第4章 発信者情報の開示について 1 発信者情報開示についての検討 (1) 発信者情報開示の必要性 不適正利用のうち、特に特定個人の権利利益を侵害するものの問題は、発信 者情報が法律上保護されていることによって、発信者の民事上の責任追及が 困難であることが大きな要因となっているものと思われる。 すなわち、発信者情報(氏名及び住所・電話番号等の連絡先をいう。)は、電 気通信事業者や電気通信事業者と同様の役割を果たしている企業・大学等が 保有しているところ、発信者情報は電気通信事業法・有線電気通信法によっ て「通信の秘密」として保護されている等の理由により、被害者が発信者情 報を求めても開示されず、発信者が自ら明らかにしている場合以外は入手が 非常に困難であり、被害者は相手方への民事上の責任追及をなし難い状況に ある(相手方がわからないと訴訟提起もできない)。 したがって、電気通信サービスを利用した他人への加害行為が行われた場 合に発信者情報を開示(発信者が加入者と異なる可能性がある場合には発信に 係る加入者情報として開示)する制度を創設し、不適正利用の抑止を行うこと は、誰もが安心して利用できるネットワーク環境の整備という観点から有効 であると考えられる。また、このように発信者の民事上の責任を問い得る仕 組みを設ければ、被害者が、発信者に対し謝罪、訂正、賠償等を求めること も可能となる。 以下においては、発信者情報開示制度を検討するに際しての留意点等を示 す。 (2) 発信者情報開示に関する意向調査 発信者情報開示に関する一般の意向に関して、平成10年11月に実施され た情報通信の不適正利用に関するアンケート結果((財)日本経済研究所調 べ)によると、有効回答数302のうち、情報通信の不適正利用があった場合 の発信者情報の開示について、「賛成する」が59.6%、「どちらともいえ ない」が29.5%、「反対する」が7.0%、その他が4.0%であった。 また、平成10年(1998年)11月27日から12月17日に実施した 「電気通信サービスの不適正利用に係る発信者情報の開示についての考え方」 に対する意見募集に対しては、103通の意見が寄せられたが、電気通信サー ビスの不適正利用に対して発信者情報の開示という手段をとることに反対する 意見は1割未満であった。 2 発信者情報と「通信の秘密」 憲法第21条第2項は、「検閲はこれをしてはならない。通信の秘密は、こ れを侵してはならない。」と規定している。これは、「表現の自由」の確保の ための規定であるとともに、通信におけるプライバシーを保護するものと解さ れている。これを受けて、電気通信事業法第4条及び有線電気通信法第9条に おいて、「通信の秘密」が保護されている。一般的には、発信者の氏名、住所 等の発信者情報についても「通信の秘密」に含まれるとされているため、この 問題を検討する上では、まず、「通信の秘密」を保護した現行の法規定との関 係を整理する必要がある。 (1) 憲法上の「通信の秘密」との関係 憲法第21条第2項の規定の適用される範囲が公権力に限られるのか、電気 通信事業者やその他の私人にも適用されるのかが問題となる。すなわち、電気 通信事業者等に課された「通信の秘密」保護義務は憲法から導き出されるもの か、又は電気通信事業法等の法律に由来するものであるかの検討が必要である。 基本的には、憲法の基本的人権の規定は、公権力との関係で国民の権利・自 由を保護するものであると考えられている。電気通信自由化以前については、 電電公社、国際電信電話株式会社には憲法の規定が適用されていたとも考えら れるが、電気通信が自由化された現在では、電気通信分野における競争の進展 状況、インターネットの登場等の電気通信の多様化の進展状況にかんがみれば、 憲法上の「通信の秘密」は私人である電気通信事業者等へは直接的な適用はな く、電気通信事業法等で保護されているものと考えられる。 (2) 電気通信事業法等との関係 電気通信事業法第4条及び有線電気通信法第9条において、電気通信事業者 等に対し「通信の秘密」保護の義務が課されているところであるが、発信者情 報の保護がほかの法益と抵触する場合にも絶対的に保護されるべきとは考えら れない。他人の権利利益を侵害する通信については保護されない場合があると 考えられ、こうした場合は、電気通信事業者等が発信者情報を開示しても、社 会的相当行為として刑法第35条により違法性が阻却され、「通信の秘密」保 護義務違反による刑罰に問われないと考えられる。 ただし、いわゆる「公然性を有する通信」と「1対1通信」とでは「通信の 秘密」の意義を別個に検討する必要があると思われ、また「公然性を有する通 信」であっても一定期間のみ公開されているもの、特定の者にのみ公開されて いるもの等、様々なケースがあると考えられ、具体的にどのような場合に保護 され、また保護されないかについては、個別の事例を分析することが必要とな ろう。 (参考)受信者その他の通信内容を知る者に対しては発信者情報を保護する必要 がないのではないかという考え方があるが、消極に考える。すなわち、発信 者には受信者に対して、自分が誰であるかを秘密にしようとすることに相当 の理由がある場合がある(例えば、警察への通報、身の上相談や内部告発の 場合など)。したがって、現行法規定は、このような場合を想定し、そうし た発信者の意思を尊重し、通信の媒介者がみだりに外部に漏洩することを禁 じているものと考えられる。 3 司法的手続による発信者情報開示 被害者が発信者の民事上の責任追及を行うためには発信者情報が必要となる が、現行法上、電気通信事業者等に対して、電気通信事業者等とは何ら契約関 係にない者を含めた被害者一般に発信者情報を開示する義務を課す法制度は存 在しない。ここで、司法手続により発信者情報を開示する手段の可能性につい ては、次のように考えられ、実体法上・手続法上相当困難な点がある。 (1) 被害者が民事上の司法手続により発信者情報の開示を請求できるようにす るためには、実体権として、発信者情報を保有する者に対する被害者の民事 上の請求権(発信者情報開示請求権とでもいうべきもの)を被害者と情報提 供者との間に創設する必要があるが、そのような請求権を認めるべき実体法 的根拠がなく、また情報開示によって処分される利益(「通信の秘密」によ り保護されている情報)の主体は発信者であることから、発信者の関与なく してその利益を第三者である情報保有者に処分させるような内容の請求権を 創設することについて、合理的な説明をすることは困難であると考える。 (2) 裁判所において発信者の手続的関与なくして発信者情報の開示手続を行う ことは、司法手続が対審構造によって権利・義務関係の有無を判断すること を原則とするものであることにかんがみると、困難であると考える。 4 行政上の制度としての発信者情報開示手続の創設 上記のとおり、司法手続による発信者情報開示制度の創設は非常に困難と考 えられるが、誰もが安心して利用できるネットワーク環境を整備するという電 気通信の利用秩序の観点からは、こうした不適正利用及びその被害は看過し難 いものであるため、司法手続以外の発信者情報開示を可能とする制度を検討す べきと考える。 これについては、 1) 電気通信事業者の約款に発信者情報を開示する場合を規定する 2) 現行の法規定の解釈により、発信者情報を開示できる場合を示す 3) 立法により発信者情報を開示できる制度を創設する といった選択肢がある。 このうち、約款及び現行法の解釈によるものについては、 1) 約款による場合には、個々の電気通信事業者の取組に差が生じ、発信者 情報開示規定を置かない電気通信事業者に不適正利用者が集中する可能性 があること、また約款の規定ぶりによっては当該約款が無効とされ、電気 通信事業者が「通信の秘密」違反の責任を問われ得ること 2) 現行法の解釈による場合には、不適正利用による被害があった場合に確 実に発信者情報が開示されるものではなく、また行政の解釈が裁判所の判 断を拘束するものでないこと から、実効性に問題が生じる場合も想定されるが、こうした措置によってある 程度の効果は望めると考えられる。ただし、電気通信事業者等が「通信の秘 密」保護違反に問われることなく開示できる場合を明らかにし、また発信者を 保護するための措置も重要と考えられることから、立法による措置も含めた検 討が必要となろう。 5 立法による措置の検討 (1) 発信者情報保護の解除 前述のとおり、「通信の秘密」による発信者情報の保護も絶対的なものでは ないため、不適正利用があった場合には、被害者からの申出に応じ、発信者情 報の保有者である電気通信事業者等が発信者情報を探知・開示しても、「通信 の秘密」保護義務違反に問われない場合があり、これを立法的に明確化するこ とは可能と思われる。 (2) 「発信者情報開示機関」による開示 電気通信事業者等による発信者情報開示を可能とするだけでは、結果的に、 開示可能な場合であっても開示されない場合も想定し得る。このような場合に は、被害者の救済という要請に十分に応えることができない制度となるおそれ がある。 他方、電気通信事業者等に、開示可能な場合の開示義務を課すことは、 1) 電気通信事業者等が一方当事者とのみ契約関係等を有する場合には、開示 の判断の中立性に欠けるおそれがあること 2) 開示を適正に行うために、開示の手続として、権利利益侵害の有無に関す る事実関係の調査、利害関係者である発信者への告知・反論の機会の付与を 義務付けることが必要であると思われるが、これらは相当の作業が必要であ り、本来そうした行為を業務内容としていない電気通信事業者等にそれを義 務付けることは不適当と考えられること といった問題点が指摘されよう。 したがって、電気通信事業者等とは別に、「発信者情報開示機関」(仮称。 以下「開示機関」という。)を設置し、当該機関を経由させて発信者に関する 情報を開示する仕組みも検討に値する。 (3) 開示機関の主体 開示機関の主体としては、行政の関与の仕方によって次のような選択肢が考 えられる。それぞれ問題点が存在するところであり、開示機関は、発信者情報 が開示可能か否かを確実に判断する必要がある点に留意し、どの主体が適当か についてさらに検討することが必要である。 ア 民間法人とする案 民間法人が開示機関となる(後述のように、電気通信事業者等に対する情 報請求等の権限を付与したり、守秘義務等の義務を課す必要があるため、い わゆる指定法人という形式となろう。)。私人が主体であるため、憲法第2 1条第2項との関係では、最も問題が少ないものと考えられる。ただし、開 示機関が発信者情報を開示しないこととした場合に、申立者が民事訴訟を提 起しようとすれば、開示機関に対する開示請求権が必要となるが、前述のと おり開示請求権の創設は困難である点、民間法人の行為であって、行政事務 の委託でもないとすれば行政処分ではないため行政訴訟の対象ともならない 点に留意が必要である。 また、民間法人は個々の事案ごとの発信者・申出者の事情を考慮した裁量 的判断を行うことにはなじみにくい点にも留意が必要である。 イ 一般の行政機関とする案 開示機関を行政機関とすれば、その決定は行政処分であり、これに対して 行政事件訴訟法による訴えが提起できる。ただし、発信者情報の収集等を伴 なう発信者情報開示について一般の行政機関が行うことは(「通信の秘密」 にも内在的制約があり、一定の要件の下では公権力による通信内容の調査等 が許される余地はあると解されるが)、憲法第21条第2項において公権力 の積極的知得を禁じている趣旨との関係の考察が必要である。 ウ 一般の行政機関ではなく、行政委員会又は審議会とする案 準司法的機能を有し、個々の事例ごとの利益衡量を行う組織として、国家 行政組織法第3条の行政委員会や同法第8条の審議会等がある。これについ ても、憲法第21条第2項との関係との考察が必要である上、今次行政改革 が進められている折、機関の新設には困難が伴うという実際上の問題がある。 6 発信者情報開示の要件・手続等 (1) 開示の要件 開示する範囲の考え方としては、「他人の権利利益を侵害した場合」が想定 される。具体的な要件を設定するに当たっては、開示機関の主体をどうするか とも関連しなお検討が必要であるが、例えば、次のような行為は対象となるよ うに定めることが必要であろう。また、発信者の権利を不当に侵害することの ないよう、開示すべきでない相当の理由がある場合を除くことができるように 留意する必要がある。 ア 反復継続した発信又は大量若しくは大容量の発信を行う行為。 イ 他人の個人情報を、その者の許諾なくして不特定又は多数の者に受信し得 る状態に置く行為。 ウ 他人の名誉を毀損し、又は侮辱する事項を不特定又は多数の者に受信し得 る状態に置く行為。 (2) 開示の手続 開示の手続を検討するに際しては、次のような点に留意することが必要と考 える。 ア 申立てによる開示手続開始 能動的に特定の通信の発信者を調査することは適切とはいえないため、発 信者情報の開示は、被害を受けた者の申立てを待って行う受動的なものであ ることとすべきである。 イ 発信者への告知・反論の機会付与 申立者が虚偽の申立てを行う等の可能性を考慮し、また発信者の意図を明 確にするため、発信者への告知・反論の機会の付与が必要となろう。なお、 発信者と事実上連絡が取れない場合については別途考慮する必要がある。 ウ 開示 発信者情報は、前述の手続に基づき、法定の要件に該当する場合には、申 立者に対し開示されることとなる。 (3) 開示機関による調査 開示機関が発信者情報を開示するためには、被害者からの発信者情報開示の 申立てがあった場合、電気通信事業者等に申立てに係る通信履歴の保存・情報 提供請求をすることができる、とする権能が与えられる必要があろう。また、 制度の実効性を高めるために、電気通信事業者は正当な理由がなくこれを拒む ことができないとする義務付けが検討されるべきである。(「正当な理由」に ついては、電気通信事業者の業務上の支障等が考えられる。)ただし、発信源 が自己である場合の電気通信事業者及び電気通信事業者以外の者(企業・大学 等)については、情報提供義務を課さず、発信者情報が提供されない場合には 当該企業・大学等の名称を開示し、自営電気通信設備の管理責任について、被 害者と責任の有無の交渉又は訴訟をするとの考え方もあり得る。 (4) 開示機関の守秘義務 開示機関が得た情報については、電気通信事業者に対する「通信の秘密」保 護と同様の守秘義務を課すことが必要と考えられる。 (5) 開示手続に関連して検討されるべき措置 発信者情報の開示が制度化された場合には、安易に行われ、又は濫用される ことのないようにすることが求められよう。したがって、発信者情報を開示し なくとも被害者が救済される(又は納得する)場合には開示を行わず、発信者 情報を開示することによって当事者間の解決に委ねる以外には被害救済の方法 がない場合にのみ開示すると考えることが適当ではないか。 こうした考え方から、発信者情報開示前に次のような措置をとることにつ いても検討されるべきである。 1)申立者に対し、不適正利用を防御するサービス・技術等の助言を行う。 2)開示機関又は電気通信事業者等が仲介することにより、匿名のままで紛争 の解決に努める。 3)発信者に対し、自発的に発信者情報を開示する意思があるかどうかを確認す る。 7 その他の課題 上記の案による場合、海外から又は海外を経由してくる通信の場合、技術的に 発信者を捕捉できない場合、公衆電話やインターネット・カフェのように不特定 の者が発信できる端末からの発信の場合等、施策の実効性について課題が残る。 したがって、国際的な連携、発信者探知技術の開発等、実効性を上げるためにさ らなる検討が必要とされるものではあるが、まずは可能な範囲から対策を整備し、 その後充実を図っていくということも必要である。 また、被害者の申出を受け、電気通信事業者が発信者を特定し、その情報を開 示する場合もあり、その際にその可否について開示機関が助言を与える制度の整 備も検討する必要がある。 また、第3章で検討した不適正利用対策は、本章において検討した発信者情報 開示の機能とは分けて考えられるが、発信者情報を行う機関にその他の不適正利 用対策の機能を適切に組み込むことができれば、様々な態様の被害の救済を程度 に応じて有効、迅速、適切に行うことが可能となり、より望ましい。ただし、こ れは発信者情報開示機関の主体をどのようにするかとの問題と密接に関連するこ とに留意を要する。 8 小括 発信者情報開示については、その必要性については多くの賛同が得られたが、 その手続、要件、開示機関等について法的な論点が多く指摘されており、今後、 これらの検討を継続して行うことが必要である。 お わ り に 本研究会においては、ネットワーク上での自由な情報の流通は確保しつつも、他 人の権利利益を侵害する通信の発信者の責任を問う仕組みや、電気通信事業者等に よる苦情対応・違法情報の削除等の措置を促進するための仕組み作り、利用者の啓 発や技術的手段などの対応の在り方について検討を行った。 この報告書には様々な提言を盛り込んだつもりであるが、これらの提言は一括し て実現されなければならないものではなく、可能なものから順次実現していくこと を求めたい。 報告書の取りまとめ時期に、インターネット上でクロロホルムなどの毒物・劇物 を違法に売買した事件や実在の女性をレイプするよう報酬付きで依頼した事件、イ ンターネットで相談を受けた自殺志望の人に青酸カリを送付した事件など、情報通 信に関連して他人の生命・身体の安全を侵害する事例も多く現れてきている。引き 続き新たな事例に対応し、様々な対策について幅広く検討を続けることが強く求め られる。また、諸外国の対応を参考とするだけでなく、諸外国が参考とするような 施策を講じることも求めたい。 ネットワークにおいては容易に国境を越えて様々な問題が発生し、さらに国内で の種々の規制・追跡を免れるため、あえて海外を経由する不適正利用の形態なども ある。国内での対策を取りつつ、他方で、国際的な連携を図り、また国家間の制度 の違い等についても対話の積み重ねなどにより対応を図ってゆくべきであろう。 戻る