青函連絡船戦災の碑

基本情報

所在 青森港・青函連絡船八甲田丸の南側
住所 青森県青森市柳川1(JR青森駅 徒歩5分)
連絡先 青森空襲を記録する会 017-777-6200
建立者 青森戦災・空襲六〇周年事業実行委員会
建立年 平成17年7月14日

※H22.11発行「平成22年度 全国戦災史実調査報告書」より
(調査時期H22.7〜10月/情報提供元は、青森空襲を記録する会)

施設の写真

青函連絡船戦災の碑

碑文

背面

碑文

青函連絡船戦災の碑


  青函連絡船は、青函トンネルの完成により廃止されましたが、八〇年
の歴史の中で、「戦災」の悲劇を忘れ去ることはできません。

  第二次世界大戦末期の、一九四五年(昭和二〇年)七月一四日、
米海軍艦載機の攻撃により、物流の大動脈であった青函連絡船「翔鳳丸」
「飛鸞丸」「第二青函丸」「第六青函丸」が、八月一〇日には
「亜庭丸」が青森湾で撃沈され、一三一名の犠牲者を出しました。この中
に、函館船員養成所大沼分所の生徒一四名(当時一四、五歳)がおり、
悲しみを一層大きくしました。

  また、七月一四・一五日に津軽海峡と函館湾でも攻撃を受け、
青函連絡船は全滅をし、乗員乗客四二四名の尊い人命が失われました。

  今も、津軽海峡には「津軽丸」「第三青函丸」「第四青函丸」が、
この航路に殉じた人々と共に、永久の眠りについています。

  青森市民の目前で繰り広げられた、悲惨で残酷な空襲・戦災から
六〇年を経ましたが、今では、当時の惨状を止めるものはなく、人々の
記憶からも薄れ、知らない世代が増え、風化されつつあります。

  青函連絡船戦災から六〇年目に当たり、この悲劇を歴史に止め、
語り継ぐとともに、犠牲となられた方々のご冥福と平和を衷心より祈念
し、この碑を建立いたしました。


 二〇〇五年(平成一七年)七月一四日
六〇年目の空襲・戦災の日に

ページトップへ戻る