昭和53年版 通信白書

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2 諸外国における通信政策機構及び政策研究の動向

 通信の分野における飛躍的な技術進歩及びそれに触発されての通信メディアの重合現象,国民の通信に対するニーズの高度化,多様化,国際化の進展等の変化により各国ともこれまでよりも幅の広いインターディシプリナリーな研究及びきめ細かな研究の要請を受けている。
 各国における通信政策機構及び政策研究の方法は国により様々な態様を示しているが,各国における共通的なことは通信の社会経済における役割の重要性を強く認識し国家的なレベルでこれを発展させようという意気込みが感じられることである。ここでは各国の状況について簡単に触れることとする。
 米国においては1967年8月当時のジョンソン大統領が教書を発表し「国内,国際通信における政策上の必要性について理解を増進するため所要の調査を開始させる」ことを宣言した。
 この要請にこたえて通信政策に関する米大統領特別委員会が設置され,この委員会は1968年12月報告書(通称ロストウ報告)を提出した。
 この報告書においては,[1]実験及び技術の進歩を促進すること,[2]電気通信サービスの提供における独占と競争の正しい役割を決定すること,[3]私的部門の主導権に対する不必要又は時代遅れの制約を除去することにより進歩のための潜在的な力を高めること,[4]電気通信において引き続き責務を果たす政府の能力を向上させること,[5]電気通信政策の分野で,公的及び私的両部門での調査及び研究を拡充すること,[6]国際協力を促進することの六つの主要テーマについて勧告を行っている。
 この報告書は米国における政権交代のため当初期待されたほど政策の上に反映されなかったうらみはあるが,一つの成果として大統領府に電気通信政策局(OTP)が設置され,行政府の役割を統合調整し,長期的観点から政策問題を取り上げてきた。OTPは最近になってカーター政権の行政改革の一環として商務省の電気通信情報庁(NTIA)に改組された。しかし,1978年通信法案においてはこのNTIAに代えて電気通信庁を設置することが提案されている。
 また,米国においては,以前から政府,FCC,大学,民間企業など幅広い分野で政策研究が行われてきており1972年から毎年ワシントン郊外で通信政策会議として関係者が一堂に会し,論議を行うこととなっている。エアリーハウス会議では,FCC,NTIA,全米科学財団(NSF),マークル財団等の後援を受けて全米及び外国からの関係者による広範な議題にわたる研究成果の発表,意見の交換,政策の検討などが行われている。
 一方,米国と国境を接するカナダにおいては,通信政策に関し連邦と州とに権限が分かれ,連邦としての力が弱いため統一的な通信政策の策定が遅れたという反省もあり,1969年通信省が創設され通信政策の樹立に力を注いでいる。
 通信省は創設草々の1969年「電気通信委員会」(テレコミッション)を創設し,多数の専門家を集めての調査研究を行わせ,この結果1971年に「インスタント・ワールド」と題する報告書を完成した。この報告書においては通信の現状と将来動向について包括的な検討が加えられている。
 ヨーロッパの動向に目を向けてみると,まず英国では1969年の郵電公社法により,郵便及び電気通信業務を政府の直営から郵電公社(BPO)に移管した。これは業務上の要請を満たせるような機構と方法で運営を行い,利用者に対して最低の費用で最高のサービスを提供するために行われたものである。
 英国における事業運営の経営形態の公社化は以前に比べて生産性の向上,業務の近代化と拡充,利用者の要求の満足などの面で成果を上げてきたが,最近になって郵電公社については再検討するための委員会(通称カーター委員会)が設置された。この委員会は,1977年7月その報告書を発表し,その中で,[1]現在の郵電公社を2つに分割し,「郵便公社」と「電気通信公社」とする。[2]郵電公社の料金政策は政府の白書「国有化企業:経済的財政的課題の再検討」に示されている基本的原則に基づくべきである。[3]産業省は大臣の諮問委員会及び公社と協力して公社が主な海外の郵便電気通信経営主体と比較してどの程度その業務を効率的,生産的に運営しているか判断できる詳細な海外の資料を集めるべきである,などの86の勧告及び結論を掲げている。この報告書は,各方面に様々な反響を引き起している。
 また,英国においては1973年3月「アナン放送調査委員会」の報告書が発表された。アナン委員会は1979年以後の放送の将来について検討するための委員会であり,その報告書の中で「将来の放送業務は,もっと多くの公共企業体を設立することにより規制された多様性という形で提供されるべきである」などの注目すべき提言を行っている。
 西独においては,1974年に「電気通信システム開発委員会」が設けられた。同委員会は,経済的,合理的そして社会的にみて望ましい電気通信システムの開発について検討し,1976年1月報告書を作成し連邦政府に提出した。この報告書には,[1]すべての家庭に電話を普及させるために電話ネットワークを発展させることを将来にわたって,かつ継続的に活発に行うことを優先させる。[2]需要に応じてテレックスサービスを発展させるとともに,テキスト交換が迅速に行われるような国際標準に合致した新しい方式が採れるようなテレックスネットワークを更に発展させる。[3]現在導入期にある公衆テレックスデータ網を今後増大するデータ通信の需要に応じられるように更に発展させる,などの17の勧告が盛られている。連邦政府は1976年7月,これに対して「電気通信システムの将来的発展に関する西ドイツ連邦政府の構想」を発表した。この構想は基本的には報告書の意見に賛成しているが電気通信を広義にとらえてその社会的役割を強調しているのが注目される。
 フランスにおいては1976年から5か年の第7次国家計画がスタートしたが,その中で電気通信分野はジスカール・デスタン大統領によって最優先事項と指定され,[1]すべてのフランス人に高品質の電話を提供すること,[2]電子交換技術を発展させ電子交換機を計画的に導入すること,[3]フランスを電話の分野での大輸出国とすること,[4]雇用の拡大に寄与させること,。今後1980年までに直接的には電気通信事業内部で,間接的には電気メーカーその他で約9万名の新規雇用を行うことなどの目標が立てられている。
 また,フランスにおいては電気通信の社会経済的研究を行う機関を設置する動きがあり,今後その成果が期待される。

 

 

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