海鳴りの像

基本情報

所在 旭ヶ丘公園(対馬丸記念館裏)
住所 沖縄県那覇市若狭1−26−5
(沖縄都市モノレール 旭橋駅または県庁前駅 徒歩15分)
連絡先 戦時遭難船舶遺族会 個人宅のため記載せず
建立者 戦時避難船舶遺族会
建立年 昭和62年6月23日

※H25.11発行「平成25年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H25年度)

施設の写真

写真1

写真2

碑文

【表】

海鳴りの像


【表下部】

海鳴りの像

 第二次世界大戦(太平洋戦争)で沖縄県は、
全国で唯一地上戦が闘われ、軍・民併せて
二十万余の尊い命が犠牲になりました。戦後
六十二年経った今日なお、戦争で犠牲になった
人々の遺骨がいまだに山野に残されたままに
なっています。他方沖縄県は、離島県である
が故に、海で犠牲になった県民は三四〇五人
(沖縄県調査)にのぼります。学童疎開船
「対馬丸」を初め、軍需工場に向かった
若者や女子挺身隊・少年航空兵になるために
乗船した者・召集令状を受け、郷里から出征
しようと本土から沖縄に向かったもの・満州
開拓団から帰郷した者・南洋方面から軍命に
よって強制送還された者などです。

 沖縄県民が乗船して撃沈された戦時遭難船舶
は二六隻です。海なりの像には、対馬丸を除く
二五隻の船舶で犠牲になられた県民一九二七人
(沖縄県調査)の霊を祀ってあります。二度と
再び悲惨な戦争は起こしてはならないと堅く
誓い、犠牲になられた御霊に心から追悼の誠を
捧げます。戦時遭難船舶遺族会は、一九八七年
六月二十三日「海鳴りの像」を建立しました。
二〇〇七年六月二十三日、赤城丸(四〇六人)
・嘉義丸(三六八人)・開城丸(十人)・
湘南丸(五七七人)・台中丸(一八六人)
など五隻の犠牲者(一五四七人)の「刻銘板」
を建立しました。

戦時遭難船舶遺族会

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