(3)石倉豊司さん ア 困難だった再就職活動とクラウドソーシングとの出会い 石倉さんは、デザイナーとして37年間勤めあげた新聞社を60歳で定年退職した。新聞社での様々な経験が他の業界でも大いに活かせると考え、退職後すぐに再就職先を探し始めたが、一年間で100社に応募するも、全てが書類審査止まりで、まったく相手にされない状況だったという。 再就職を難しくしたのは、石倉さんの年齢や経歴だったようだ。石倉さん自身は年齢を意識することはなく、若い人と遜色なく働くつもりだったが、企業側はそうは見ない。同じ条件なら若い人を採用することになりがちだ。また、唯一面接に呼ばれた会社では、新聞社のアートディレクターまで務めた方を一社員として雇うには経験が無駄になる。かといって役職者として処遇できるほどの経済力は中小企業にはない、自分の立ち位置をもう一度考え直されては、とそんなことを言われたそうだ。 翌年も求職活動を続けていた石倉さんだったが、あるとき妻に「どんどん元気がなくなっている」と言われてしまったそうだ。現状を変えていきたいという思いを強め、デザインのスキルを活かす仕事を探していく中で知ったのが、クラウドソーシングサービスの「クラウドワークス」だった。 個人で仕事を請け負うことも考え始めていた石倉さんだったが、その場合、今まで経験のない営業が必要になることをネックに感じていた。その点、仕事を発注したい企業と受注したい個人をマッチングする仕組みであるクラウドソーシングは、魅力的だった。 イ 家事を担いつつ、自宅で仕事に取り組む毎日 石倉さんはちょうど退職から2年後の2013年に「クラウドワークス」に会員登録をし、個人のデザイナーとして仕事を開始した。妻は石倉さんの定年退職と入れ替わるように看護師として働き始めたので、それ以来石倉さんが家事を担っている。自宅で家事をこなしつつ、クラウドワークスで見つけたデザインの仕事に取り組む毎日だ。朝6時頃に妻を送り出して家事をし、9時頃から自室のデスクで仕事を開始する。午前中に一度戻ってくる妻と会話をしたり、買い物や食事の支度をしたりしつつ、毎日10時間ほどを仕事に充てている。 三人の息子はそれぞれ独立しており、今は妻と二人暮らしだ。外で働いている妻の存在が生活にリズムをもたらし、「彼女も頑張っているから、僕も頑張ろう」という張り合いになっているそうだ。 ウ コンペでは、相手の実現したいことを読み解いてデザインを提案 石倉さんの専門はグラフィックデザインで、クラウドワークスにはチラシやパンフレットなど、石倉さんのスキルを活かせる仕事が数多く掲載されている。 「クラウドワークス」では、「プロジェクト形式」、「コンペ形式」、「タスク形式」という三つの仕事の形態があり、石倉さんが主に取り組んでいるのは「コンペ形式」の仕事だ。これは、発注者があらかじめ制作物の仕様と報酬を提示し、クリエイターが作品を応募するというもの。報酬は、採用された作品に対してのみ支払われる。 数ある案件の中でも石倉さんが応募したいと思うのは、「やりたいことはあるが、どう発注すればよいか分からず困っているような案件」の依頼だそうだ。クラウドソーシングを使えば、企業はそれまで広告代理店等を通じて発注していたようなことをクリエイターに直接発注できる。そのため、早く、比較的安価で成果物を得ることができるが、企業によってはクリエイターに仕事を依頼することに慣れておらず、希望する内容が明確に表現されない場合がある。仕事の依頼内容がわかりにくいと、応募は集まりにくい。石倉さんは、そういう相手こそ応募したいと感じ、相手が実現したいことを積極的に読み解いて提案してみるのだという。 石倉さんの「読み解き」が、うまくニーズを捉えていれば相手からも喜ばれるが、そうならないことも多いという。デザインのクオリティや仕事の速さ、対応の誠実さには自信をもっている石倉さんだが、コンペ形式の場合は応募した作品のみで評価されるため、採用されなかった場合は「波長が合わなかった」と自分を納得させている。 エ 手を動かし、社会に還元することの喜びを求めて 長くても4日、速くできるものは1日かからずにデザインを仕上げ、たくさんのコンペに応募してきた石倉さん。これまでに採用された作品は、チラシデザインや地図イラストなどだ。現時点では、「クラウドワークス」での収入は時期による変化が多く、安定的ではない。そんな中、仕事を続ける根底には、元気な限りは、仕事を通じて社会の役に立っていきたいという思いがある。また、新聞社時代の経験から、新しいことを調べて知識を増やしていくことが得意なので、クラウドワークスを通じて様々な業界や、新しいビジネスのことを知るのも面白いと感じている(図表4-3-5-6)。 図表4-3-5-6 石倉さんが仕事をするデスクの様子 定年退職後の働き方としてクラウドソーシングを利用するには、どんな人が向いているか? という質問に対する石倉さんの答えは「地位にあぐらをかかないタイプの人」というものだった。組織内での地位が高くなると、自分がやらずとも部下に指示を出せば物事は進むようになる。その感覚をひきずったままでは、クラウドソーシングを活用し、個人で仕事をしていくのは難しいということだ。 石倉さんの再就職活動では、年齢や経歴がネックになったが、そのような個人的な背景が問題にならないことがクラウドソーシングのメリットだ。厳しい競争の世界である一方、初心者でもベテランでもエントリーでき、また、身体能力や働く場所、時間などに関わらず、仕事の成果で判断される開かれた世界だとも言える。自らのスキルを眠らせず、世の中の役に立ちたいシニア層がチャレンジし続けることができる場のひとつとして、クラウドソーシングは今後も活用が広がっていくだろう(図表4-3-5-7)。 図表4-3-5-7 定年退職後の毎日について話をする石倉さん