米軍機の大規模な空襲により各都市の被害は拡大の一途をたどり、大垣市もその戦禍を避けることはできませんでした。昭和20年(1945)に入り、警戒警報及び空襲警報の発令が多くなり、3月2日、大型焼夷弾10数個が投下されたのです。以後7月29日まで通算6回にわたって空襲が繰り返され、市の中心部が焦土と化しました。終戦後、戦災死没者の慰霊碑が笠木町地内護国霊苑内に建立され、毎年7月下旬に戦災遺族会主催の追悼式が執り行われています。
開催時期 | 毎年7月下旬 |
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開催地住所 | 岐阜県大垣市笠木町283-1ほか |
開催場所 | 護国霊苑 戦災死没者之慰霊碑前 |
主催者 | 大垣市戦災遺族会 |
関連HP | |
連絡先 | 大垣市戦災遺族会 0584-73-4592 |