昭和48年版 通信白書

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第3節 放   送

1 ラジオ放送

 米国では1920年(大正9年)にラジオ放送が開始されたが,我が国でも大正11年ごろから一部の新聞社によって実験放送が始められラジオ放送への関心が高まった。このラジオ放送を官営にするか,民営にするかについて論議が行われたが,幾多の曲折のあと,逓信省は大正13年7月放送の経営主体を公益法人とすること,東京,大阪,名古屋に1局ずつ許可する旨の決定をした。
 東京放送局は大正14年3月22日から仮放送を開始した。次いで大阪放送局は6月1日,名古屋放送局は7月15日からそれぞれ放送を開始した。放送時間は1日5時間ないし6時間で,放送番組はニュース,時報,天気予報から音楽,演芸,ラジオドラマと多彩なものであった。当時の受信機はいまからみると非常に幼稚ではあったが,一球式で50円もした(当時,米1升40銭)。したがって,一般に普及したのは20円内外の鉱石受信機でレシーバを耳にあてて聞くものであった。受信者の数は東京放送局が仮放送を開始した当時は約5,000であったが,年末には東京,名古屋及び大阪の3局を合わせれば20万近くに達し,ラジオの人気は高まる一方であった。このため逓信省は放送事業を一本化し,全国に普及させようと考えるに至った。
 このとき再び官営か民営かの論議がおきたが,大正15年2月逓信大臣は東京に中心を置き,公益法人として経営することに決定した。これにより,これまでの3社団法人は解散し,その社員をもって同年8月に新たに社団法人日本放送協会が設立された。
 その後放送局の置局が進められ,ラジオ放送は逐次全国的に普及していった。
 昭和3年には,東京,大阪,名古屋の3局のほかに札幌,仙台,熊本及び広島の4局が開局し,11月にはこれらの各局を結ぶ中継線が完成した。6年に第2放送が開始された。
 25年6月放送法が施行され,社団法人日本放送協会は解散し,新たに旧法人の全財産を引き継いで放送法に基づく日本放送協会(以下「NHK」という。)が設立されるとともに一般放送事業者いわゆる民間放送も認められるようになった。民間放送は26年4月まず16社に予備免許が付与され,同年9月から翌27年にかけて順次開局した(1社は準備が進展しなかったため免許が拒否された。)。29年8月には短波を利用する民間放送も発足した。30年ごろから新しい音声放送の形態である超短波放送(FM放送)に対する関心が高まってきた。NHKは32年から,東海大学も33年から実験放送を行ってきたが,NHKは44年3月から正式に超短波放送局として放送を開始した。民間放送についても44年には名古屋,45年には東京,大阪及び福岡にFM放送の特質を生かした放送局が開設された。
 ラジオ特に中波放送については,28年テレビジョン放送の開始等により一時その前途が懸念されたが,モータリゼーションの進展,トランジスタラジオの出現等によりパーソナルメディア化を指向し依然として根強い発展を保っている。

 

 

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