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静岡市戰禍犠牲者慰靈塔

基本情報

所在 賤機山山頂 浅間山観音広場
住所 静岡県静岡市葵区宮ヶ崎町 賤機山山頂
(JR静岡駅より しずてつジャストライン「赤鳥居」下車 徒歩30分)
連絡先 個人であり記載せず
建立者 観音像建立協賛後援会
建立年 昭和44年12月

※H24.11発行「平成24年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より

施設の写真

全体

説明文

横

碑文

静岡市戰禍犠牲者慰靈塔

六鵬玄和薫沐齋戒謹書

説明文

救世観音菩薩縁起
吾が静岡市は昭和十九年十一月五日南太平洋マリヤナ基地よりB29一桟
本市上空に初めて侵入してより昭和廿年八月十五日終戦に至る旧字殆んど
連日の如く侵攻し特に本市上空は京浜都市及び中京都市爆旧字の経路とし
て空襲警報発令極めて烈しく其の為市民は心身共に恐怖と疲労に陥り且
戰時体制下に於ける生産活動能力は頗ぶる低下を来たしその間に受けた
被害は非常に大なるものがありました 静岡市の受けた空襲による被害
は被爆度数十二囘死者一、八一三名重傷者八三〇名全半旧字建物一四八戸焼
失建物二五、二三九戸罹災者一一八、七四六名の多きに上り特に昭和廿年六
月十九日夜半過ぎよりB29の大挙来襲により受けた空襲により全市が旧字滅状態となりました 其の状況はB29百桟零時五十分から三時四十分に
至る約三時間単桟及数桟にて波状的に飛来し大型小型の焼夷彈を無数
に投下し密度の旧字い絨毯爆旧字を行った次第であります 其の被害状況は
罹災世帯数二四、四五九罹災者一一〇、〇四六名死者一、六六九名重傷者八〇
〇余名其の后重傷者中死亡した者多数に及びましたなお本市は去る昭和
十五年一月十五日の大火に罹り全市の大半を焼失しましたが犠牲者は僅
か一名の死亡のみに止りました 然るに今次の戰禍の如何に凄惨たる事
は皆様の知悉する処であります 戰災者は永年の家産と貴き人命を一朝
に失い其の惨状は筆舌に盡す事は出来ません 雨霰の如く落下する焼夷
彈の中を老人子供或は病人等何の罪もない非戰斗員か逃げ惑い夫は妻を
庇い妻は吾子を護り阿鼻叫喚宛ら地獄絵巻其の儘でありました 私は比
のような多数の犠牲者に対し眞に御気の毒にたえません 然も一家全滅
の憂目をみられ祭祠の出来ない数多くの方がある事を知りまして御慰靈
追悼申し上げると同時に人類生存上再度斯様な人災は構成しない様発願
致しました猶其他内地外地に非戰斗員が千数百人の多数の戰禍のため犠
牲となられても國家社会は年月の去ると仝事に忘れられて行く状態は御
靈と御遺族の心境に対し眞に同情に堪えませんので合祠させて戴き全市
民の皆様と倶に永久に四恩報謝の誠意を捧げたいのであります 時至り
まして元市会議員団市連合町内会婦人団躰その他諸団躰各位のご協力と
御援助を旧字りまして静岡市随一の名勝地賤機山の聖地に安置されて有縁
無縁の象生の菩提を済慶し慈眼を以て象生を視たまい福聚圓満なる御姿
と観音妙智力の功徳により御靈の冥福と倶に静岡市民の安泰と子孫繁栄
曵ては世界人類の平和と幸福を念願いたす事が目的であります
昭和四十四年十二月吉日       謹誌 喜壽福松
西暦一九六九年     建之     書刻 横井石堂

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