一ツ木延命地蔵菩薩

基本情報

所在 寳満宮(一ツ木神社)
住所 福岡県朝倉市一木174
(甘木鉄道または西鉄電車 甘木駅より 甘木観光バス「一ツ木神社前」下車 徒歩1分)
連絡先 個人であり記載せず
建立者 大刀洗空襲遭難者遺族一同
建立年 昭和20年11月20日

※H25.11発行「平成25年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H25年度)

施設の写真

写真1

写真2

写真3

碑文

【表】

延命地蔵菩薩
(空襲遭難者 故人名)

【裏】

昭和二十年
十一月二十日
建立

説明文

一ツ木延命地蔵菩薩の由来

 古来、当地は北に太平山を仰ぐ静かで豊かな
平和郷であったが、太平洋戦争勃発により、近くの
大刀洗飛行隊を中心に航空廠、製作所、高射砲隊、
陸軍病院等が設置され、一大軍都と化していった。
 かくて昭和二十年三月二十七日、午前十時ごろ、
大刀洗を目標とする米軍のB29爆撃機の大編隊に
よる初の空襲に見舞われたのである。
 折から、修業式の最中であった立石国民学校
児童は警報と共に地方別に急ぎ帰途についたが、
一ツ木地方の児童が生徒隊付近に至るころに、大刀洗の
爆撃が始まりこのまま一ツ木に帰ることが危ぶまれ引率
訓導の指示により学校近くの頓田の森へ退避した
のであったが、不運にも退避し終った刹那、投下された
爆弾により大多数の児童の命を奪ったのである。
即死せし児童二十四名、重軽傷十数名の犠牲を出し
後刻死亡せし児童と合わせて三十二名という大惨事と
なったのである。
 一瞬にしてわが子を失った親の悲しみと、切なさは、
やがて平和を願い亡き子の冥福を祈る心の現われと
して、遺族一同相はかり同年十一月二十日この延命地蔵の
建立となったのである。
 この地蔵は、たとえ国家非常の時とはいえ、
無垢で明るく天使のようないたいけな児童達の
命を爆死という最も無惨な姿で奪われた親心の、
二度とくりかえしてはならない戦争への憤りであり、
恒久の平和を願って止まない叫びであることを銘記
すべきである。

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