ソロー・パラドックス−米国では、情報化の進展にもかかわらず、当初は生産性が上昇しなかった
1970年代〜80年代の米国では、徐々に情報化投資が進みつつあったが、生産性上昇率は長期的に停滞していた。このことについて、ノーベル経済学賞を受賞した米国の経済学者ロバート・ソローは、1987年に著した書評の中で、「至るところでコンピューターの時代を目にするが、生産性の統計ではお目にかかれない」77とコメントした。これは後に「情報化が進んでも生産性の向上が実現しないという逆説」として「ソロー・パラドックス」と呼ばれ、情報化投資による生産性向上は統計的に確認できるか否かという実証研究の論争へとつながっていった。
1990年代初頭までの研究では、情報化投資と生産性との間に肯定的な関係が確認されず、ソロー・パラドックスの存在を支持する分析結果が数多く出されていたが、1990年代半ばになると、情報化投資のプラスの効果を確認する研究結果が相次ぐようになった(図表1-1-3-1)。
ニュー・エコノミー論の登場
1990年代後半の米国で湧き起こったのが「ニュー・エコノミー」論である。これは、技術革新やグローバル化が進展する中で、設備投資の増勢と激しい国際競争による生産性の向上で、インフレーションを加速させることなくより高い成長を実現することが可能になった米国経済の姿を現すものとされた78。1990年代後半には、ニュー・エコノミー論に慎重なスタンスを取る向きもあったものの、2000年代後半に行われた実証研究の結果、少なくとも1990年代の米国経済が1970年代以降の停滞期を脱し生産性の向上を復活させたこと、これらがICT投資の活発化とともにみられたことはアカデミックな世界では共通認識になっているとされる79。すなわち、ソロー・パラドックスとの関係については、ICT投資が生産性向上の効果を発現するまでには、タイムラグがあったということになる。
我が国においてソロー・パラドックスはあったのか
我が国のICT投資についても、ソロー・パラドックスは起こっていたのだろうか。この点について、1970年代から90年代の我が国における情報化投資及びその効果に関し、篠﨑(2005)によると、情報資本の蓄積は1980年代後半に加速したが、1990年代に鈍化しており、景気循環要因を考慮した全要素生産性の変化も1990年代には1%弱と米国と比較して低水準にとどまっている。また、情報資本の蓄積は全要素生産性の変化と同符号の動きを示しており、1980年代の米国にみられたようなソロー・パラドックスは観察されなかったとしている(図表1-1-3-2)。
1980年から2017年までの日米の人口1人当たり実質GDPの推移を比較すると、我が国では1990年頃を境に伸びが鈍化傾向となっているのに対し、米国では特に1990年代〜2000年代前半にかけての増加が著しい(図表1-1-3-3)。
日米で2000年以降の景気循環要因を考慮した労働生産性80の伸び率の内訳を比較81すると、我が国では労働の質82の寄与が比較的大きいものの、全要素生産性(TFP)83の寄与は小さい(図表1-1-3-4)。米国では、2010年まではTFPの寄与が大きかったが、2011年以降は小さくなっている(図表1-1-3-5)。
TFPの伸び悩みは、第2章第2節で後述する、先進国でのGDP伸び悩みを考えるにあたっても特徴的な動きと考えられる。
77 原文は、“We can see the computer age everywhere but in the productivity statics”である。
78 Business Week誌1996年10月7日号
79 篠﨑彰彦(2014)『インフォメーション・エコノミー』
80 付加価値を労働投入量で除したもの
81 推計方法及び用いたデータは、付注1参照
82 労働の質は、「JIPデータベース2015」の労働の質指数(学歴や年齢等を考慮)を用いた。
83 TFPは、生産要素以外で付加価値増加に寄与する部分であり、具体的には、技術の進歩、無形資本の蓄積、経営効率や組織運営効率の改善等を表すと考えられる。