2 人材確保の円滑化



 (1) ストックオプション制度の適用範囲の拡大


   a. ストックオプション制度の意義

     企業が優秀な人材を確保するためには、能力・業績に見合った報酬が提供され
    る必要があるが、創業・発展期にある企業は、高額の給与を支払ったり、大企業
    並みの福利厚生水準を提供することは困難である。また、年功序列の報酬体系の
    下では、研究開発や営業活動等においてより高い業績を上げようというインセン
    ティブが働きにくいという問題がある。
     このような問題に対処するため、ニュービジネスに進出しようとする企業にお
    いては、優秀な人材を採用し、定着させるための新しい人事評価システムやそれ
    を背景にした報酬体系の見直しが必要である。新しい報酬体系として求められる
    のは、企業側が報酬として負担するコストと、役員・従業員がそれによって享受
    するインセンティブが効率的にリンクするシステムであり、その具体例がストッ
    クオプション等の成功報酬をベースとした給与体系である。ストックオプション
    型報酬制度は、創業・発展期にあるベンチャー企業の人材確保の手段となるだけ
    でなく、
    ア イノベーション創造におけるグローバルな競争力強化のためのコミットメン
      トの醸成
    イ 株主と経営者・従業員の利害の不一致問題の解消
    ウ 就業条件等における大企業と中小企業間の格差の解消
    エ 労働市場の流動化
    等の側面から、我が国経済のダイナミズムを高揚する効果を持つものと考えられ
    る。

   b. ストックオプション制度の利用動向

     ストックオプション制度の米国における利用状況は、94年のコンファレンス
    ・ボードによる米国企業507社の調査によると、何らかのストックオプション
    型報酬制度を採用しているのは380社で、全体の75%に及ぶ(図表3−3参
    照)。企業のどのような役員・社員にストックオプションが適用されているかに
    ついては、図表3−4のとおり経営幹部だけでなく、中間管理職や従業員全体に
    提供されている。
     米国フォーブス誌によれば、93年に最も多額の報酬を受けたCEO(最高経
    営責任者)は、ウオルト・ディズニー社のミハエル・アイズナー氏の2億302
    万ドルであったが、その内訳は基本給が75万ドル、年次賞与ゼロに対してスト
    ックオプションなどの長期インセンティブ報酬が2億226万ドルとなっている。
    このように、米国においては、ストックオプション制度は経営者にインセンティ
    ブを付与する手段として幅広く活用されている。



図表3−3 米国におけるストックオプション型報酬制度の採用状況


 
業種 回答社数 採 用 状 況
社数(1994) 採用率(1994) 採用率(1988)
金融サービス・投資
エネルギー
流通
製造業
その他サービス
保険
銀行
通信
公益
13
27
25
231
52
21
58
16
64
12
23
21
181
40
16
43
11
33
92%
85%
84%
78%
77%
76%
74%
69%
52%

42%
30%
30%
46%
21%
32%
12%
11%
合計507 380 75% 27%

(出所)The Conference Board,Top Executive Compensation,1994&1988


図表3−4 ストックオプション型報酬制度の付与対象

付与対象最低階層グループ ストックオプション型報酬制度数 同 比 率
主要幹部
トップ経営陣
上級経営陣
中間管理職
スーパーバイザー
総合職

26
59
51
10
11
8%
44%
100%
86%
17%
19%

(出所)The Conference Board,Stock Option:Motivating Through Ownership,1993


   c. 我が国におけるストックオプション制度の適用範囲の拡大

     我が国においては、ストックオプション型報酬制度の導入は、商法上の自己株
    取得の制限(法第210条)、新株の有利発行の制限(法第280条の2の2
    項)等により事実上は不可能である。
     95年11月の特定新規事業実施円滑化臨時措置法(以下「新規事業法」とい
    う。)の改正により、新規事業法に基づく認定を受けた新規事業者については、
    商法の特例として、一定期間に一定価額で新株発行請求を行うことのできる権利
    を役員等に与える形式によるストックオプション制度の導入が可能となり、創
    業・発展期にある新規事業への人材確保の支援と役員等へのインセンティブ付与
    の途が拓かれたところである。
     しかしながら、新規事業法の対象は通商産業省の所掌に係る事業のみであり、
    通信・放送事業等他分野の新規事業は対象とはならないことから、その効果は限
    定されたものに止まっている。先端的な情報通信ベンチャー企業は、米国との厳
    しい国際競争に晒されているため、「ストックオプション制度がないと海外で優
    秀な人材が確保できず、競争上不利にとなっている。」という声が出されており、
    ストックオプション制度の適用範囲の早急な拡大が求められている。アンケート
    調査では、ストックオプション制度の認知度は4割程度と高くないが、認知して
    いる企業の5割程度は導入したいと答えており、特に90年以降に設立された新
    しい企業で増収率が高く、株式公開意欲の高いと思われる企業の利用意向が高い
    傾向が見られる。創業・発展期にあるベンチャー企業の人材確保の円滑化のため
    には、商法の改正によりストックオプション制度が幅広く利用可能となるように
    すべきであるが、我が国のディスクロージャー体制の不備による株主保護の観点
    から、当面商法の改正が困難である場合には、特定通信・放送開発事業実施円滑
    化法の改正等により、通信・放送事業分野の新規事業に対するストックオプショ
    ン制度の導入を早急に図るとともに、税制上の特例措置を適用することが必要で
    ある。
     また、一部の株式公開会社でも行われているように、ワラントを用いてストッ
    クオプションと類似の効果を持つ業績対応型報酬制度についても、当該制度がよ
    り円滑に行われるよう、ワラント債発行コストの軽減等の環境整備を検討する必
    要がある。

 (2) 人材情報アクセス機会の拡大

    知名度が低く、人材確保の機会が限られている情報通信ベンチャー企業等の人材
   情報へのアクセス機会を拡大することにより、人材に対する需要と供給を結び付け
   ることが必要である。このため、業界団体と公的な支援機関の連携による学生向け
   セミナーの実施、異業種交流の促進等が必要である。また、情報通信ベンチャー企
   業の人材募集情報を提供するためのデータベースの構築も検討する必要がある。

   (3) 大学・公的研究機関等における研究者の活用

    大学や公的研究機関は、先端的な技術シーズの提供、企業の研究開発に対する技
   術指導等に加えて、情報通信ベンチャー企業との人材の交流により、ニュービジネ
   ス創出の主体となり得るものである。このような、大学等における研究活動の成果
   をニュービジネスへ展開させることを容易とするため、国公立大学・研究機関の研
   究者の兼業規制緩和や、これら研究者とベンチャー等の民間企業との自由な人材交
   流が可能となるような仕組みを整備することが必要である。また、大学等とベンチ
   ャー企業との共同研究に対して、財政上の支援措置や税制上の優遇措置などの公的
   支援措置を拡充する必要がある。

 (4) 人材の流動化の促進

    情報通信ベンチャー企業等の人材確保の円滑化を図るためには、人材に対する多
   様な需要と供給を効率的・効果的に結びつけることのできる自由な労働市場が確立
   されなければならない。そのためには、大企業が我が国の雇用慣行を転換し、終身
   雇用を前提とした人事・給与制度や、社内完結型の福利厚生を見直し、中途採用等
   を含め優秀な人材を確保するための柔軟な雇用・給与体系を構築することが必要で
   ある。これにより、大企業における人材の流動化が促進され、ニュービジネスを起
   業する人材の輩出や経営管理等のノウハウを有した人材のベンチャー企業への移転
   が円滑化されることとなると考えられる。
    現在、人材の流動化を阻害していると考えられる規制等については、ニュービジ
   ネス育成の観点から大幅な改善が必要である。民間の有料職業紹介事業については、
   29業種に限定されているが、ニュービジネスに必要とされる高度な知識・技能をも
   つ人材の企業への紹介をキメ細かく行うためには、公共職業安定所による職業紹介
   では対応できない面があるため、特に労働者保護の観点から民間が扱うことが不適
   切な分野を除いて民間による有料職業紹介事業を原則自由とすべきである。また、
   ニュービジネスをはじめとする様々な事業ニーズに即応できる人材の迅速な確保を
   図るため、労働者派遣事業の適用対象業務を大幅に拡大すべきである。
    大企業からのスピンオフにより、ベンチャー企業への人材の移動を円滑化するた
   めには、転職が不利にならないよう企業年金のポータビリティの確保が必要である。
   親会社と子会社の間での企業年金の統合の動きが一部で見られるが、異なる年金間
   でも加入者の給付原資が移換されるような仕組みを検討すべきである。
    このような制度の改善に加え、一流大学から大企業へというコースを評価する我
   が国の社会風土を変えていく必要がある。米国では、MBAを取得した最も優秀な
   人材は自ら事業を起こし、株式公開により莫大な財産を得るとともに、社会的にも
   高い評価を受けている。我が国においても、雇用慣行の変化により大企業の社員で
   あることがステイタス・シンボルではなくなる方向に向かう可能性はあるが、画一
   性ではなく個性や創造性を重視した教育制度への改革等により、創造的な人材の育
   成を図るとともに、起業による成功者を社会的にも評価するような社会風土を醸成
   していくことが求められる。