四日市空襲殉難碑

基本情報

所在 鵜の森公園
住所 三重県四日市市鵜の森1-251
(近鉄電車 近鉄四日市駅 徒歩5分)
連絡先 四日市市 福祉部 福祉総務課 059-354-8109(直通)
建立者 四日市空襲殉難碑建立委員会
建立年 昭和55年6月18日

※H23.11発行「平成23年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H23年度/情報提供元は、四日市市)

施設の写真

四日市空襲殉難碑

碑文(表)

全体(裏)

碑文

【表】

平和の誓い
四日市空襲殉難碑




【裏】


殉難碑撰文
 昭和十六年十二月八日に勃発した太平洋戦爭
は、ポツダム宣言受諾によって、同二十年八月
十五日遂に我が国の敗戦に終った。
 この間、アメリカ空軍重爆撃機B29による
日本本土への空襲は日ましに激化し 戦禍はとど
まるところを知らなかつた。海軍燃料廠をはじ
め多くの工場群を擁した四日市市も、前後六回
にわたる苛烈な爆撃により壊滅的被害を受けた。
 わけても最初の爆撃を受けた六月十八日の
災禍は悽愴の一語に尽きる。即ち午前零時四十五
分頃から約一時間にわたり、B29三十五機の、
三万発におよぶ油脂焼夷弾等の絨毯爆撃により
市街地は灼熱のるつぼと化し、退路を断たれた
多くの市民は、阿鼻叫喚の巷を彷徨した。炎の
犠牲となるもの、壕に閉され窒息死するもの、
身をかえりみず消火に一命を賭するもの、あわ
せて八百余名にのぼった。恐怖の一夜が明ける
と、一望焦土と化した焼跡に、ただ呆然とたた
ずむもの、未だ硝煙のくすぶる中を、肉親を求
めて右往左往するもの、まさに戦爭のうんだ
悲劇である。
 終戦後三十五年を経た今日、各方面の浄財に
よって、ここに新しく四日市空襲殉難碑を建立
しその霊の安らかなることを願い、後世悲惨な
る戦爭の絶滅を期し、世界永久の平和を祈念す
るものである。

四日市空襲被災記録

被爆年月日昭和二十年六月十八日、同二十二日、同二十六日
七月九日、同二十四日、同二十八日
戦災死者八百余名
重軽傷者一、七三三人
被災人口四九、一九八人
被災戸数一〇、四七八戸

昭和五十五年六月
四日市空襲殉難碑建立委員会

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