戦災供養地蔵尊

基本情報

所在 山中坂
住所 東京都立川市富士見町5(JR立川駅より西武バス バス停「富士見町五丁目 」下車 徒歩7分)
連絡先 個人であり記載せず
建立者 遺族有志
建立年 平成7年4月2日

※H22.11発行「平成22年度 全国戦災史実調査報告書」より
(調査時期H22.7〜10月)

施設の写真

戦災供養地蔵尊

碑文

歌碑

碑文

  太平洋戦争の末期、
立川は一九四五年(昭和
二十年)二月十六日から
八月二日までの間、少なく
とも十三回の爆撃を受け、
三百三十余名が犠牲
となった。

  ここ山中坂にあった
横穴式防空壕は、四月四日
未明、B29が投下した爆弾
が直撃し、中に避難し
ていた子どもたち三十二
名をふくむ四十二名が
死亡した。

  平和をねがい、思いを
おなじくする私たちの
挙出金と、土地所有者の
株式会社伊藤商店のご協力
によってこの歌碑を建立
し、戦争の悲劇を再び
起こさないことを誓います

一九九五年四月二日

歌碑

山中坂悲歌
作詞 小沢長治  作曲 新田光信

夜明けが遠い 闇の中
山中坂の防空壕に
息つめよりそう四十一人
子ども年より女の人
爆弾積んだ飛行機がくる

闇をひきさき とどろく音
防空壕に爆弾が落ちた
埋められた四十一人
子ども年より女の人
二度とかえらぬみんなの命

ああ 悲しみが坂を流れる
桜の花がなきがらに降った
あの日のように花びらが舞う
山中坂よ 小さなほこら
お地蔵さまに祈る誓い

あの悲しみを くり返さない
あの悲しみを くり返さない

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