じゅうご地蔵

基本情報

所在 栄昌寺
住所 福岡県福岡市西区今宿町491(JR今宿駅 徒歩19分)
連絡先 栄昌寺 092−807−0671
建立者 遺族の皆様、栄昌寺婦人会(移設新築)
建立年 昭和30年6月18日(平成14年5月移設)

※H25.11発行「平成25年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H25年度/情報提供元は、栄昌寺)

施設の写真

写真1

写真2

写真3

碑文

なし

説明文

じゅうご地蔵尊の由来

 第二次世界大戦末期の昭和廿年(一九四五)六月十九日
福博大空襲の際、かねて避難所に目されていた元十五銀行ビル
(現博多リバレイン、博多座)の地下室に退避した地域の人達のうち、
壁が高温化する危険を予感して無理にシャッターを揚げ屋外に
逃れた人は助かったが、周囲総ての火災で電源が切断された後の
地下室はシャッターの開閉できず、外部の人は地下室の危急存亡に
一人として気づくことなくただ必死に東公園目差して逃れつつあった。
高温はじわじわ炎熱の地獄と化し閉じ込められた六十三名の人達から
滲み出た脂汗が、踝を没する深さの溜となる惨状を呈し全員そこで
生命を落とされた。同三十年六月十八日戦災十周年に際し遺族の
皆さんが発起人となり博多区上川端町栄昌寺境内に地蔵様を建
立された。「十五」ビルと「銃後」並びに「自由御」地蔵の三つの言葉を
祈りの心として「じゅうご地蔵尊」と稱名された。焼夷弾で伽藍総てが
灰儘に帰した同寺は半世紀ぶりに西区今宿町へ移転復興するに伴い
この地蔵様も同寺内に移られたが歳月を重ねる間に尊像の傷みも
増しつつあり、この度栄昌寺婦人会が浄財を拠出して堂宇を新築
寄進しました。戦火により非憤の生涯を了えられた人達の供養と、
戦争の悲惨さ更に平和の尊さを、この地蔵様を体していつまでも後世
に語り伝えたいと念ずるものです。
平成十四年五月吉辰

浄土宗 栄昌寺婦人会

ページトップへ戻る