総論 ユビキタスエコノミー 1 u-Japan政策の推進と社会経済システムの変革  我が国は、人口減少、少子高齢化をはじめとする社会経済環境の変化に伴い、様々な社会生活・経済活動上の問題に直面することが予想されている。このような状況に対処し、克服していくためには、既存のプロセスの合理化、効率化にとどまらず、社会経済システム全体が多様性、創造性、生産性、信頼性の高いものへ変革していくことが要請される。  「2005年までに世界最先端のIT国家となる」という目標を掲げたe-Japan戦略が2001年1月にスタートして以降、インフラ整備等が順調に進展し、世界最先端というべき水準の低廉かつ高速なブロードバンド環境が実現した。また、2003年7月にはe-Japan戦略の見直しが行われ、利活用促進に重点をシフトし、ユビキタスネットワークの形成が新しい社会基盤整備の目標像として位置付けられた。こうした状況を受け、総務省では、2004年12月に、2010年を目途に「いつでも、どこでも、何でも、誰でも」ネットワークにつながり、情報の自在なやりとりを行うことのできるユビキタスネット社会(u-Japan)の実現を目指すu-Janan政策の取りまとめを行った。ここでは、これまでのキャッチアップ型の目標を脱し、情報通信技術による先行的社会システム改革の推進等、情報通信技術におけるフロントランナーとして世界を先導していくことを目標として掲げた。その後、2006年1月には、「いつでも、どこでも、誰でも情報通信技術の恩恵を実感できる社会の実現」を目指し、情報通信技術の構造改革力を追求するIT新改革戦略が、高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部(IT戦略本部)において決定された。  ユビキタスネットワークは、人々がネットワークの存在を意識することなく、いつでも、どこでも、ネットワーク、端末、コンテンツ等を自在に安心して利用できる情報通信ネットワークであり、その特徴として、接続性の飛躍的向上、すなわち、人と人、人とモノ、モノとモノのコミュニケーションが至る所で可能となり、また、固定と移動の融合等、シームレスで自在なコミュニケーションの実現が挙げられる。ユビキタスネットワークが本格的に普及したユビキタスネット社会では、情報通信技術が社会経済活動すべての側面の隅々にまで及ぶことから、分散する社会構成要素がネットワークを通じて統合される可能性を有する。ユビキタスネットワークの深化が、社会経済のあらゆる局面で知識・技術の集積を進展させ、既存の社会経済システムの変革や、経済活力の源泉である技術進歩を加速させることに寄与することが期待されるのである。 2 ユビキタスネットワーク進展により生じる社会経済の特質  従来、情報通信技術は主として企業等で利用され、利用者はその利便性を受動的に享受する立場であることが多かった。これが企業等の外側、すなわち一般利用者の生活領域にまで広く浸透することが、ユビキタスネットワーク進展の意味するところと考えることができる。携帯電話端末の高機能化、電子タグの普及、コンテンツのブロードバンド配信、ブログ・SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)等の消費者発信型メディアの台頭等がその象徴である。  従来、企業等での情報通信技術の利用は、経理処理から発注、在庫管理、そして顧客管理と拡大してきた。これらは企業等の効率性を向上させるとともに、利用者の利便性を上昇させた。例えば、銀行の別を問わないATM端末からの現金引き出しや、利用者からの電話問い合わせに対して、瞬時に利用者のプロフィールをデータベースから引き出して受けこたえするコールセンターなどがその実例である。しかし、この場合、企業等が情報通信技術を能動的に使いこなすのであって、利用者は従来型の便益をより便利に享受する立場にある。個々の利用者から見る限り、このような変化は、従来からあったサービスが今より効率的に安価に実現されることであり、ライフスタイルの本質的な変化にまでは及ばない。  しかし、近年、情報通信技術の利用は、企業等だけではなく、一般利用者の生活領域にまで広く浸透している。例えば、携帯電話を使ったオークションへの出品、ブロードバンドによる映像コンテンツの視聴、ブログ・SNS等を利用した自由活発な情報発信による社会に対する一定の影響力の行使等は、これまでの利用形態の延長上にない新しいタイプの利用形態であり、ライフスタイルの変化を伴うものである。そして、このようなライフスタイルの変化から、新しい市場や雇用が生じる一方、旧来の市場は縮小、あるいは変容し、企業等はこれに対応しなければならない。ユビキタスネットワークの進展により生じる社会経済の特質を表すものとして、「ユビキタスエコノミー」という用語をあえて使う意義はこの点にある。 3 ユビキタスエコノミーの検討の視点  本白書では、2010年のユビキタスネット社会(u-Japan)の実現に向けて、ユビキタスネットワークの進展により生じる社会経済の特質、すなわち「ユビキタスエコノミー」を特集テーマとする。そして、ユビキタスネットワークの進展により、企業から個人・世帯へ情報通信技術の利用が広がることで、新しく多様な情報通信技術の利用形態(通信・放送の融合・連携の進展、Web2.0等の新しい潮流、ブログ等の消費者発信型メディアの進展等)が生み出され、我が国の社会経済システムを変革し、経済活力を創生するメカニズムについて、次の(1)及び(2)の視点から検討を行う。 (1) ユビキタスネット社会実現に向けた経済パフォーマンス  情報通信産業の現状を見れば、ICTバブル崩壊という景気後退を経験したものの、インターネットを活用した新規ビジネスの登場など、情報通信分野の技術革新を起点とする「創造的破壊」のプロセスはいまだ健在であると考えられる。事実、情報通信産業の活動状況は、情報通信製造業の回復を反映して、次第に回復力を強めており、また実質GDP変化に対する影響を見ても、情報通信産業の寄与度は高く、良好な効果を及ぼしている。  他方、ユビキタスネットワークの進展により個人・世帯においても情報通信技術の利用が浸透しつつあるが、現在のところ、マクロレベルでは効率性の向上が顕著に現れるまでには至っていない。例えば、我が国における各産業の情報化投資と情報通信資本ストックの深化は進んでいるものの、各産業の生産性(TFP)を見ると、情報通信産業と電気機械を除いて、必ずしも生産性の向上が顕在化しているものではない。ユビキタスネットワークの進展による変化は、まずは、マクロレベルではなく、次に述べるミクロレベルの社会経済活動に現れる。 (2) ユビキタスネットワークによる社会経済活動への影響  ユビキタスネット社会では、企業・産業分野が中心だった1990年代と異なり、個人・世帯を含めたすべての領域におけるICT化、ネットワーク化が進展する。それにより、企業と個人、あるいは供給者と消費者との間に今までになかった直接的な接点が生まれ、新たな相互関係が生じるとともに、社会の様々な主体に分散して存在する多様な知識が統合されるなど、各主体の社会経済活動や相互関係に大きな影響を与える可能性がある。  そのため、本白書では、次の3点から検討を行う。 [1] 多様な情報流通社会の実現  通信・放送の融合・連携の進展により、新たな市場開拓、利用者ニーズの拡大等が期待される。また、Web2.0等の新しい潮流により、供給者と消費者のネットワーク取引においてロングテール現象(小規模で多様に存在する需要が取引として実現すること)等が生じ、ニッチ市場が開拓されるとともに、利用者の様々なニーズが充足される。さらに、ブログ、SNS等の消費者発信型メディアの台頭により、様々な主体が安価に情報発信を行うことが可能となり、多様な知識、意見等の社会への提供、還元等を促進する。 [2] 情報ミスマッチの解消  インターネットでのパーソナル広告、ポータルサイト、検索エンジン等による利用者の情報検索費用の低下や、それらを活用した企業等の効果的なマーケティングの展開により、情報供給者と情報需要者のミスマッチの解消が図られ、利用者の満足の向上や企業の競争力強化、市場の効率化、取引のグローバル化等に貢献することが期待される。 [3] 社会の生産性、人的資本力の向上  オープンソース化の流れに見られるように、ネットワーク化の進展は、知識の集積やそれによる協働(コラボレーション)を容易にし、社会全体の知識の生産力を大幅に向上させる可能性がある。  また、労働市場においては、テレワーク等の柔軟な就労環境を通じて多様な労働供給が可能となることが期待される。他方、企業は、企業ICT化の進展に伴い、競争優位の源泉として知識、人材等を重要視するとともに、独創性や希少価値を生み出すスペシャリストに対する需要を高める。このようなスペシャリスト化は、経営資源のコア業務への集中を促し、アウトソーシングを進展させる。 4 本白書の構成  このような問題意識の下、本白書は、次の3章構成とする。  第1章では、特集テーマとして、ユビキタスエコノミーについて調査・分析を行い、報告を行う。  まず第1節では、ユビキタスネット社会実現に向けた経済パフォーマンスとして、情報通信産業の動向について示したのち、情報化投資と情報通信資本ストックの深化がマクロ経済と産業の生産性へ与える影響について検討を行う。また、第2節から第6節までは、主に利用者の観点から、第7節から第12節までは、主に企業や市場の観点から、ユビキタスネットワークによる社会経済活動への影響について検討を行う。さらに、第13節では、ユビキタスネットワーク進展における「影」の部分の問題として、情報セキュリティとデジタル・ディバイドについて取り上げる。  第2章では、ユビキタスエコノミーを支える情報通信産業の現状等について調査・分析する。  第3章では、情報通信政策の基本的動向について取りまとめを行う。  2010年に向けて実現を目指すユビキタスネット社会が我が国の社会経済の発展に大きく貢献するものとすることが重要であり、そのための様々な施策の展開に寄与することを本白書の目的とするものである。