慰霊塔(墓)供養祭

趣旨

慰霊塔(墓)供養祭の様子

明石は軍需工場があったために、昭和20年1月19日、大阪より神戸より早く空襲を受け、従業員をはじめ大勢の学徒が亡くなりました。
川崎航空は住職との縁が元で大聖寺の境内に慰霊墓を建て、その内側には明石市が建てた慰霊供養墓があるという、珍しい二重墓がありました。
昭和49年6月9日。
22世日康上人は、その後何度も空襲にあって無縁仏になった霊105柱も含めての供養と、世界平和を願って慰霊塔を建てようと発願しました。
明石の町を団扇太鼓を打ちならし歩いてその霊を慰め、川崎重工と明石の一般市民と壇信徒が一致協力して、高さ5.5メートルの「太平洋戦争明石市被爆犠牲者慰霊塔」が完成したのです。この塔の上に安置されているのが、青銅製の十一面観音像です。
6月の第1日曜日に「慰霊塔(墓)供養祭」が行われております。
戦争の悲惨さ、戦争を憎む心を、後の時代まで語り継ぐことが大聖寺の使命だと思っております。

 
※写真提供:大聖寺

基本情報

(注)以下の情報は最新ではない場合があるため、参列等の際は主催者に御確認ください。

開催時期 毎年6月の第1日曜日
開催地住所 兵庫県明石市上ノ丸1-18-18
開催場所 大聖寺
主催者 大聖寺
連絡先 大聖寺 078-912-5929
※令和4年6月 大聖寺より情報提供

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