(3)国民が情報の発信主体  平成18年版情報通信白書では、「ジャーナリズム化しつつある消費者発信型メディア」として、平成16年(2004年)新潟県中越地震において、ブロガーが被害の様子や生活情報、必要とされている支援物資、ボランティアの活動状況などの情報を発信した事例を取り上げた6。今回の震災においては、マスメディアからの情報以外に災害発生直後から、ソーシャルメディア等を活用した、個人・団体による震災関係情報の発信が多く行われた。 ア 臨時災害放送局等が、被災地の情報源として活躍  第2節4でも記載したとおり、気仙沼市、宮古市等では通信手段が限られた地域での情報発信源として、震災後に臨時災害放送局が開局され、被災地の情報源として活躍した。 ●「けせんぬまさいがいエフエム」  住民からの要望を受け、気仙沼市が3月22日に免許を取得、23日に開局した(図表4-5)。開局に当たっては、近隣市である登米市が支援し、放送局が気仙沼市の消防局内に開設された。放送内容は、「市の皆様へのお知らせ」の掲載内容が基になっており、ライフラインの復旧状況や病院の診療時間、地元新聞のニュースなど、様々な情報を伝えた。 図表4-5 けせんぬまさいがいエフエムの放送模様 (出典)気仙沼市 ホームページ イ 各種連携による被災地支援プロジェクトの立ち上げ  今回の震災においては、各種団体が連携して、ネット上の活動等を通じて被災地を支援しようという様々な活動が立ち上がった。 ●官民連携による「助けあいジャパン」  「助けあいジャパン」は、東日本大震災をきっかけに立ち上がった民間のプロジェクトで、内閣官房震災ボランティア連携室と連携しながら、ボランティアによる救援を支援していくという趣旨に賛同した有志と、運動をサポートする企業によって展開された。同サイトでは、ボランティア情報、政府・省庁からの最新情報、ボランティアする人への内閣官房震災ボランティア連携室からの最新情報、被災地に住むレポーターやボランティアで入ったレポーターからの報告、関係情報へのリンクなどが提供され、ソーシャルメディア上での情報提供も行われた。  また、「助けあいジャパン」は、災害被災地で必要とされている情報を正確かつ大量に集約し、多くの人に届けることを目的とし、東京都港区に「助けあいジャパン ボランティア情報ステーション(VIS)」を開設、ボランティア情報収集・整理・発信の拠点で、複数の個人、民間企業が助けあいのもと、有志の学生が常駐し、活動を行った。さらに、「助けあいジャパン ボランティア情報ステーション(VIS)」から発信された情報は、誰もが無料で利用できるオープンAPIの形式で発信された。 ●地域SNSの全国連携による「大震災「村つぎ」リレープロジェクト」  岩手県盛岡市にある地域SNS「モリオネット」では、日頃から、ネット上のみの活動のみでなく、「モリオネット・デイ」等の活動を通じた地域住民間等でのリアルの交流が行われていた。  今回の震災においても、地震発生直後から、モリオネットのメンバー有志によって、各種の情報の蓄積、整理、構造化が試みられ、SNS外部からの閲覧者も多数に上った。また、全国の地域SNS上においても、震災直後から、被災地支援の動きが起こっていた。  このような中、「モリオネット」では集中的な議論のもと、被災地の子どもたちのために学用品を集めるという計画がなされ、3月17日に「学び応援プロジェクト」が立ち上げられた。同プロジェクトには、兵庫、尾道、春日井、宇治、掛川、葛飾など全国約20の地域SNS7が賛同し、これらの地域SNSが連携して、各地で集めた支援物資を、「モリオネット」側で準備した特設会場に一旦集約し、被災地まで送り届けることとなった。  特筆されるのは、広島から、兵庫、愛知、静岡、東京の地域SNS事務局を経由して盛岡まで、荷物を積み増しながら引き渡していく、「村つぎ」と呼ばれるリレー方式で送り届けられたことである(図表4-6)。このように各地が支えあいながら、盛岡に手渡しされた支援物資は、「モリオネット」メンバーや県内の学生等のボランティアによる仕分け作業の上、岩手県庁、陸前高田市、釜石市等まで直接届けられた。 図表4-6 地域SNSの全国連携による「大震災「村つぎ」リレープロジェクト」 (出典)「大震災〔村つぎ〕リレー」プロジェクト報告会資料 6 http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h18/html/i1560000.html 7 これら地域SNSは、平成19年8月から半年ごとに開催されている「地域SNS全国フォーラム」などを通じ、ゆるやかなネットワークが構成されていたという。また、平成21年8月に兵庫県佐用町等を襲った台風9号による集中豪雨の際に、全国の地域SNSが連携して古タオルを送るなどの支援を行った経験が活かされたという