所在 | 普光寺公園 |
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住所 | 福岡県大牟田市今山2538(JR大牟田駅より 西鉄バス「普光寺」下車 徒歩10分) |
連絡先 | 大牟田の空襲を記録する会事務局 0944−58−3018 |
建立者 | 大牟田の空襲を記録する会、平和モニュメントをつくる会 |
建立年 | 平成6年7月27日 |
※H25.11発行「平成25年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H25年度/情報提供元は、大牟田の空襲を記録する会事務局)
【表】
大牟田空襲の碑
空赤く燃えひろがれど壕の中
寄れる亡骸を見きわめ難し
山本和夫
【裏】
大牟田市は、十五年戦争末期、アメリカ軍に
よって、つぎのように五回の空襲を受けた。
一九四四年十一月二十一日
一九四五年 六月 十八日
同 年 七月二十七日
同 年 八月 七日
同 年 八月 八日
これによって、大牟田の市街地は瓦礫の原と
化し、死傷者およそ三千人、罹災家屋一万二千
戸以上という多大の犠牲を出した。
アララギ派の歌人山本和夫も空襲によって
妻子を失った。この碑に刻まれた歌は、その直
後に詠まれた十一首の中の一首である。
ここに、大牟田の空襲を歴史に留め、恒久の
平和を祈念して、この碑を建立する。
一九九四年七月二十七日
大牟田最大の空襲の記念日に
大牟田の空襲を記録する会
平和モニュメントをつくる会