政策評価フォーラムの概要

(高松会場)


日時  平成18年12月11日(月)13時30分〜16時00分
会場  ホテルニューフロンティア
主催  総務省

政策フォーラム写真


13時30分 開会  (司会:吉開 正治郎 総務省行政評価局政策評価官)

13時30分〜13時35分 主催者挨拶  
 石川 信義 総務省四国行政評価支局長

13時35分〜14時00分 基調講演  
「政策評価の新たな展開」
 丹羽 宇一郎 伊藤忠商事株式会社取締役会長
           政策評価・独立行政法人評価委員会委員長

 政策評価制度が導入されたのは、約6年前の中央省庁等改革の時である。それまで、複雑でわかりにくい行政の仕組みを効果的、効率的にするため中央省庁の機能と組織を再編統合したものである。この改革は、明治維新、あるいは第二次大戦後の戦後改革と並ぶ改革と言われ、戦後型の行政の仕組みを21世紀型のわかりやすい行政システムにしようということが目的であった。
 第二次大戦直後の日本の人口は約7,700万人であり、以降約50年間で約5,000万人の人口が増加し、1年に100万都市が1つずつ増えてきた計算になる。その間、日本の行政システムはほとんど変わっておらず、人口の増加とともに行政も肥大化してきたというのが実態である。
 この改革の柱の一つとして導入された政策評価である。行政は、従来、法律の制定や予算の獲得などを中心目的として力を注いできた傾向が強く、社会経済情勢の変化に基づき政策の効果を点検し、見直していくといった機能が軽視されがちであった。つまり、こういった観点から、政策の事前の評価、実行する過程での評価、あるいは事後に行う評価など、チェック機能を高めていこうというのが政策評価の大きな目的である。
 本日来場されている方の中には企業の方もお越しになっていると思うが、民間企業で言えば、経営の目的や方針というものが正しいか、どれだけ達成できたか、どのような欠点があったかということは当然逐次チェックされ、次の目標や経営方針にどう生かしていくかといった評価機能は当たり前のように以前からやられていたはず。
 なぜ国の行政においては行われていなかったかというと、それは、行政に税金を使ってやっているというコスト意識が欠けていたとしか言いようがない。したがって、当然やらなければいけない「無駄を省く」、「逐次見直していく」といったことを「仕組み」としてやるというのが政策評価制度の一番の目的である。
 また、自分からみても、行政にはわからないことが多くある。例えば、いわゆる役所言葉というものがあるが、ある政策に関して、「検討する」「検討に着手する」「見直す」という言葉がよく出てくる。これらについてみると、政策なりがどの程度どう進んでおり、どれが一番進んでいるのか、その違いが極めて分かりづらい。実際は、どれもほとんど変わらないということのようである。このようなことが国民と行政の間に意識の乖離(かいり)の原因となっている。したがって、行政側は、国民に物事をわかりやすく、簡素に示していく必要がある。
 ここで、政府がこれまでの政策評価について、どのような取組を行い、どう成果を上げてきたかを若干報告する。
 欧米では、すでに10年以上前から、政策評価が行われてきているが、日本では実質的には政策評価法が施行されてまだ4年半ぐらいしか経っていない。ただ、歴史は浅いが、その成果は総務省を中心に着実に上がってきてはいる。政策評価は、まず各府省が所管する政策を自ら評価することが基本であるが、現在、毎年約1万件の政策評価が実施されている。
 制度が導入された当初は、各府省の職員の政策評価に対する意識がいま一つ希薄な部分もあったが、最近では急速に政策評価が行政のマネジメントのために、いかに大事であるかということが浸透しつつある。
 また、もう一つの大きな成果として、評価が予算に結び付き始めたということである。制度導入初期の頃は、評価結果を報告する評価書の作成が遅く、財務省に提出する翌年度概算要求の締切りである8月末の期限までに間に合わないこともあったが、現在では全ての府省が期限までに評価を終え、財務省の予算査定に評価の結果を活用するといった流れが確立されている。
 このほか、評価をより客観的かつ明確化するため、できるだけ政策目標の数値化を心がけており、14年4月の政策評価法導入後の4年間で数値化の割合が34%から55%に向上している。
 さらに、評価に基づき、事業効率が悪い等の理由で事業そのものを中止・廃止したものが公共事業を中心にこの4年間で約3兆2千億円に及ぶようになっている。
 他方、各府省単独ではできない評価もあり、複数府省にまたがるODA関係、留学生対策、リゾート対策といった政策を府省横断的に評価する場合は、総務省行政評価局が行っている。
 また、総務省行政評価局では、各府省の行った評価が甘いものとなっていないかを客観的にチェックする評価についても実施している。例を挙げると、厚生労働省が行った評価で、国の補助事業で旭川市の忠別ダムの水道水源開発施設整備事業の評価というものがあるが、これは市の人口が今後増加していくという推計に基づき、将来水不足が起きるため、水源の開発施設を整備する必要があるという評価である。ところが、最近の各種人口予測によると、当該市における将来人口はいずれも増加でなく減少するというものであり、この結果、総務省では人口予測推計に問題があるとの指摘を行い、再評価すべしとの意見を行ったところである。これを受け、厚生労働省は再評価を行うこととなった。
 このように、各府省では国の行政をよくしていくための取組が着実に進展してきており、成果を出してきている。
 もちろん進展しているとはいえ、評価制度には様々な課題もある。政府では政策評価法施行後3年を経過した段階で、施行状況について検討し、必要な措置を講ずるとしていたところであり、自分が委員長を務める政策評価・独立行政法人評価委員会でも16、17年度にかけて各府省からヒアリング等を行い、調査審議し、その結果を答申したところである。これを受け、昨年12月に政策評価に関する基本方針の改定が閣議決定されたところである。この改定の主なポイントは、1)重要政策に関する評価の徹底、2)評価結果の予算要求等への反映、3)評価の客観性の確保、4)国民への説明責任の徹底、である。今後もこうした課題に着実に取り組んでいき、制度の進展を図っていく必要がある。
 最後に、本日のテーマにもある今後の政策評価制度の新たな展開として、一つの例を紹介する。それは規制の事前評価というものである。規制とは、社会秩序の維持、防災、環境保全、消費者保護といった行政目的を実現するため、国や地方公共団体が国民や事業者の権利・活動を制限し、一定の義務を課すものである。規制の事前評価とは、規制を設けることによって、それが国民や企業にどのような影響を及ぼすか、あるいは規制を撤廃することによってその後どういう影響があるかなどについて評価・公表し、規制の制定・改廃における客観性・透明性の向上を目指すものである。
 これについては、諸外国では規制影響分析(RIA)と言われ、欧米では1980年代以降、取組が進んでいるが、我が国でも規制の導入・改廃が自由な経済活動にどういう影響を及ぼすかなど、その導入について取組の推進が図られているところである。
 このように、政策評価制度の精度をさらに高めて行政の中に浸透させていくということが大事であり、今後とも政策を企画(Plan)し、実行(Do)し、それを評価・分析(Check)し、そして次の政策の企画に反映させる(Action)PDCAサイクルをきっちり実行させていく必要があり、われわれ評価委員会としてもしっかりとウォッチをしていきたいと考える。
 今後とも行政をよくしていくため、政府と国会、あるいは地方公共団体、経済界、各種学会、民間団体、報道機関、そして国民の各界各層との間で政策評価を通じて対話と相互理解を構築していきたいと考える。
 これまで政策評価制度を国民、各層の方々により理解をしていただくということで、一昨年が東京、大阪、福岡、昨年が札幌、名古屋、広島で、そして今年が仙台とこの高松でフォーラムを開催し、国民の方々の理解も徐々に深まってきている。
 政策評価が21世紀型の行政のしくみにさらに浸透し、よりよい行政の構築に役立っていくことを期待している。


14時00分〜14時30分 講演  
「政策評価と予算編成、計画行政 地方自治体の経験を中心に」
稲沢 克祐   関西学院大学専門職大学院経営戦略研究科教授

→(資料参照(PDF))
 本日は、政策評価と予算編成、計画行政との連動というテーマについて、地方自治体ではどのように政策評価が進められ、予算編成との連動、政策目標の数値化の試みなど事業や施策のあり方にどう生かしているかという視点で話をさせていただく。
 地方自治体のうち、市町村については地方自治法において基本構想の策定が義務付けられており、都道府県においても、義務付けはないにせよ、例外なく計画行政である総合計画を定めた上で行政を進めている。政策評価については、こうした総合計画の構造に合わせて、自治体においても大きく分けて政策、施策、事務事業という国と同様のピラミッド型のしくみで行われている。
 ただし、多くの自治体では、この三層構造を取るというよりも、政策・施策評価という形で、自治体のガバナンスの面からトップダウンで評価を下していく部分と下からのボトムアップで事務事業を評価していく部分の2層構造と言える。それぞれガバナンス評価とマネジメント評価という片仮名で呼んでもよいだろうし、あるいは政策評価と執行評価という呼び方をしている方もおられるが、そういった二層構造を取っているところが比較的多く見受けられる。
 この二層構造は、事務事業、施策、政策の関係がそれぞれ目的と手段の関係になっている。図表―2にある例で言えば、「救急医療情報システム整備事業」という事務事業は、「個々の患者の状態に合った適切な医療機関を迅速に紹介すること」という手段によって、太字で書いてある「救急患者に適切かつ迅速な医療措置を図る」という目的を達成するという流れになる。
 そして、この事務事業の目的である「救急患者に適切かつ迅速な医療措置を図る」がそのまま施策の手段に転化し、「救命救急医療体制の充実施策」という施策の手段になる。この手段を用いて、四角囲みの「誰もが適正で迅速な医療を受けられるようにする」という施策の目的を達するという流れになる。さらに、この「誰もが適正で迅速な医療を受けられるようにする」という施策の目的が転化してその上位の政策、ここでは「基本施策」といっているが、政策の手段として「誰もが適正で迅速な医療を受けられるように図る」ことで、「誰もが安心して暮らせるようにする」という政策の目的に達するということになる。
 そして、評価の際、これら目的、手段を、目的では成果指標、手段では活動レベルの指標という数値化を試みるのである。
 この目的、手段の構造に一つ一つの事務事業が位置付けられないのであれば、何のために評価をやっているのかということになってしまうので、ここで第一段階の事業整理がされることになる。
 ただ、事業は整理されたものの、実際の行政では、国もそうであるが、図表−3をご覧いただくと、進めていく中で必ずその達成に1年間でできることと、あるいは3年〜5年という中・長期にかけてできることと、こういった違いがある。そこで、その費やす時間に対して評価のあり方も変えたらどうかという話が出てきて、3年であれば実施計画、5年あるいは6年ぐらいであれば基本計画前期・後期、単年であれば年度計画である。このそれぞれの計画によって、PLAN・DOの後、これまでSEEがなかったのであれば、それぞれの階層にSEEを作り、3〜5年の中長期の実施計画であればDO(執行)のあとに施策評価を行って、達成できるような成果目標を設定していくという仕組みになる。
 もちろん、財源が伴うので、表にある中期財政計画では、例えば地方債残高をどれだけ減らして、後に続く世代に負担をどれだけ減らすことが我々はできたのかということを見るということも同時にやっていかなければならない。同じように、年度計画については1年実施した後は事務事業評価でSEE(評価)を行うという、2層構造が作られていくことが必要である。
 次に2ページ目の施策評価の考え方については、国においては、「施策レベル」あるいは「省庁横断的」な評価として、地方自治体の場合には、単体の組織内になるので、「部局横断的」な評価として、施策という単位で評価を行なっている。これは、先ほど申し上げたように、評価が3年〜5年の計画に連動したものであるとの理解で施策を考えるとどうなるかというものである。
 施策評価を「事務事業」の束と理解してしまうと、少し狭い理解になってしまい、施策目的を達成するための論理的な構造を持った事務事業の組合せということになろう。
 このように理解すれば、例えば、手段としては妥当だということが確認された事務事業について、限られた資源の中で施策目的を達成するにはどう優先順位付けをしていったらよいかという、施策評価を行う目的が出てくる。
 さらに、施策評価における指標はどういったものを設定すればよいかということになってくる。事務事業の束であるという理解ではなく論理構造を持っているというところに着目すれば、施策の目的を達成するために最も近道かつ安上がりに行うにはどうしたらよいかを考えていくのである。
 そのためには、やはり施策評価ならではの構造を作る必要があり、図表−4では、その事実、つまり役所が執行した事実をしっかり数値化する部分と、県民、市民にどう受け止められているのかをできる限り把握する部門に分けて評価する必要がある。一生懸命やって、やるべき目標も達成したにもかかわらず、県民、市民の受け止め方と乖離がある場合、その理由を求めて次に活かしていく。
 例えば、もし乖離があるならば、どうしたらその乖離が縮まるのかということを施策評価の視点から見ていくと、Aという事務事業がどうも弱いらしいと、こういうような議論をしていくわけである。
 したがって、評価は魔法の杖でも何でもなく、評価をすれば事務事業のこれが弱いと特定されるのではなく、常に事業をあるいは施策を執行している部局横断的な人たちの話し合いが必要になってくる。
 そう考えると、施策単位で部局を統一させていき、どういう部局にどう予算が付いているかというのを縦、横のマトリックスで見ていく。仮に一つの施策に3部局の予算が付いており、これでは話し合いが付くはずがないというのであれば、それぞれの予算を一つの部局に集めて1施策1部局という組織構造を作っていく。同じ部局の部局長を筆頭とする中で各課長が施策目的の達成のためにどうしたらよいかを考えるという構造にすれば、施策評価の実効性はより高まるだろう。
 図表−4では、子育て支援の充実という施策例を挙げているが、ここで市民意識調査を行えば、表にある「子育てをしやすいと感じている保護者の割合」といった受け止められ方が出てくるだろうが、実際には仮にこの調査が全数であったとしても出てこない部分もあり、その場合に直接保護者に聞いてみるインタビューや、同じテーマで何度も何度も時期を変えて聞くフォーカスグループというものを作って、その人たちから常に意見を承るというようなことをして、多方面から意見を聴取する必要もある。こうして常に自分たちがやっている仕事と市民の意識を突合させて成果達成率を見ていくというスタンスが必要であろう。
 図表−5は、施策目標を数値で表した例である。公園・緑地という施策を例に挙げているが、「ゆとり」ということを考えたときに、量より質の豊かさを追求するという現在の価値観から、地域における公園・緑地ということは欠かせない要因であると考えるとさまざまな指標が出てこよう。
 この場合だと、何をやったかというハード面で表す数値については、どこの自治体でもある程度簡単に作れるので、他の自治体と比較できる形にして、A、B、C、D、E市を比較する。そして、図表−6を見ると、A市は「人口一人当たりの公園面積」などでは決して数値的に劣っているわけではなく、やることをしっかりやっているという評価ができる一方で、「250m以内」あるいは「500m以内に公園のある住宅の割合」という指標でみると、「果たして住民のニーズに応えられているのだろうか」ということが数値上明らかになり、利用しづらいと住民が感じているのであれば、住宅地に近接した所に公園を作るという具体的な改善方法も出てくる。比較することで自らの自治体の課題が浮き彫りになってくるということである。
 そして、図表−7は、市民の施策に対する受け止められ方について示したものである。横軸が施策の重要度に関する市民の認識、縦軸が施策の満足度に関する市民の認識を示したものである。この縦軸と横軸をクロスして見ていくと、右上は「重要だと思うし、市町村、県がやっている仕事に満足している」ということになる。他方、左下は「重要だと思わないし、満足もしていない」ということになる。
 ここで言えるのは、右上や左上の満足度の高い部分には今のレベルを落とさないよう維持していき、右下の「重要だと思っているにもかかわらず満足をしていない」に自治体の限られた資源の集中化が図られるべきとなる。
 そうなってくると、先ほどのフォーカスグループインタビューなどの細かな情報収集により、満足していない点は何かということがわかってくる。その後、数値で把握するということになる。
 そもそも、税金を負担している国民、住民に対して、いかにその満足度を高められるかが行政の使命であり、国民、住民は、税金というかたちで自らの財産権の一部を政府・自治体に信託をしているわけである。そこに、政府・自治体は受託者責任、スチュワードシップというものが派生し、そのスチュワードシップを会計、アカウントというもので一つ一つ説明していく。この説明の過程をアカウンタビリティというが、政府・自治体にあっては会計による財務数値だけでは、なかなか説明しきれないと思う。
 だからこそ、評価指標による数値評価が必要になるというところに、政策評価がある以上、どこに満足をしていないのかをあぶり出した上で、評価指標の目標達成に努めるという役割に力を注ぐということになる。
 施策のレベルになると、この目標達成度と住民の満足度をクロスして分析できると思うので、ヒトやモノやカネという資源をどうメリハリをかけて配分していけば、最も少ない資源でより大きな満足感を国民、住民の皆さんに得ていただけるか、政府・自治体は国民・住民の負託、信託にいかに応えることができたかを示すことができるようになる。
 最後に、「予算編成と事務事業評価」について触れたい。地方自治体の場合、特に事務事業評価においてその活用が表れてくると思うが、図表−8にあるように評価表そのものの中にしっかりPlan、Do、Check、Actionを組み入れていくことで、行政のプランに生かされ、行政の改善につながっていく。そのためには、Actionの際、Checkで見つけ出した課題をきちんと処理し、Planに投げ返すという考え方が必要になってくる。そこで取り上げるのが予算といかにつなげたらいいかという点である。
 図表−9の事務事業の中に「成人保健予防事業」というのがあるが、評価表に記載された改善内容では、「成人保健予防時に行っていた相談事業については利用が少ないため廃止する」という改善案が出て、その改善案があくまで廃止ということであれば、250万円のコスト減となるが、ただ、完全に相談事業がなくなるということも実際はあり得ないだろうから、つまり委託は廃止するも、ある程度直営部分で残すということを考えれば、若干の人件費の増加があるということが書かれている。
 このように、予算要求に当たって、必ず評価表の中にあった改善案の内容を盛り込む形で評価と予算とをつなげる仕組みを作ることが大事である。
 また、予算とつなげるためには、そもそも予算の使い方を実際に仕事している現場の人たちにできる限り分権していくという動きと、一方で査定する側がどういう情報を必要としているかという視点から評価情報を充実させていく動きという二つの方向がある。
 前者は、分権の考えに立って枠配分予算という予算編成方式の変更になるだろうし、後者の場合は、査定を堅持するという立場から予算情報をできる限り充実していくということなる。今後は予算査定部局の査定の視点を明らかにする、いわば予算査定のオープン化ということが前提条件として加わるということになると思う。

14時30分〜16時00分 パネルディスカッション
<コーディネーター>
木村 陽子      地方財政審議会委員、
政策評価・独立行政法人評価委員会政策評価分科会専門委員
<パネリスト>  
中野 等          四国新聞社 編集局次長 論説委員
井原 理代       香川大学大学院教授 地域マネジメント研究科長
丹羽 宇一郎   稲沢 克祐

(木村)
 本日は「政策評価の新たな展開」というテーマで、基調講演・講演の内容を踏まえつつ、今後の政策評価について議論をしていきたいと思う。政策評価法が施行されてから4年半ほど経過し、定着の段階を終え、次のステップに進んでいく中で、今の政策評価について思うこと、さらに、評価の予算への反映といった課題などについても議論を深めていきたい。
 まずは、会場にお越しの方々に政策評価をより理解していただくために、各府省が自らの所管する政策について評価した事例や総務省が行う複数府省にまたがる政策について評価した事例等について、説明したいと思う(以下、事務局から会場配付資料のパンフレットに基づき説明)。
→(パンフレット4、5ページ参照(PDF))
(木村)
 今、説明のあった国の政策評価の事例等について、まずはパネルディスカッションからご参加いただいている中野さん、井原さんにご発言いただきたいと思う。「もっとこうすべき」、「こうあるべき」といった厳しい意見でも結構なのでよろしく御願いしたい。
(中野)
 先ほどの丹羽委員長の講演にもあったように、省庁再編の中でこの政策評価制度というものが論議されてきて、いま本格化されているわけだが、わが社の新聞ではどの程度、この評価制度を取り上げてきたかを調べてみた。これまで政策評価制度についての記事掲載はわずか3件しかなく、記者の認識も非常に低いと言わざるを得ない状況だ。
 政策評価制度に関していろいろ考えたが、結論は「行政とは一体誰のためにあるのか」という視点だと思う。政治や行政は、政治家や官僚のためにあるのではなく、国民、住民のためにあるということである。
 ところが、これまでの行政システムをみると、一部の新聞等を賑わしている官製談合や年金問題など、国民不在の行政がまかり通っているという気がする。もちろん、その責任の一端はわれわれマス・メディアにもある。いわゆる大きな事件ばかり追いかけて、行政の透明性を図る大事な評価制度の重要性を十分に報道してこなかったことに対して反省をしなければいけないと考えている。
 香川県の例を申し述べると、瀬戸大橋開通の際の喧騒、それから東四国国体の時の箱物重視の施策の推進といった時に私たちは華やかな紙面展開をしてきた。ところが、瀬戸大橋の利用低迷や東四国国体関係で出来上がった立派な建物はどうなっているか、十分利用されていないのではないか、などその後も種々の問題が出てきている。こうした維持管理費に貴重な血税を使っているという現状を打開しようとして指定管理者制度とか市場化テストというものが最近議論されているが、こうした無駄な予算執行について政策評価という制度がもっと前からあれば少しは是正されていたのではないか。
 住民本位の制度としてこの評価制度がさらに機能を発揮してくれることを期待する一方で、いわゆる国民の視線をどう仕向けるかが今後に課せられた大きな課題だと思う。
(井原)
 自分はいま、日々評価の中で仕事をしている状況にある。それは、自分が属している国立大学では平成16年4月から国立大学法人化されて以来、中期目標・目的というものを作成し、それに沿った大学運営ができているか大学評価委員会の評価を毎年受けるということになっている。また、自分が所属している地域マネジメント研究科も、専門職大学院独自の評価を受けている。
 法人化前までこうした評価とは無縁な状況であったが、この3年間の評価の日々の中で感じているのは、やはり評価によって明らかに大学の組織、教育研究のあり方、そしてそこに所属する教職員の意識というものも変わりつつあるということである。また、仮に法人化という組織変革だけで評価制度の導入がなかったならば、これほどの変容は見られなかったかもしれないと感じている。その意味で、政策評価制度の導入は、政府の組織や人、提供する事業や行政サービスなどを変えるものだと思う。
 こう考えると、政策評価制度がこれまで果たしてきた、あるいはこれから果たすであろう役割は非常に大きいものがあると思う。
 いま、各府省においては、かつての硬直的な行政運営からPDCAサイクルへの移行が見られつつあることは承知しており、また、行政評価局による制度促進によって、効率的な行政への転換が図られつつあることも確かであろう。
 その中で一体何が重要なポイントかと考えると、供給サイドから需要サイドへ、言い方を替えると需要サイドたる国民からの視点でその施策や行政をとらえ直そうということではないか。よって、今後、その点を視座に置いた制度の普及が重要であろう。
 先ほど具体的な評価の事例を紹介いただいたが、確かにああいう個々の事例についての評価も極めて大切だが、いま行政に政策の集中と選択ということが求められているとすれば、政策評価もいわば重要政策に関する評価が強調されるべき時ではないかと思う。
 重要政策に評価をということになると、各府省の間で類似の政策が重なる傾向にあるとは思うが、その重なりをなくして、各政策の企画立案にあたっては各府省ならではの特色のある政策が立案、実施、そして評価がなされるという仕組みであってほしいと思う。
 それから、評価制度が行政の一律の仕組みを見直すことに大きな眼目があるとすれば、評価の方法、あるいは評価指標も一律であってはいけないのではないか。評価のあり方にももう少し多様性があってもいいと思う。地域性のある評価指標とか評価方法があってもいいのではないかと考える。
 いま行政あるいは政策が重点化されるのであれば、評価も重点化の方向に向かうべきではないか。そして、評価指標等もそれに対応したものにすれば良い方向に向かうと思う。「評価なくして改革はなし」と思うので、今後の評価制度の一層の発展に期待したい。
(木村)
 中野さんはマスコミの立場から国民の視点を評価にどう盛り込むかということを述べられた。自分はこれまでこのフォーラムに福岡、札幌、そして本日の高松と、参加させてもらっているが、マスコミの方はいつも「政策評価に関する報道がいかに少ないかよく分かった」とおっしゃられるので、今後は政策評価についても是非取り上げていただければと思う。政策評価は、非常に地味で縁の下の力持ち的なものであり、それがもたらす力というのは、徐々にしか分からないかもしれないが大事なので宜しくお願いしたい。
 また、井原さんからは、評価の重点化あるいは地域の特性に即したといった多様な評価もという提言があったが、これについて何か意見は。丹羽さんいかがでしょうか。
(丹羽)
 まず、メディアの件に関して言えば、決して新聞やテレビを批判するわけではないが、新聞やテレビのメディアはうまくいっていること、やって当たり前のことはなかなか記事にはしない。ところが、国民が大いに関心を抱くもの、国民に非常に密着したものなどについてはどしどし取り上げる。したがって、政策評価においても国民に密着した政策とか関心を抱くような政策とかを我々が具体的に取り上げていく必要があろう。
 本日御来場の皆さんもそうだと思うが、先ほど事例で取り上げたダムの例や海洋観測船の例などといったものより、社会保障、雇用、子育てなど国民に密着した政策のほうが関心も高いだろう。国民生活に影響を与えるような政策に関する評価をできるだけ取り上げていけば、国民の関心も高まりメディアも取り上げていくのではないか。
 政策評価は、欧米と比べてまだ始まったばかりで、かつ評価にかける人員もコストも規模が小さい。また、岩盤のような我が国の官僚組織に切り込んで行くというのは容易ではなく、現時点では十分満足できる評価になっているとは言えない。しかしながら、徐々にではあるが、国民の方々にも評価の重要性が認識されつつあり、評価への期待も高まってきているので、評価委員会としてもよりよい仕組みになるよう取り組んでいきたい。
 それでは、政策評価の現状がどうなっているかということについて若干触れてみる。例えば評価結果の活用状況として、評価の予算要求に対する反映状況をみると、平成18年4月から8月末までの間に各府省が実施した政策評価は1,173件あったが、うち、その結果を19年度の予算要求に反映させたのは1,103件(94%)である。このほか、財投の計画、税制の改正、あるいは公務員の定員の要求など、何らかの形で評価が影響を及ぼしている状況にある。そう考えると、歩みはのろいが着実に進展してきている。
 ただ、自分が政策評価に携わっていて感じることは、「○○省はこんなにいいことをやっている」「総務省の評価はこんなにいいことをやっている」といった良いことづくしの内容が多いということ。これではなかなか信用されない。やっていることはみんないいのかと。「この部分は失敗した」、「これはもう少しこうすべきだった」といった反省する部分ももっと取り上げていくべきだと思う。また、評価は基本的に自己評価から始まるので、とかく甘くなりがちで、多少悪くてもそれには目をつぶるというようなことも多かろう。
 このようにまだ欠陥もある制度ではあるが、少しずつ着実に前進していることは国民の方々にも御理解いただきたいと思う。
(稲沢)
 自分の経験の中でのマスコミと評価との関わり、そして評価の多様性、重点化についてどう考えるかということについて申し上げたい。
 まず、マスコミと評価との関わりについて言うと、自分が関わったある地方自治体の評価の例を取り上げる。「敬老パス」といって、一定年齢以上の方になると市営地下鉄や市営バスに無料で乗車できるというパスを政令市とかで発行しているものがある。ある政令市では、これに対して 100億円を超える一般財源が配分されていることから、評価の方向性として、まず「60歳という年齢制限が政令市の中では一番低い60歳は果たしてお年寄りと呼べるのか」「所得制限を設けていないが、例えば3000万円の所得の人が無料で乗り降りしていいのか、一部の自己負担を設けないで、とにかくタダでいいのか」という3つの視点から評価を行なったところ、非常に反発を受けた。いわく「高齢化社会に突入するこの時代になって、それに逆行させる自治体の考えが分からない」というものであった。
 このように評価において改善案を書いても、なぜそれがなかなか実行に移せないかというと、廃止をする、改善をするという時に、それによって今の受益者が何らかの影響を被るため、その合意形成に時間や労力がかかるということなのだと思う。
 実は、この例では、このとき中野さんのようなマスコミの方にその問題について真摯に取り上げていただいた。非常に関心が高いということで賛否両論、両方からいろいろな意見を新聞紙上で戦わせてもらった。
 それを見たお年寄りの方々からは「我々の市のサービスが全国ナンバーワンとは知らなかった」という意見が出た。また、子供のいる方からは「保育所に入れたいけれども『財源がないので難しい』といわれ、なかなか話が先に進まなかった。なぜだろうと思っていたが、我が市はどうもお年寄りのほうにお金を使いすぎているのではないか」というような意見も出てきた。その後、この件に関し、市から市民に対して5,000というサンプリング調査でアンケートを取ったところ、「この制度は廃止、または改善してほしい」という意見が9割を超えて、また60歳以上の方々の回答で7割が「この制度は廃止、または改善をしてほしい」というものであった。その理由は「私の子や孫に禍根を残したくない」「今使いすぎてしまって、子や孫に負担を先送りするようなことだけはしたくない」といったものが非常に多かった。この例などは、マスコミの方が国民に密着したものとして取り上げてもらうことによって、関心が高まったいい例である。
 次に井原さんから話のあった評価の重点化・多様化ということについては、別の視点から話をさせてもらうと、各府省が行っている行政について、「縦割り行政」であるといわれている部分がある。これは自治体でもそうだが、各府省の縦割りほど自治体の縦割りというのはまだそれほど強くはない。そこで、自治体のアウトプットについて国の補助金等を受けて、あるいは制度を受けてどういう政策、施策をやっているかを見るとどうなるか。例えば、「子ども」という分野に対して、国では文部科学省や厚生労働省や環境省がさまざまな施策を講じ、それぞれ縦に個別に切り分けて評価をしている。これも大切なのだと思う。一方、国でいう府省横断的にという仕組みが自治体のアウトプットではどのように対処されているのかみると、ひとつの課室に集中して施策展開を行っているというようなことが最近少しずつ見受けられるようになっている。たとえば子ども関係なら「子ども部子ども課」というような課を作り、子どものことについていろいろな省庁の施策が下りてくるようにしている。
 イギリスの例でいえば、政府の政策評価が「パブリック・サービス・アグリーメント」という公共サービス合意と言う形で目標達成度を設定して実行することになっており、必ず国の公共サービス合意の目標値は自治体ベースで見るとどういう数値に置き直せるかということを常に連動させて考えることになっている。
(木村)
 政策評価は、「国民に対する説明責任を果たす」、「成果を重視する」、「質の高い行政を実現する」ということでやってきたが、依然として本日取り上げられている評価結果と予算をどう結びつけるかという課題や、評価の客観性をどう確保するか、縦割り行政の中でどう進めていくかといったことが、国においても地方においても課題としてある。
 例えば少子化対策は、教育とか福祉とか今いろいろな部局が関係しているが、各部局に同じ「子ども対策課」という担当課があったとしても、一つの課が他の課も束ねて評価ができるのか、あるいは予算編成の作業に評価がどう関わるかということについても、予算要求のレベルと査定レベルで評価をどう使うかというような課題もあると思う。パネリストの皆さんにこうしたことに対する考えもお聞かせ願いたい。
 丹羽さん、先ほどの講演の補足も含めまして、こうした課題に対するご意見をいただきたいと思うがいかがでしょうか。
(丹羽)
 自分が感じている課題は、やはりまず政策評価は各府省が自らの政策を評価する自己評価であるところに限界があるのではないかということである。自分の仲間がやっていることを評価するわけだからどうしても甘くなる傾向にならざるを得ない。また、それを補うため、総務省行政評価局や自分のいる政策評価・独立行政評価委員会が、複数府省にまたがる評価や客観的かつ厳格な評価の実施を担保するための評価を行い、チェックしている。ただ、これも行政機構の中の組織の取組なので、どちらかと言うと身内といえるかもしれない。それでは、外部評価を行うという方法も考えられるが、これには膨大な経費がかかり、効率性から問題がある。いくら経費がかかっても徹底的にやれというなら可能ではあるが、現実的には困難であろう。ここに評価の限界があるのではないか。
 次に、国民にできるだけ理解しやすいよう政策目標については数値で示せということである。内容の透明性を図るためには誰にでもわかるよう数値化を図ることが大事である。これについても取組は進んでおり、現在政策目標の数値化の割合は約55%まで達しているが、今後少なくとも6〜7割くらいまではもっていくべきであろう。確かに数値で表せない外交などの分野はあるが、そういったもの以外は極力数値化すべきであろう。そうすれば国民の皆さんにもより理解していただけるようになると思う。
 さらに、できるだけ国民の皆さんの目を引くような形でお知らせすることが大事である。単に評価結果をホームページ等で公開し、そのことをもって説明責任を果たしたというのではなく、国民はどうすれば興味や関心を持つか、その伝え方が問題である。いまの各省のホームページなどを見ると、細かい文字が並べてあって、とても読む気がしないものが多い。読み手のことを考え、絵や漫画を使うなどいろいろ方法があると思う。行政側も読みやすく、国民の皆さんが関心を持てるような工夫を考えるべきである。そして、国民の皆さんにも是非、政策評価をご覧いただき、行政へ様々なご意見をいただければと思う。
(稲沢)
 自分は、「客観性の確保」について申し述べたい。やはり自己評価が原則である以上、評価にあたる人の評価能力をどうやって高めていくかという点が評価の質の向上には非常に大切になってくる。では、どうやって高めるかというと、一つの方法として例をあげると、ピアレビュー(peer review)、つまりそれぞれ評価したものを仲間同士で評価してみるというものがある。これが意外と効果がある。自治体の例だが、複数人、例えば6人の評価担当者が各自自分の書いた評価書を他の人にチェックしてもらうという方法を行った。それぞれが他者のものを評価し合うというものだが、そうするとそれぞれが修正だらけになって返ってくる。そこで「なぜこんなに他者のものだと修正ができるのか」と聞くと、「評価書を書いた本人が厳しくチェックしてくれと言うから」という回答が返ってくる。なぜそうなるかというと、自分の書いたものが公開されるということが、本人にはプレッシャーになり、できるだけ良いものを出したいという気持ちが出てきて、言葉使いだけではなく、改善点がこんなものでいいのか、もっと厳しい指摘が必要なのではないかとかそういう思いが常にあるらしい。したがって、改善点についてどういう目線が欠けているのか、職員同士で仕事をよく知っているわけだから、議論すればより良いものができてくるのである。
 ただ、これにはどうしても同胞同士で言い合ったことが、果たして評価の枠組みからみれば、それが本当にいい指摘だったのかどうかを必ずフィードバックできる立場の人間が必要である。そうでないと結局はそこでとどまったままということになる。その仕組みをしっかり作れば、評価にあたる人の評価能力の向上によって、他者が見る客観性というものがより高められていくのではないか。
 確かに自己評価は甘いかもしれないし、他人が見ればということも多々あるかもしれないが、客観性とはしっかりした評価軸を持ち、その評価軸にどれだけ忠実に評価をしているかということであり、これができれば自己評価、他者評価にかかわらず、客観性というものは確保できるだろうと思う。
(木村)
 いま稲沢さんが述べられたケースで、評価軸をしっかり持ち、例えば各課にまたがるような少子化というような施策を各部署で実施して、なおかつ少子化全体の取組としてどうかと見る場合に、各部局から成る評価チームのようなものを作るというようなことは有効でしょうか。
(稲沢)
 例えば子どもに関する施策だとすると、それぞれの施策を評価してそれをどう予算に反映させていくかという点では、最後は一つの部署が束ねなければならないと思う。ただ、それにいろいろな部署が関わってくる場合は、子どもに関する施策を構成するそれぞれの事務事業の評価者であり予算作成者である各部局の者が、どの事業にどう重点化を図っていけばこの施策の問題点が解決できるかということを議論することが重要である。
 ご指摘のような評価チームを構成するのであれば、その構成メンバー1人1人に少なくとも自分が担当する事務事業の予算に関して権限を持たせ、予算要求が最終的には予算配分査定権限とイコールとなるような形を持つ必要がある。仮に、施策ごとにそういった枠配分予算を行うと、部分的には最適状態になるかもしれないが全体的にはどうなのかということになってしまう。つまり、施策の中でも特にマニフェストに関係ある部分や重要な部分についてはどうするかという問題があるので、トップダウンで財源配分を行い、予算編成を行うというような部分も残しておくという二つの構造が必要であろう。端的に言うと、一つ一つの事業担当者が評価を行い、改善案を考え、そして予算に要求して、その後査定部局に「だめだ」と言われたら、そこでPlan-Do-Seeが断ち切れてしまうので、そうならないようにするために予算として生き残らせるだけの権限を担当に持たせなさいということである。ただし、全施策に施策ごとの枠で予算を配分してしまえば事が済むかというと決してそうはならず、重要な部分はトップダウンでできる予算編成の構造を持たせていくべきということである。
(木村)
 次に、中野さん、これまでの議論をお聞きになっていかがでしょうか。
(中野)
 これまで自分が取材等で話を聞いた国とか県の職員は「評価制度についてどう思うか」ということに対して、「ある程度ルーティーン化していて緊張感がない」というようなことを言っていた人がいる。特に県の場合だと、後期事業計画でいま事業評価をやっているが、予算編成とあまり関係がない部分でやっているので緊張感がないとか、スタッフも少なく、期間もあまりないといった課題もあるようだ。一方、国の機関の方に「Aの部局とBの部局では全く反対の評価になった時にはどうするのか」と尋ねると、「評価は単なる僕たちの意識付けの一環である」という趣旨のことを述べていたことがあった。そのとき、自分らのためだけの評価、いわゆるペーパーワークで終わっているなという感じがした。
 また、丹羽さんが言及されていたが、国民に分かりやすい評価情報の提示については自分も同感である。あまりにも精巧すぎると、国民には分からないものとなり、国民の視点、意識と乖離するのではないか。誰が見ても分かりやすいものにすべきと思う。単に職員の意識改革やアカウンタビリティの確立のために評価をやるというだけでは、国民はついてこないと思う。それより、あなたの生活がこれだけ良くなるというような評価が大切ではないかと思う。そういう点では、先ほど井原さんのおっしゃったようなメリハリを付けた政策評価、すべての事業をやるのではなく、国民生活を考えた政策評価にスタンスを移していくことが必要になってくるのではないか。
(井原)
 議論を聞いていて、2点ほど意見がある。一つは、自己評価は、評価制度の中では極めて重要だと考える。なぜならば、評価制度そのものは何のためにあるのかと言うと、国民の求めるような行政施策を展開するための自己の組織の改善、あるいは向上のためにあるのだと思う。「自己の組織を向上させるためには、まず自身が評価を行う」というのが基本的には出発点であるべきだと思う。もちろん、甘い部分もあろうかと思うが、やはりこれを出発点とすべきである。そして、ここで注意すべきなのは、最近地域でよく使われるコミットメントというものである。これは「地域を愛することが、その地域の振興・活性化につながるのだ」という意味でよく使われているのだが、このコミットメントを自己評価にあてはめると、「自分の組織を愛するがゆえに評価が甘くなる」という傾向に陥ってしまうのではないか。したがって、評価においては、このコミットメントというものを減らして自己評価をするということが大切だと思う。そうすることによって、評価が行政の変革の要になるのではないかと思う。
 もう一つは、多様な評価が重要ではないかということである。会計の場合、昨今の会計ビッグバンにおいては、会計における評価基準が原価から時価へ移行し、しかも時価についても多様な評価基準が一つの体系の中で使われ、合意形成がなされている。このように、社会的な評価における客観性とは、合意形成に基づくものであり、政策評価でも合意形成のある多様な評価指標、あるいは評価手法を考えていく必要がある。例えば、便益評価における時間評価値を考えてみると、常に都市部が高くなり、地方における施策の評価は常に低くなるということになるが、そういう形で施策の評価をすれば、それだけで結果が決まって、予算の反映も決まってしまう。したがって、評価の場合もケースに応じて柔軟な評価手法・評価指標をとるというような合意形成をするといいのではないかと思う。
(木村)
 会場の方からいくつか質問をいただいているので紹介し、パネリストの方々にお答えいただきたい。
 まず、丹羽さんに、「諸外国が我が国に比べ評価に要する人員、コストもかけても許容される文化あるいは背景事情は何だと考えるか。また、今後、我が国でも評価コストの増加が許容される可能性・条件等についてお聞かせいただきたい」との質問だがいかがか。
(丹羽)
 文化的な背景を言うと、さまざまな議論があると思うが、アメリカの場合だと移民と奴隷の社会を経て、国民が信頼するものというのはまず契約とお金であって、物事を数値化する、他人が評価するなどということが当たり前の社会なのだと思う。アメリカはあらゆる面において他律他制の社会であり、したがって、アメリカで日本のような自己評価中心の制度をとるというのは難しいと思う。
 他方、日本は自律自制の社会であると言える。日本の場合、何かあるとまず自らが反省をして「自分に何か足りないところがあったのではないか」という文化であると言える。また、このようなことが根底にあって、我が国の場合、自己評価ということでも結構信頼できる部分があるのではないかと思う。先ほども話に出たように、やはり自己評価も意味のあることだし、日本においては我々民間企業でも自己評価を第一にやるわけである。どちらが論理的かと言えば、コストとベネフィットの観点からみると、まず自己評価をベースにすべきであり、第三者の評価というのはやはり国民の評価、国民の目であるという考え方が一番いいのではないか。日本人の考え方とか文化とかを考えれば、アメリカ型のようにはいかないだろうと思う。
(木村)
 次に、「評価基準の見直しのタイミングはおおよそ何年ごとに行うことが適切か。同じ評価基準だったら目標がある程度までいったら、それ以上伸びないというような時期が実際にくるが、そういうことを避けるために評価基準の見直しのタイミングは何年ごとに、あるいは何年に1度行うことが適切か」との質問。稲沢さんいかがでしょうか。
(稲沢)
 評価基準を達成目標と読み替えて考えると、仮に達成目標に達したのであれば、それ以上に高い目標値を設定するということが果たして妥当かどうかということは、よく考えなくてはならない。つまり、増やせば増やすだけいいという発想ではなく、何らかの合理性を持って目標値を定めた以上はそれが達成されたなら、もうその時点で収束させるか、あるいは継続することが必要な事業であれば目標値を維持しつつ、現行の予算投入をどれだけ削減できるかという改善案の視点に軸足を移していく方がよいと思う。したがって、何年に1度とかいう時間軸で一概には言えないと思う。
 ただ、自治体でいうと、3年の実施計画のスパンと5、6年の基本計画前期後期のスパンに分けられている。このほか、首長であればその任期4年というスパンが考えられる。こうしたことを勘案しつつ達成目標と期間を設定していくことがいいのではないか。
(木村)
 最後に各パネリストから、今後の政策評価制度に対する期待についてコメントお願いしたい。
(井原)
 政策評価制度をさらに充実し、その浸透の徹底を図ることによって国民の望む政策、行政にしてもらいたいと思う。その際、評価する前の段階において何を評価対象とするかという時点で第三者の目を入れたらどうかと思う。何が評価の必要性が高いかという判断に第三者の視点を入れることにより、一層有効な制度になるのではないかと思う。
(中野)
 政策評価が市民権を得られるかどうかは、どれだけ分かりやすく情報を公開していくかという「情報の透明性と分かりやすさ」がキーワードだと思う。その透明性とは、単に評価の情報を公開しているから良しとするのではなく、評価の前段階から意思決定に第三者が参加するなど過程をガラス張りにしなければ、国民の信頼はなかなか得にくいと思う。
 最後に、国と地方への要望だが、香川県内でも県や主な市では評価制度を導入しているほか、検討中のところも多々あると思うが、将来的には国と地方自治体が結節した評価というものも考えて行き、いわば車の両輪として政策評価に取り組んでいただけたらと思う。
(稲沢)
 政府が関与する必要性について、評価の目を入れてもらいたい。「公共サービス=行政サービス」、「行政サービス=公共サービス」というふうにとらえられていた時期から、「そうではない」という認識が現在国民の間にも出てきている以上、果たして政府が財政資源、人的資源、物的資源を投入してやる必要性があるのかどうかという観点からの見直しを行ってもらいたい。
 また、自治体の方々には、「評価を始めて3年、4年経過して、もうこの評価は活用ができない」というような話をよく聞くが、活用する仕組みをしっかりと人事・財政・企画といった官房部門と連携していってほしい。それをトップのイニシアチブでまとめた上で活用する仕組みありきの評価というものを考えていっていただきたいと思う。
(丹羽)
 企業も官も全て同じだと思うが、結局のところトランスパレンシー(transparency)、つまり透明度を高め、デスクロージャー(disclosure)、つまり情報はきちっと開示し、アカウンタビリティ(accountability)、説明責任を果たす、これらのことが極めて重要である。
 政策評価制度を透明度の高い制度にし、その結果等の情報をきちんと国民の方々に開示し、そして開示する場合には国民の皆さんに分かりやすくということが大事である。一方で、専門家の目で見てもらう必要もあり、そういう方々には細かい数値、詳細な分析等を見られるようにホームページであればクリックして「次ページへ」という形で提供する、こういった形で情報を提示していくことが重要である。
 地方自治体においても、国と同様、評価の予算への反映や国民への評価の重要性の認識を高めてもらうようがんばっていただきたい。ここ香川県でもそうなるよう期待したい。


16時00分 閉会  

(注)  この概要は、事務局(総務省行政評価局政策評価官室)の責任において取りまとめたものであり、事後修正の可能性があります。




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