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第1部 特集 進化するデジタル経済とその先にあるSociety 5.0
第1節 デジタル経済史としての平成時代を振り返る

(1)携帯電話の登場・普及とコミュニケーションの変化

携帯電話は、平成の30年を経て、今や人々の生活において最も身近なツールになっていると考えられる。ここでは、昭和の時代の重要な出来事にも触れつつ、携帯電話を中心とした移動通信サービスの登場・普及の歴史と、それらがもたらしたコミュニケーションの変化について振り返る。

ア 移動通信サービスはどのように発展・普及していったのか

はじめに、携帯電話をはじめとする移動通信サービスの発展・普及を、1993年(平成5年)頃までの「移動通信サービス黎明期」、1993年頃から1998年(平成10年)頃までの「携帯電話普及開始期」、1998年頃から2008年頃までの「フィーチャーフォン全盛期」、2008年頃以降の「スマートフォン登場・普及期」の大きく4つの時代に分けて振り返り、移動通信サービスにおける端末やサービス等がどのように変化してきたのかを含めて概観する。(図表1-1-1-1参照)

図表1-1-1-1 移動通信サービスの普及と進化4
(ア)移動通信サービスの黎明期〜ポケベル中心の一方向コミュニケーション〜

まず、移動通信サービスの黎明期として、1970年頃から1993年頃までの動向を概観する。

人々が未来の「携帯電話」を体験した1970年大阪万博

移動通信サービスの歴史を振り返るにあたり、まず1970年の通称「大阪万博」について触れておく。

1970年に大阪府吹田市の千里丘陵を会場として開催された日本万国博覧会において、日本電信電話公社(現日本電信電話株式会社)は、「未来の電話」として、ワイヤレステレホンを展示した5。電話線でつながっていないこのワイヤレステレホンでは、会場から全国どこにでも電話することが出来た。

ワイヤレステレホンが展示された電気通信館には延べ約60万人が来場し、人々はこの「未来の電話」を体験した。このとき、ボタンを押す際には人差し指ではなく親指を使う傾向にあるなど、後の携帯電話の開発のヒントが得られたと言われている6

図表1-1-1-2 ワイヤレステレホン
(出典)NTT技術史料館

重さ約3kgの「ショルダーホン」

1979年、日本電信電話公社は民間用としては世界で始めてセルラー方式による第一世代アナログ自動車電話のサービス7を開始した。サービス名称からも分かるとおり、当初はあくまでも自動車の中からでも通話を可能とするという位置付けであった。

1985年には、自動車の外からでも通話が可能なショルダー型の端末が登場し、発売前に発生した日航機墜落事故8の救助活動でも活用された。ショルダーホンの重量は約3kgもあったこと、また本体の価格が保証金約20万円、月額基本使用料が2万円強、通信料金は1分100円と高額であったために、その使用は一部の者に限られ、普及には至らなかった。

1987年に入り、NTTが「自動車電話」ではなく「携帯電話」と称したサービスを開始した。この時の端末は、ショルダーホンからは小型化・軽量化したものの、750gの重量があった。

図表1-1-1-3 ショルダーホン
(出典)NTT技術史料館

平成初期の社会現象となった「ポケベル」

携帯電話の普及に先立ち、平成初期の1980年代後半から1990年代前半にかけて普及した移動通信サービスとして、ポケットベル(ポケベル)が挙げられる。ポケットベルは、当時家や職場でなければ電話が出来なかった時代にあって、外出している等により電話を受けられないに人とも連絡を取ることを可能にしたものであった。

1968年、日本電信電話公社が、ポケットベルの源流となる無線呼出サービスを開始した。当初は呼び出し信号の送信により着信音を鳴らすといったことのみが可能であり、メッセージを送ることは出来なかったが、営業職などビジネス目的での利用が広がった。1987年に端末に数字を表示できる機能が追加されたことから一般への普及が急速に進んだ。

表示できるのは数字だけではあったものの、「49(至急)」、「4649(よろしく)」、「999(サンキュー)」、「114106(愛してる)」など数字を用いた語呂合わせによるポケットベルへのメッセージの送信が、女子高生をはじめとする若年層において広まり9、メッセージを送るために公衆電話に並ぶ光景が各所で見られた10。また、家や職場ではなく、個人と直接コミュニケーションが取れるようになったことで、ライフスタイルにも影響を与えた。更に、ドラマや歌謡曲の題材にもなり、平成初期の社会現象となった。ただし、ポケットベルはメッセージの受信は出来たものの、それ自体ではメッセージの送信が行えなかったため、そこで行われるリアルタイムのコミュニケーションは、送信側から受信側への一方向のコミュニケーションであったといえる。

図表1-1-1-4 ポケットベル
(出典)NTT技術史料館
(イ)携帯電話の普及開始〜双方向コミュニケーションへの移行〜

次に、携帯電話が急速に普及した1993(平成5)〜1998(平成10)年頃の動きを概観する。この時期においては、携帯電話の小型化・低廉化が進んだこと、PHSがサービスを開始したこと、また端末売切制の導入などの制度改革等を契機として、急速に移動通信サービスの普及が進み、リアルタイムの双方向コミュニケーションが一般化し始めた。

制度改革等を契機とする事業者間競争の加速による料金の低廉化と端末の多様化

1991年、NTTより当時世界最小とされた超小型携帯電話mova(ムーバ)シリーズの端末が発売された。当時としては画期的な折り畳みタイプもあり、発売当初の本体重量は約230gと従来機種に比べ小型・軽量化した11

図表1-1-1-5 超小型携帯電話mova(ムーバ)端末
(出典)NTT技術史料館

1993年からはそれまでのアナログ方式(第1世代)に代わるデジタル方式(第2世代)によるサービスが開始され、ノイズが少なくなり電池の持ちも向上するとともに、価格も下がり、初期費用は保証金10万円と新規加入料4万円強で、レンタル料を含む月額の回線使用料は1万7千円となった。

携帯電話の契約数は、1985年の通信自由化を受けたNTTと新規参入事業者による競争の中で増加したが、1990年代に入って頭打ちの傾向にあった12。このような中で、NTTドコモ13は1993年に当時10万円であった携帯電話の保証金を廃止した。また、郵政省(現総務省)においても、翌年の1994年に端末売切制度を導入した。これは、今では当たり前となっている利用者による端末の所有を可能としたものであり、携帯電話端末は通信事業者によるレンタルのみというそれまでの仕組みを改めたものである。更に、1996年には携帯電話の料金認可制が廃止された。このような制度改革等により、事業者間の競争が加速し、携帯電話料金の低廉化が進むとともに、利用者にとって魅力的な端末を各メーカーが競って供給するようになったことも、携帯電話の普及を後押しする要因となった。(図表1-1-1-6

図表1-1-1-6 黎明期から普及までの携帯電話の基本料金の推移

大きい画像はこちら別ウィンドウで開きます
(出典)総務省(2010)「平成22年版情報通信白書」

PHS〜もう一つの移動通信サービス〜

ポケットベルと携帯電話のほか、移動通信サービスの進化の中で重要な役割を果たしたのが、PHS(Personal Handy Phone System)である。

1995年にサービスを開始したPHSは、コードレス電話機を発展させた日本発の規格である。高出力の電波で広いエリアをカバーする携帯電話に対して、PHSは一般電話回線から専用アンテナを介して通信を行うため、一つの基地局がカバーする通信の範囲は半径500m程度の狭い区域に限定されていた。他方、携帯電話の基地局より小さく安価に設置でき、携帯電話の電波が弱かった地下鉄、大規模なビルなどの場所での通信に強みを持っていた。また、固定通信のネットワークに多くを依存するためインフラ構築のコストが低いといったことを背景に、PHSは携帯電話よりも低廉な料金で提供が可能であった。また、一般的に携帯電話に比べて音声品質が良い、データ通信速度が速いといった特徴があるとされた。

図表1-1-1-7 普及開始時期における携帯電話・PHSの進化

大きい画像はこちら別ウィンドウで開きます
(出典)総務省(2019)「デジタル化による生活・働き方への影響に関する調査研究」

こうした特徴から、PHSはサービス開始当初、携帯電話より幅広い層に普及することが期待され、1995年に契約数がピークとなったポケットベルに代わり、若年層の利用も広まった。しかしながら、基地局の整備が進まず都市部でも圏外となるエリアが多かったこともあり、携帯電話において料金が低廉化し、モバイルインターネット対応をはじめとする多機能化が進むにつれて契約数は減少していった(図表1-1-1-8)。2020年7月末には、テレメトリング等の用途を除く一般的なPHSサービスは終了予定となっている。

図表1-1-1-8 ポケベル、PHS、携帯電話の加入者数推移
(出典)総務省「携帯・PHSの加入契約数の推移(単純合算)(平成30年9月末時点)」及び「無線呼出し(ポケットベル)の加入契約数の推移」を基に作成
「図表1-1-1-8 ポケベル、PHS、携帯電話の加入者数推移」のExcelはこちらEXCEL / CSVはこちら

ポケットベルについても、PHSへの移行のほか、特に1997年にNTTドコモが携帯電話でショートメールサービス(SMS)を開始したことで、すぐに返信ができる携帯電話に移行する動きが加速した。

事業者のサービス撤退も相次ぎ、国内で唯一サービス提供を継続していた東京テレメッセージも、2019年9月末に個人向けのサービスを終了することが決定している。

しかしながら、ポケットベルによって育まれた文字メッセージによるコミュニケーション文化は、携帯電話に引き継がれたと考えられ、この点で携帯電話の進化を支えるものとなったといえよう。

(ウ)フィーチャーフォンの全盛〜多機能化の進展〜

続いて、フィーチャーフォンの進化が続いた1999年(平成11年)〜2008年(平成20年)頃の動きを振り返る。

コミュニケーションツールの枠を超えた携帯電話

前述の競争の加速による料金の低廉化や端末の多様化を受けて、携帯電話の普及は更に進展した。その中で、携帯電話のために利用できる電話番号が不足してきたため、1999年1月1日、携帯電話とPHSの電話番号は、それまでの10桁から11桁へと変更された。この年に登場したのが、NTTドコモによる携帯電話対応のインターネット接続サービスの「iモード」である。NTTドコモだけではなく、KDDI/沖縄セルラー電話やJ-PHONE(現ソフトバンク)も同様のサービスで追随した。この携帯電話対応のインターネット接続サービスにより、インターネットメールのほか、銀行振り込み、ライブチケットの購入、タウンページ14検索などのオンラインサービスが携帯電話で利用可能となった。

以降、携帯電話端末は、通話機能だけでなく、カメラ、「おサイフケータイ」、ワンセグ視聴機能等、様々な機能を搭載するようになっていく。これらの中には、高度なものや世界に先駆けて搭載された機能も多数存在する。

例えば、2000年にJ-PHONE が世界に先駆けて携帯電話端末にカメラを搭載し、撮影した画像を電子メールに添付して送信する機能を提供した。当時の画素数は11万程度であったが、2003年には100万画素のデジタルカメラを搭載したメガピクセル携帯電話端末が発売されて以降、カメラ付き携帯電話端末の性能は上がり、コンパクトデジタルカメラと比較しても遜色ないほどまでになった。

また、2001年には、携帯電話で実行ができるJavaを使用したアプリケーションサービス「iアプリサービス」が始まり、携帯電話端末でゲームなどの多様なコンテンツを楽しめるようになった。2005年には、携帯電話端末に非接触ICカード技術方式FeliCa機能を内蔵した「おサイフケータイ」のサービスが開始され、電子決済だけでなく、定期券や航空券、会員証やポイントカードなど、財布に入るもの全てを一台の携帯電話端末で済ませるというコンセプトが打ち出された。2006年には、音楽再生チップ(Mobile Music Enhancer)を内蔵したソニー・エリクソン製の携帯電話端末が発売された。音楽データ保存用に1GBの専用メモリが搭載されており、携帯電話端末による30時間の連続音楽再生が可能になった15

他方、これらは日本独自の進化を遂げたために、かえって世界の端末市場では通用しにくくなったともいわれている。この趣旨から、日本の多機能な携帯電話端末は「ガラパゴスケータイ(ガラケー)」とも呼ばれるようになったが、現在ではスマートフォンではない端末すなわちフィーチャーフォンを指すものとなっている。

ネットワークの高速化・大容量化でインターネットの利用がより円滑に

移動通信システムにおいては、2006年に第3.5世代移動通信システムを用いたサービスが始まった。第3世代移動通信システムでは1枚のDVDをダウンロードするのに27時間から30時間掛かっていたものが、第3.5世代では45分から1時間程度と速度が向上したことで、画像を含むホームページや動画の閲覧が円滑に行うことができるようになり、携帯電話でのインターネット利用シーンはより豊かになっていった(図表1-1-1-9)。

図表1-1-1-9 移動通信ネットワークの高速化・大容量化の進展
(出典)総務省(2015)「平成27年版 情報通信白書」

2004年にはiモードサービスが使い放題になるパケット定額制の「パケ・ホーダイ」が開始された。それまでは使用した分の通信量を支払う従量課金制であったため、データ通信量の増加に伴い高額な利用料金となるケースが発生するようになっていた。定額制が導入されたことで、ユーザーは基本的にデータ通信量を気にせずにサービスを楽しむことができるようになった。

(エ)スマートフォンの登場・普及

「ガラケー」からスマートフォンへの移行

日本で多機能な携帯電話端末が進化する中で、海外でもよりPCに近い携帯電話端末の開発が進められ、このような端末は「スマートフォン」と呼ばれるようになった。2007年にAppleが発表したスマートフォン「iPhone」は、当時としては革新的な端末であり、Appleはこの発表の際、「タッチコントロール付きのワイドスクリーンのiPod、革新的な携帯電話、画期的なインターネット・コミュニケーション・デバイス」と説明した。そのデザイン性の高さと説明書を読まずとも操作できる使いやすさもあって人気を博し、世界的にフィーチャーフォンからスマートフォンへの移行が始まった。翌年2008年に発表された「iPhone 3G」は日本でもソフトバンクモバイル(現ソフトバンク)により販売が開始され、2009年にはAndroid対応のスマートフォンも発売された。

当初、スマートフォンでは日本のフィーチャーフォンでは当たり前に使用できた絵文字は使用できず、また「おサイフケータイ」の機能も搭載されていなかったため16、我が国では一部で利用をためらう動きもあった。しかしながら、スマートフォンは、OS上で独自のアプリケーションの実行が可能であり、無数に用意されたアプリからユーザーが使いたい機能をハードウェアにとらわれずサービス単位で選択することが可能となったこと、また、それまで限定的にしか利用できなかったインターネットの閲覧がPCのようにフルブラウザで容易に利用できるようになったことから、普及が進んでいった。

特に、2011年に発表された「iPhone 4S」からはKDDI/沖縄セルラー電話(au)においてもiPhoneシリーズの販売を開始し、2013年に発表された「iPhone 5s/5c」からはNTTドコモも販売するようになったため、スマートフォンの利用はますます拡大した17

イ 携帯電話の発展・普及はコミュニケーションをどのように変えたのか

ここまで携帯電話を中心とする移動通信サービスの進化をみてきたが、この進化の中で、人々のコミュニケーションがどのように変化してきたかを概観する。

「個対個」のコミュニケーションが容易に

固定電話は家や職場といった場所に紐付いたコミュニケーションツールであったが、携帯電話は個人に紐付いたコミュニケーション手段であるといえる。「移動通信サービスの黎明期」には、携帯電話は高価でありビジネスシーンなどに利用が限られていた。端末や通信料金の低廉化等は携帯電話の普及を進め、人々はいつでも、どこにいても、また相手との地理的距離もほぼ関係なく、「個対個」のコミュニケーションを取ることが容易になり、そのコミュニケーションにかかるコストもそれまでと比べて劇的に低下した。特に、ポケットベルでは基本的に一方向のコミュニケーションであったものが、携帯電話やPHSの登場により、双方向でのコミュニケーションが可能となった。

「リテラルコミュニケーション」そして「ビジュアルコミュニケーション」への発展により、細やかな文脈・感情のやりとりが可能に

機能も当初はほぼ音声通話に限定されていたが、端末の機能の充実、移動通信システムの進化によって、音声だけでなく、文字でのコミュニケーション(リテラルコミュニケーション)も可能となった。

そして、移動通信システムの更なる高速・大容量化や料金の低廉化、端末の機能の充実は、写真・動画をはじめとする多様なビジュアルコンテンツを気軽に作成・共有することを可能とした。画像等を使うことにより、「用件」を伝えるだけでなく、より気軽で他愛もない「ムダ話」や、楽しい、共感するなどのより細やかな文脈や感情のやりとりが可能となった。

特に、スマートフォンの普及以降は、写真や動画を加工・装飾するアプリの充実や、SNSの急速な普及を受け、携帯電話を通じたコミュニケーションの様式は、リテラルコミュニケーションから写真や動画を中心としたビジュアルコミュニケーションへと発展してきている(図表1-1-1-10)。

図表1-1-1-10 移動通信サービスの進化とコミュニケーションの変容
(出典)総務省(2019)「デジタル化による生活・働き方への影響に関する調査研究」

写真や動画を使用したビジュアルコミュニケーションが活性化する要因として、(論理の伝達ではなく)感情や印象の伝達においては、文字化の過程で感情が減衰したり、文字という高度に抽象的な記号への変換によって思いがうまく伝えられなかったりすることがある。その点、写真や動画は、伝えたいものを伝えたい瞬間に捉えて、相手に送ることができる。発信者と受信者が視覚的に同じものを共有するため、互いの共感度合い、印象の共有度合いも大きいとの指摘もある18

人々はスマートフォンを通じて、今見ている動画、聴いている音楽、共感したサイトの記事やSNS投稿等、実に多様な文脈や感情を、直感的に他者と共有できるようになっている(図表1-1-1-11)。

図表1-1-1-11 移動通信サービスの機能進化に伴う表現方法の多彩化
(出典)総務省(2019)「デジタル化による生活・働き方への影響に関する調査研究」
携帯電話は、身近な人との日常のコミュニケーションを強化した

前述のとおり、携帯電話は相手との地理的距離もほぼ関係なくコミュニケーションをとることを容易にした。ただし、我が国において、携帯電話は平均的に交流可能な範囲の拡大よりも、日常的に最もよく顔を合わせ、会話をする親しい知己との関係を深める方向に働いたとの指摘がある19

このことは、調査結果からもうかがわれ、フィーチャーフォン全盛期の2001年の研究結果では、インターネットEメールが、距離的に離れ、対面機会の少ない友人との交流や、仕事上の同僚との連絡にも多く用いられているのに対し、携帯メールは普段からよく対面する機会の多い人との連絡手段に頻繁に用いられていた(図表1-1-1-12)。

図表1-1-1-12 携帯メール、インターネットEメールで最もやりとりする相手
(出典)橋元良明(2001)「携帯メールの利用実態と使われ方―インターネットによるEメール利用との比較を中心に」 日本語学 vol.20

2010年代後半の調査結果では、ソーシャルネットワーキングサービスの利用者に利用目的を調査したところ、「従来からの知人とのコミュニケーションのため」との回答が8割を超えた。(図表1-1-1-13

図表1-1-1-13 ソーシャルネットワーキングサービスの利用目的(複数回答)
(出典)総務省(2018)「平成29年通信利用動向調査」(世帯構成員編)
「図表1-1-1-13 ソーシャルネットワーキングサービスの利用目的(複数回答)」のExcelはこちらEXCEL / CSVはこちら

ただし、平均的には、携帯電話は日常的に会い話をする親しい知己とのつながりを強化したが、外交的な者と内向的な者とでコミュニケーションが二極化したこと、社会が血縁、社縁、地縁では成り立たなくなったという変化がこのようなコミュニケーションツールの使われ方を要求した(通信技術によりこのような事態になったわけではない)と考えるべきとも指摘されている20

また、携帯電話によって気軽に連絡を取り合うことが可能となったために、コミュニケーション量そのものが増加したこと、アポイントが取りやすくなったため対面で会う機会も増えたとの指摘もある21

ウ まとめ

1987年の携帯電話サービス開始以来、端末売切制の導入等の制度改革も背景とした事業者間競争の進展により、携帯電話の料金の低廉化や高性能化が起こり、平成の30年で携帯電話は広く一般に普及した。また、「個対個」のリアルタイムのコミュニケーションが容易になったとともに、文字更には写真や動画などを用いた直感的なコミュニケーションが容易となる等、携帯電話は人々のコミュニケーションスタイルを大きく変容させた。

今後はAIやVR等の新たなICTの進展や、第5世代移動通信システム(5G)のサービス開始も見込まれており、それらを活用した新たなサービスの提供により、令和の時代における人々のコミュニケーションをより豊かにすることが期待される。



4 1970年大阪万博写真:大阪府日本万国博覧会記念公園事務所より提供
1970年・1985年・1991年各種電話端末写真:NTT技術史料館より提供
2000年写真:シャープ株式会社より提供
2004年写真:株式会社NTTドコモ
https://www.nttdocomo.co.jp/info/news_release/page/090820_00.html別ウィンドウで開きます
2008年写真:Apple, Inc(https://support.apple.com/ja-jp/HT201296別ウィンドウで開きます

5 ただし移動体通信で現在広く使われているセル方式による通話ではないため厳密には後の携帯電話とは異なる。

6 NTT技術史料館デジタルアーカイブ「ワイヤレステレホン(大阪万博の携帯電話)」(http://www.hct.ecl.ntt.co.jp/digitalarchives/03.html別ウィンドウで開きます

7 現在、携帯電話について「4G」や「5G」という表現が使われるが、この「G」とは「Generation:世代」のことであり、第一世代アナログ自動車電話のサービスは「1G」に当たる。

8 1985年8月12日に羽田発伊丹行きの日本航空123便が群馬県の山中で墜落した事故であり、乗客・乗員計524名中520名が犠牲となった。

9 1994年にはカナ文字表示、1996年には漢字表示も可能となった。

10 ポケットベルにメッセージを送るためにはプッシュ式の電話が必要であった。しかし当時の家庭ではまだダイヤル式電話も広く使われていたためにプッシュ式である公衆電話から連絡する光景も各所で見られた。

11 森島光紀(2006)「移動通信端末・携帯電話技術発展の系統化調査」『国立科学博物館 技術の系統化調査報告 第6集』によると、NTTは、日本電気、松下通信工業、三菱電機、富士通の4社に超小型機の開発を依頼し、日本電気が世界で最初に折り畳みタイプの端末を開発したとされている。

12 契約数の対前年比伸び率は、1989年には100%を超えていたが、1990年は77.2%、1991年は58.5%、1992年は24.5%、1993年は24.4%へと低下していた。

13 1990年の郵政省「日本電信電話株式会社法附則第2条に基づき講ずる措置」において、公正有効競争を促進するため、移動体通信業務をNTTから分離することとされており、これに基づき1992年にエヌ・ティ・ティ移動通信網株式会社(現NTTドコモ)が営業を開始した。

14 タウンページとは、東日本電信電話(NTT東日本)及び西日本電信電話(NTT西日本)が発行する業種別電話帳。

15 KDDI ニュースリリース2006年「au携帯電話の新ラインナップとして「ウォークマンR ケータイ W42S」を販売開始(参考)」
https://www.kddi.com/corporate/news_release/2006/0619/sanko.html別ウィンドウで開きます

16 スマートフォンでの絵文字は2010年にiPhoneで2012年にAndroidで実装。電子決済は2015年にAndroidで、2016年にiPhoneで実装されたが、日本においてはおサイフケータイで普及していたFeliCa方式での採用であり、他国で導入されている規格“NFC(TypeA/B)”とは異なる方式となる。

17 総務省「通信利用動向調査」においては、スマートフォンの世帯利用率は2012年の49.5%から、2013年には62.6%に上昇した。また、一般社団法人電子情報技術産業協会「電子工業輸出入実績表」によると、携帯電話端末を含む「移動電話」の輸入額が、2013年に対前年比143.9%増となっている。(https://www.jeita.or.jp/japanese/stat/electronic/2013/import_12.html別ウィンドウで開きます

18 総務省(2019)「デジタル化による生活・働き方への影響に関する調査研究」有識者ヒアリング(東京大学大学院情報学環 橋元良明教授)に基づく。

19 総務省(2019)「デジタル化による生活・働き方への影響に関する調査研究」有識者ヒアリング(東京大学大学院情報学環 橋元良明教授)に基づく。

20 総務省(2019)「デジタル化による生活・働き方への影響に関する調査研究」有識者ヒアリング(東京大学大学院情報学環 橋元良明教授)に基づく。

21 総務省(2019)「デジタル化による生活・働き方への影響に関する調査研究」有識者ヒアリング(国際大学グローバル・コミュニケーション・センター 山口真一講師)に基づく。

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