子どもたちを空襲からまもるため「学童疎開」

おじいちゃんが子どものころは、日本が戦争をしている時で、この町もたくさん空襲(くうしゅう)を受けてとてもこわかったんだよ。

この町も空襲?
家が全部焼けちゃったの?

空襲が何度もあってたくさんの家が焼けてしまったんだよ。
だから子どもたちをまもるために少しでも安全なところにひなんさせたのが『学童疎開(がくどうそかい)』なんだよ。

修学旅行みたいで楽しそうだね。

いいや、ケンちゃんが思ってるほど楽しいものではなかったんだ。
修学旅行とちがっていつ帰れるかわからないし、家族とも会えないし、みんなとてもさみしい思いをしたんだ。

そっかぁ〜

縁故疎開(えんこそかい)といって、いなかの親せきの家に疎開した子は、友達もいないし、とても心ぼそかったそうだよ。

う〜ん、友達がいないとすごくさみしいなぁ〜

「ホームシック」と言うのかな?
そういう子や、疎開先での生活にうまくなじめない子もいたんだよ。

疎開(そかい)先での生活

疎開(そかい)には、縁故疎開(えんこそかい)、集団疎開(しゅうだんそかい)のほかにも工場や主要な建物の建物疎開(たてものそかい)もありました。
また、疎開先では、勉強のほかに『勤労奉仕(きんろうほうし)』とよばれる農作業なども行っていました。

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