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戦災復興記念像(天女の像)

基本情報

所在 富山城址公園
住所 富山県富山市本丸1
(JR富山駅、富山地方鉄道 電停 「電鉄富山」 徒歩10分)
連絡先 富山市 076−431−6111(代表)
建立者 富山復興特別事業協議会
建立年 昭和49年8月1日

※H24.11発行「平成24年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H24年度/情報提供元は、富山市 )

施設の写真

引き

ヨリ

碑文

碑文

【表】

戰災復興記念



【裏】

 昭和二十年、太平洋戦争は激烈の度を
加え 八月二日未明 富山市は B29
七十余機の焼夷爆弾攻撃を受け 市街地は
一瞬にして焦土と化した
 約二万五千の世帯 十一万人の市民が
罹災し 約八千人が重軽傷を負い 二千
二百七十五人が尊い生命を失い まさに
壊滅の状況に置かれた
 惨憺たる焼土と絶望の虚脱の中から
富山市民は 平和を渇望し郷土の復興に
気力を燃やし 槌音高く 県都富山の
再建に立ち上がった
 以来二十有余年 市民の決意と総力の
結集が実を結び 戦災復興の大業が成り
近代的都市が出現した
 ここに
 恒久の平和を念願するとともに
尊い犠牲に敬虔な祈りを捧げ
市民の努力の偉大な業績を記念して
戦災復興記念像を建立する
    昭和四十九年八月一日
富山県知事  中田幸吉 題
富山市長    改井秀雄 録


【右側面】

推進団体
富山復興特別事業協議会

※個人名

原型 米 治一
鋳造 株式会社 竹中製作所

説明文

戦災復興記念像(天女の像)の説明版

 昭和二十年、太平洋戦争は激烈の度を加え、
八月二日未明に、富山市は、B29百七十余[原文ママ]機の焼夷爆弾攻撃を受け、市街地は一夜にして焦土
と化しました。
 約二万五千の世帯、十一万人の市民が罹災し
約八千人が重軽傷を負い、二千七百余人の尊い
命が失われ、まさに、壊滅的な状況になりました。
 惨憺たる焼土と、絶望の虚脱の中から、富山
市民は、平和を渇望し郷土の復興に気力を燃や
し、槌音高く、県都富山の再建に立ち上がりま
した。
 市民の決意と総力の結晶が実を結び、戦災復
興の大事業が完成し、今日の近代的都市に生ま
れ変わりました。
 この天女の像は、恒久の平和を念願するとと
もに、尊い犠牲に敬虔な祈りを捧げ、市民の努
力による偉大な業績を記念して、富山復興特別
事業協議会により、昭和四十九年八月一日に、
戦災復興記念像として建立されたものです。
平成二十年八月一日
富山市

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