及び中東関連ニュースを冒頭に放送するなどの対応を行った。
 この他郵政省では、湾岸諸国の難民救済事業の費用に充てることを目的とした日本赤十字社あての寄附金の郵便振替料金を免除し、さらに、資金面での協力策として、1990年用及び1991年用寄附金付年賀葉書の寄附金を、日本赤十字社及び(財)日本ユニセフ協会あてに配分(総額約2億円)するなど、多方面にわたる対応を行った。
 

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