【表】
戰災復興記念
【裏】
昭和二十年、太平洋戦争は激烈の度を
加え 八月二日未明 富山市は B29
七十余機の焼夷爆弾攻撃を受け 市街地は
一瞬にして焦土と化した
約二万五千の世帯 十一万人の市民が
罹災し 約八千人が重軽傷を負い 二千
二百七十五人が尊い生命を失い まさに
壊滅の状況に置かれた
惨憺たる焼土と絶望の虚脱の中から
富山市民は 平和を渇望し郷土の復興に
気力を燃やし 槌音高く 県都富山の
再建に立ち上がった
以来二十有余年 市民の決意と総力の
結集が実を結び 戦災復興の大業が成り
近代的都市が出現した
ここに
恒久の平和を念願するとともに
尊い犠牲に敬虔な祈りを捧げ
市民の努力の偉大な業績を記念して
戦災復興記念像を建立する
昭和四十九年八月一日
富山県知事 中田幸吉 題
富山市長 改井秀雄 録
【右側面】
推進団体
富山復興特別事業協議会
※個人名
原型 米 治一
鋳造 株式会社 竹中製作所