昭和48年版 通信白書

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2 テレビジョン放送

 我が国においてテレビジョン放送の研究は,昭和5年ごろから始められ14年5月には社団法人日本放送協会が実験放送に成功したが,第2次世界大戦によってその研究が中断された。戦後,テレビジョン放送の研究は,米国などから技術を導入することにより急速に進められた。28年2月NHKが,また8月に民間放送が本放送を開始することによって日本におけるテレビジョン放送の時代が開幕した。しかし,テレビジョン受信機の価格は極めて高く,NHK放送開始当時の受信契約数866,民間放送開始時もその普及台数はわずか3千数百台にすぎなかった。放送事業者は,テレビのPR対策用として街頭にテレビジョン受信機を設置する一方,プロ野球やプロレスなどを中継放送することによってテレビジョン放送の魅力を高めることに努力した。これにより次第にテレビジョン放送の全国的普及を望む声が強くなったので,NHK及び民間放送について主要都市から順次置局が行われ,また34年1月東京にNHKの教育専門局が開設され,逐次全国各地に置局された。
 民間放送については,大都市地域以外では,一つの民間放送の番組しかみることができないことから番組の多様化に対するが要望が強くなってきたので,郵政省は42年10月,テレビジョン放送用としてVHF帯のほかに従来中継局用にしか使用されていなかったUHF帯の周波数を親局にも使用することにし,民間放送の全国的複数化を図ることとした。これによりUHFテレビジョン放送局が誕生し,全国的に少なくとも2局の民間放送の番組が見られる態勢が整った。
 この間において,35年9月からNHKの7局及び東京,大阪の民間放送がカラーによる放送を開始した。その後,37年以降電電公社のマイクロ回線の高規格化工事が促進されたこともあって,全国的にカラー放送が行われるようになり,現在ではほとんどの番組がカラー放送されている。
 なお,放送受信契約数及び受信料の変遷は第1-1-6図及び第1-1-7図に示すとおりである。

第1-1-6図 放送受信契約数の変遷

第1-1-7図 受信料(月額)の変遷

 

 

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