第1部 特集 ICTの利活用による持続的な成長の実現
第1章 ICTによる地域の活性化と絆の再生

みんなでつくる情報通信白書コンテスト2010 一般の部 優秀賞受賞コラム


ケータイが深めた家族の絆

執筆 中塚 計佐男(なかつか けさお)さん(会社員・東京都大田区)
中塚 計佐男(なかつか けさお)さん

コメント:思い掛けない癌の告知を受け、胃を全摘出する。一ヶ月を超える術後の入院生活。癌の転移を抱えての不安な私の心の支えは、妻との日に三度のケータイでの会話だった。その会話を通してありがとうの感謝の言葉の大切さだった。

 昨年の夏、私の身体は激変した。会社の健康診断の定期検査で癌が見つかり、胃を全部摘出したからだ。
 幸い生命を落とさずに済んだが、転移の恐れはステージ3の段階でその後の予断を許さない。
 一ヶ月を超える入院生活を送り、退院後は週一度の抗癌剤の点滴治療を受け、あらゆる副作用防止の為に飲み薬のカプセルやら下痢や嘔吐の防止剤を始め、皮膚の塗布剤まで使う身になってしまった。
 それまでの私は、健康に留意するという生活とはまったく無縁だった。身体には人並み以上の自信があった。
 日に一箱以上のタバコを吸い、毎晩のように酒を飲み、仕事で四日連続の徹夜というハードな激務にもへこたれなかった。
 しかも食事は脂っこい肉料理や揚げ物中心で、野菜不足は明らか。仕事中心で食事の時間を惜しみ、ジャンクフードを多く食べてきた。
 ところが手術後の想像を絶する食事規制。しかも一度にごく少量の食事を日に六回に分けて食べなければならない。何しろ胃がないのだ。食道と大腸が直結した身体に、多くの量の食物を消化する力はもはや望めないのだ。この先、生きていく気力が萎える。
 病院では当然、決められた所定の場所でしかケータイの使用が許されない。病室のベッドから手術後の傷跡の痛みをこらえ、歯を食いしばって起き上がり、点滴のスタンドをつかんでふらつく足取りで長い廊下の突き当たりの談話室まで行って、朝昼晩の三回、妻と決めた時間に連絡をする。話の中身は他愛のないその日の出来事や、妻が病院に来る時に持ってきて欲しい物を伝えたりの会話だ。
 勤続三十年近い勤めを、彼女は私の介護に専念する為に辞した。
 それまで入院する前には、妻宛のケータイといえば、「食事はいらない」とか「仕事で遅くなるから、先に寝ていてくれ」や、「酒の付き合いで遅くなる」くらいのものだった。思い返せば仕事を持つ忙しい妻と、ケータイで会話らしい会話を交わした記憶が殆どなかった。「大丈夫?夕べは眠れた?」「食事は残さず食べられた?」などと、妻は毎日聞いた。「ああ、大丈夫だ、何とか眠れたよ」とか「おかゆはもう飽きたよ。半分しか食べられなかった」などと答える私。
 「とにかく余りくよくよ考え過ぎないで、風邪を引かないように気を付けてね」妻はケータイを切る前に、必ずその一言を付け加えてよこした。
 「ああ……、ありがとう」私もそう答えてからケータイを切った。
 『ありがとう』の一言をこうして正面切って妻に言ったのは、いったいいつ以来のことだったろう。毎日同じ言葉を口にすると抵抗がなくなり、それ以来、生来無口で愛想の足りない私なのに担当医の巡回診察時や看護師さん達に対しても、「ありがとう」という感謝の一言が、抵抗なく口に出せるようになっていた。
 忙しく立ち働く看護師さん達は、その度に笑顔で返してくれた。
 そんなことを通し改めてありがとうの一言の感謝の言葉の大切さを思う。
 入院中は味気ない食事の繰り返し。塩分を極度に控えた魚や野菜。おもゆからおかゆに切り替わっても、全てに味が感じられないのだ。ベッドに寝ていると、思い出すのはかつて子供の頃に食べた懐かしい駄菓子やの安菓子や、祖母と母が作ってくれた料理の数々ばかり。「あれが食べたいなぁ」「これは美味いはずだよ。栄養もあるしね」
 退院間近になった頃になると、毎日思い付く限りの食べ物の話をケータイで話した。妻は笑いながら「食べられるといいわね」と言う。妻がいるから苦しくても私はこうして生きていくという実感。
 私は思う。ケータイがあればこその、今の私の心の拠り所を……。
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