昭和十八年愛知航空機株式會社ヲ創立シ航空機
ノ製造ヲ以テ能ク太平洋戰爭ノ要請ニ應シタルカ
不幸戰局日ニ利アラス工場亦敵火ニ損壞シ終戰ト
共ニ事業頓ニ中絶セリ
戰後世局ノ艱難交臻リ社業ノ轉換又実ニ容易ナ
ラサリシカ社員克ク戮カシ克ク辛酸ニ耐ヘ以テ社
業ヲ既倒ニ回シ漸ニ今日ニ至ヘリ
此ノ間或ハ職ニ盡瘁シテ中道ニ殪レタルモノ或
ハ職場ヲ死守シテ壯烈戰火ニ玉碎シタルモノ前後
殉職ノ士実ニ五百八十有余人ニ及ヘリ
嗚呼其ノ烈々タル愛社ノ誠心敢鬪奮テ社難ノ打
開ニ盡シタル剛健不屈ノ努力共ニ以テ後進ノ亀鑑
トスヘク敬仰極マリ罔シ
茲工殉職者ノ碑ヲ建テ謹ミテ其ノ遺風ヲ宣揚シ
永ク之ヲ承持シテ以テ社業ノ大成ニ資セムトス
愛知機械工業株式會社
取締役社長 五明得一郎