【表】
一九四五年
宇和島空襲
死没者追悼
平和祈念碑
【裏】
太平洋戦争末期の一九四五年五月十日わが町は
B29 による初の空襲を受けた爆弾は朝日町一帯
を直撃し家も人も打ち砕き一瞬にして多数の人々
の命を奪いその惨状は目をおおうばかりであった
その後のたび重なる空襲による焼夷弾は火の雨と
なって降りそそぎまたたく間に街の大半を焼き尽
くし逃げおくれて路上或は防空壕の中で焼死または
火傷を負う人が出た焼野が原となった街には
人や物の焼け焦げる異様な臭気が長くこもりその
凄惨さは筆舌に尽し難い私たちは今宇和島空襲で
亡くなられた三百人近い方々をしのび人の命の
尊厳と平和の大切さを心に刻み二度と過ちを許さ
ない決意をこめてこの碑を建立する
一九八九年五月一〇日
宇和島空襲死没者追悼平和祈念碑建立世話人会
【左側面】
宇和島空襲死没者氏名碑
(故人名)