所在 | 太田中央公園(旧太田市民会館前) |
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住所 | 群馬県太田市飯田町819(東武鉄道 太田駅 徒歩5分) |
連絡先 | 太田市 都市政策部 花と緑の推進課 0276-47-1111(代表) |
建立者 | 太田市戦災被爆者遺家族の会、慰霊記念の碑建設委員会 |
建立年 | 昭和52年8月10日 |
※H22.11発行「平成22年度 全国戦災史実調査報告書」より
(調査時期H22.7〜10月/情報提供元は、太田市)
【表】
太田市戦災被爆者慰霊記念の碑
太田市長 戸澤久夫書
安らかに
この国の永遠の
平和を祈念して
建設大臣
長谷川四郎書
わが太田市は、太平洋戦争の末期、昭和二十年二月十日、
二月十六日、二月二十五日、四月四日、七月二十八日、
八月十四日と数度にわたって、はげしい空襲に見舞われ
その度毎に数多くの死傷者が続出したが、現在の
太田市在住の遺家族数は、五十五家族、その被爆犠牲者
は壱百弐名に及んでいる。
ところで、戦後における国の援護の実状は、民間の被爆
犠牲者には、その処遇も行われないまま、すでに
三十有余年の年月を経てきたのである。そのため、本市鳥山
に存在する大越福は、昭和四十五年十二月、太田市戦災
被爆者遺家族の会を結成し、その会長となって 私財を
投じて国会等に対し、強力な陳情活動を続けたのである
時あたかも今年昭和五十二年は、被爆犠牲者の三十三
回忌にあたり、市当局並びに市民各層の協力のもと
太田市戦災被爆者慰霊祈念の碑の建設となったのである。
このことは、この国の永遠の平和をこいねがう被爆
遺家族のせめてものねがいでもあり、こゝに記してその由来
とする所以である。
昭和五十二年八月十日
広田良撰文