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平塚市における戦災の状況(神奈川県)

1.空襲等の概況

平塚市は、昭和20(1945)年2月16日以降、艦載機等による空襲を受けていたが、同年7月16日深夜から17日未明にかけて、B29爆撃機133機による大空襲を受けた。平塚市街中心地を攻撃目標としたが、投弾範囲は現平塚市域のみならず現茅ヶ崎市・大磯町・二宮町・小田原市にまで及んだ。その後も数度の空襲を受け、特に軍需工場を攻撃目標とした7月30日の空襲では工場で働く人々に多くの犠牲者が出た。

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2. 空襲等の状況

昭和20(1945)年7月16日の空襲は、攻撃目標中心点を商店街にあった飯島百貨店付近(現まちかど広場付近)におき、そこから半径1.2kmの円内に各機の搭載量の50%以上の焼夷弾を投弾するという計画で、午後11時32分から100分間実行された。

米軍の『作戦任務報告書』によれば、この間平塚に投下された焼夷弾はM50テルミット・マグネシウム焼夷弾406,010本とM47焼夷爆弾6,951本とされている。ただ、M69油脂焼夷弾が伊勢原市見附島でみつかっていることから、報告書にない焼夷弾が投下された可能性もある。

平塚の空襲作戦に参加したB29は、米陸軍航空軍所属の第20航空軍のうち314航空団の138機で、そのうち133機が実際に平塚に飛来して空襲を行った。
この空襲後、米軍は航空写真による被害状況の調査を行い、旧平塚市の市街区域の57%、第二海軍火薬廠などの軍需工業区域の23.4%に被害を与えたと評価した。ただ、実際の被害は旧平塚市内にとどまらず、大野町や神田村など現市域に含まれる農村地域や、現在の茅ヶ崎市から小田原市までに及ぶ広い範囲にみられ、焼失戸数は旧平塚市・中郡・高座郡・小田原市合わせて8,269戸(神奈川県警察本部調べ)に及んだ。また、平塚市内においても米軍が損害を与えた地域とみなしていない場所で焼夷弾の直撃による殺傷被害が確認されている。ただ、日本国際航空工業や横須賀海軍工廠平塚分工場など軍需工場の損害は少なく、これらの工場に対しては約2週間後の7月30日に艦載機による爆撃が行われた。

人的被害は死者328名以上(平塚の空襲と戦災を記録する会調べ)、重軽傷者268名(神奈川県警察本部調べ)に及ぶ。証言等で伝えられる死亡原因では焼夷弾の直撃が64%を占め圧倒的に多く、焼死は7%と比較的少ない。当時は住宅密集地でもところどころ空き地や畑が存在し、火にまかれる状況が少なかったためと考えられる。しかし、その一方で避難途中や避難場所での焼夷弾の人体直撃被害が目立つことになった。

<平塚市内の被災状況>米国立公文書館蔵

<平塚市内の被災状況>米国立公文書館蔵

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3. 復興のあゆみ

戦後、平塚市は戦災復興都市の指定を受け、昭和21(1946)年3月、県土木部の事務所として「平塚復興事業所」が設置され、同年から昭和42(1967)年まで戦災復興土地区画整理事業が実施された。この結果、駅前広場や公園緑地の設置、道路の拡張などが行われ、現在の街並みが形成されることになった。

校舎が焼失した学校では他校の間借りや青空教室が続いたが、昭和24(1949)年5月に学校再建に向けて学校職員や児童・生徒らが参加した「学校定礎の式」が挙行された。また、学校再建の財源確保のため平塚市は翌年に競輪を開催するようになる。

第二海軍火薬廠などの広大な軍需工場は一部が民間企業に払い下げられ、諸企業が進出し、平塚市の産業新興の礎となった。

昭和25(1950)年7月には復興の目途がつき市民の慰安と外客誘致のため「平塚復興まつり」が開催された。このまつりは翌年から七夕まつりとなり、現在でも平塚市の一大イベント「湘南ひらつか七夕まつり」として続いている。

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4. 次世代への継承

平塚市では、昭和60(1985)年「核兵器廃絶平和都市」を宣言して以来、「アイ・ラブ・ピース」を合言葉に、年間を通じて様々な平和推進事業を実施し、特に毎年7月中旬から8月中旬までの期間を平和月間とし、平塚空襲等に関する事業を次のとおり重点的に展開している。また、博物館において、平塚の空襲と戦災を記録する会の協力の下、平塚空襲体験者の証言集である「炎の証言」の刊行、毎年夏期の平塚空襲展、平塚空襲の節目の年に応じた特別展の開催等を今後も引き続き行い、平和の大切さを広く伝えていく。

【行政総務課】

  • 平和普及展(平塚空襲に関連するパネル、本、実物の焼夷弾などを展示している。)
  • 平塚空襲の日市民キャンペーン(平塚が空襲を受けた7月16日に、平塚空襲に関連するチラシを配布し、周知している。)
  • 平塚空襲の体験をきく会【通年】(市内小・中学校の授業の一環として、希望する学校において、平塚の空襲と戦災を記録する会の協力の下、平塚空襲の体験談を実施している。)

【博物館】

  • 平塚空襲展(平塚空襲に関連する資料(焼夷弾、被害写真、空襲体験絵画等)を展示し、平塚空襲の概要と実態を紹介している。)

出典
※ 平塚の空襲と戦災を記録する会編『夏期特別展 市民が探る平塚空襲 65年目の検証』平塚市博物館 2010年
※ 平塚の空襲と戦災を記録する会編『市民が探る平塚空襲 通史編I平塚空襲の実相』平塚市博物館 2015年

情報提供(平成31年3月):平塚市総務部行政総務課

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