(3)政府によるルール整備等の動き 言論の自由やインターネット上の民主主義の保持の観点から、政府による規制は適切でないとする意見もある一方で、近年では過激な言論やフェイクニュースが蔓延するインターネットコミュニティに疲弊してきたユーザーが法規制やプラットフォーム運営者による対策を求める声が強くなってきたとの指摘もある49。 政府によるルール整備等の動きとしては、EUにおいて、欧州委員会が2016年5月に前述のデジタル・プラットフォーマー4社との「行動規範」に合意を交わし、プラットフォーム事業者の自主的な取組を促している。このように、政府が直接規制を行うのではなく、民間企業の自主規制を組み合わせた形でルールを設ける手法を共同規制という(第3節参照)。ドイツにおいては、ソーシャルメディア上で流通するフェイクニュースについても24時間以内の削除を求めるとともに、削除できなかった場合は罰金を科すという法律を2018年1月に施行した。マレーシアでは、2018年4月に虚偽の情報を発信した個人や企業に罰則を科す法が成立し50、その他の国でもフェイクニュースへの対処方法や拡散した人々の処遇について検討が開始されている。なお、韓国においては、かつて利用者10万人以上のサイトすべてに対して実名使用を強制する制度が設けられていたが、現在は廃止されている51。 我が国では、総務省「プラットフォームサービスに関する研究会」において、フェイクニュースや偽情報への対応に関する議論が行われており、同研究会の中間報告書では、「民間部門における自主的な取組を基本として、正しい情報が伝えられ、適切かつ信頼しうるインターネット利用環境となるよう、ユーザリテラシー向上及びその支援方策、また、ファクトチェックの仕組みやプラットフォーム事業者とファクトチェック機関との連携などの自浄メカニズム等について検討をすることが適当」とされている。 サイバー空間の自由で安心・安全なデータの流通を実現する観点から、データの信頼性を確保する仕組みとして、EUではデータの改ざんや送信元のなりすまし等を防止するトラストサービスに着目している。2016年7月に発効したeIDAS(electronic Identification and Authentication Services)規則により、電子署名、タイムスタンプ、eシール等のトラストサービスについて包括的に規定している。我が国では、前述の「プラットフォームサービスに関する研究会」の下に「トラストサービス検討ワーキンググループ」を開催し、トラストサービスに関する@人の正当性を確認できる仕組み(利用者認証、リモート署名)、A組織の正当性を確認できる仕組み(組織を対象とする認証、ウェブサイト認証)、BIoT機器等のモノの正当性を確認できる仕組み、Cデータの存在証明・非改ざんの保証の仕組み(タイムスタンプ)、Dデータの送達等を保証する仕組み(eデリバリー)に関する現状や制度的課題について検討を行っている。 コラムCOLUMN 1 IoT国際競争力指標(2017年実績)にみる市場動向 1 はじめに IoTの普及により、あらゆる人やモノがインターネットにつながり、集積されたデータが新たな価値を生み出すことで、暮らしや社会が良い方向に変化する「IoT社会」が到来している。 総務省では、このようなIoT社会の到来を踏まえ、我が国のICT産業の国際競争力強化に向けた測定指標として「IoT国際競争力指標」を2015年から策定し、公表している。「IoT国際競争力指標」は、世界のICT/IoT製品・サービスの年次売上高や各国企業のシェアの観点から、ICT産業における日本企業の競争力の一面を計測した指標と捉えることができる。「IoT国際競争力指標」の構成は、図表1のとおり。 〈図表1 「IoT国際競争力指標」の構成〉 (出典)総務省「IoT国際競争力指標」(2019) 2019年2月には、2017年実績値を公表した。これを基に、我が国のICT/IoT製品・サービスを巡る我が国の国際競争力の状況について解説する。 2 世界全体の市場動向 - IoT製品の市場はICT製品等の市場に比較して小規模なものが多いものの、一部を除きプラス成長 IoT製品は、ICT製品等の市場に比較して小規模なものが多いものの、一部を除きプラス成長となっている。他方、ICT製品等は、IoTのICT基盤として期待される「小型基地局」や「仮想化SW/HW」等は成長率が高いものの、低い成長率又はマイナス成長となっているものが多くなっている。ICT市場全体では、2016年から2017年にかけて緩やかに拡大している。 また、ICT製品等のうち、動画配信サービスや、多様化が進むクラウドサービスといった上位レイヤーのサービスも高い成長率となっている。他方、スマートフォンやタブレットは低い又はマイナスの成長となっているが、すでに多くのユーザー層に普及が浸透している、「ヒト」が通信することをターゲットとするハードウエアについては、今後も高い成長は見込まれていない傾向にある。 なお、コネクテッドカーに関係する自動車向けセルラーモジュールや、ヘルスケア用のウェアラブル製品についても、マイナスの成長となっているが、これらはアジア企業に参入による価格下落が見られていることによる。(図表2) 〈図表2 世界におけるICT/IoT製品等の市場規模(2017)と市場成長率(2017/2016)〉 (出典)総務省「IoT国際競争力指標」(2019) 3 日本企業の状況 〜世界市場全体の状況と比較すると? 日本企業の状況を、世界市場全体の状況と比較すると、どのような傾向が確認できるだろうか。 ・日本企業は世界市場の拡大を取り込めているか - IoT製品を中心に、日本企業はおおむね世界市場の拡大を取り込んでいるが、「サーバ」「小型基地局」等では、世界市場が拡大する中で日本企業の売上高は減少 まず、2017年/2016年における世界の市場成長率と日本企業の売上高成長率を散布図によって比較する。 IoT市場の製品を中心に、世界市場の成長率と日本企業の売上高成長率はおおむね同水準であり、日本企業は世界市場の拡大を取り込めている状況であることが確認できる。また、「CaaS」「仮想化機器」「据置型ゲーム」「テレビ」では、世界市場の拡大を上回って日本企業の売上高が増加したということが確認できる。他方、「サーバ」「小型基地局」などでは、世界市場は拡大しているなかで、日本企業の売上高は減少したということも確認できる。(図表3) 〈図表3 世界におけるICT/IoT製品等の市場成長率(2017/2016)と日本企業の売上高成長率(2017/2016)〉 (出典)総務省「IoT国際競争力指標」(2019) ・世界市場で成長しており、日本企業の市場シェアも高いものは何か - 世界の市場成長率と日本企業の市場シェアの双方が高い製品は、「据置型ゲーム」等限定的 - 「携帯基地局」や「タブレット」等については、双方共に低い 次に、2017年/2016年における世界の市場成長率と、2017年における日本企業の市場シェアを軸とするグラフでは、右上に位置するものほど、世界の市場成長率が高く、日本企業の市場シェアも高い製品等ということになるが、「据置型ゲーム」等限定的になっている。他方、左下に位置する「携帯基地局」や「タブレット」等については、世界の市場成長率と日本企業の市場シェアは、共に低いということになる。(図表4) 〈図表4 世界におけるICT/IoT製品等の市場成長率(2017/2016)・市場規模(2017)と日本企業の市場シェア(2017)〉 (出典)総務省「IoT国際競争力指標」(2019) ・日本企業の売上高の増加・減少が市場シェア拡大・縮小に結びつかないケースがある 次に、2017年/日本企業の市場シェア拡大が望まれる。しかし、当然ながら、日本企業の売上高の増加・減少が、そのまま市場シェアの拡大・縮小に結びつくわけではない。日本企業の売上高が増加した場合であっても、世界市場の拡大の度合いを下回っていれば、市場シェアは縮小することになる。 同様に、日本企業の売上高が減少した場合であっても、世界市場の縮小の度合いの方が上回っていれば、市場シェアは拡大することになる。(図表5) 〈図表5 日本企業の市場シェア拡大・縮小のパターン〉 (出典)総務省作成 このため、市場シェアの増加や減少をみる際には、その背景を把握することが重要となる。 この点について、小型基地局を例にとってみてみる(図表6-1)。折れ線グラフが市場シェアの増減を示し、その要因の内訳を、@世界市場の拡大・縮小(むらさき)と、A日本企業の売上高の増減(オレンジ)を棒グラフで示している。 〈図表6-1 小型基地局 ネットワーク構成図〉 例えば、2015年から2016年には、日本企業の市場シェアは増加しているが、これは日本企業の売上高の増加が世界市場の拡大の度合いを上回っていたということになる。(図表6-2) 〈図表6-2 市場シェアの増減要因の分解(小型基地局の例)〉 (出典)総務省「IoT国際競争力指標」(2019)データから作成 2016年から2017年には、日本企業の市場シェアは減少しているが、これは、相対的にアジア太平洋地域などの世界市場が拡大する中にあって、国内市場は小規模52かつ成熟化傾向にあり、日本企業は売上高を縮小させたことにあると考えられる。(図表6-3)今後は、5G向けやsXGP向けの市場の成長が見込まれ、積極的な市場開拓が期待される。 〈図表6-3 アジア太平洋地域における小型基地局出荷金額(単位:1,000ドル)〉 (出典)IHSマーキット 4 主要10か国・地域で市場シェアを比較する IoT国際競争力指標では、日本・米国・中国・韓国・台湾・ドイツ・フランス・オランダ・スウェーデン・フィンランドの10か国・地域の企業を対象に、市場シェア等を調査・分析している。その中で、日本はどのような製品等で世界トップシェアを占めているのだろうか。 - 日本は、IoT製品では「産業用ロボット」「コンシューマヘルスケア機器」「デジタルサイネージ」等の5項目、ICT製品等では「ポータブルゲーム」「据置型ゲーム」「画像センサー」の3項目で世界トップシェアを占める IoT製品の国・地域別市場シェアを示したものが図表7、ICT製品等の国・地域別シェアを示したものが図表8である。IoT製品では「産業用ロボット」「コンシューマヘルスケア機器」「デジタルサイネージ」等の5項目、 ICT製品等では「ポータブルゲーム」「据置型ゲーム」「画像センサー」の3項目で世界トップシェアを占めていることが分かる。また、米国や中国が世界トップシェアを占めている製品等が多いことも分かる。 〈図表7 IoT製品の国・地域別市場シェア〉 (出典)総務省「IoT国際競争力指標」(2019) 〈図表8 ICT製品等の国・地域別市場シェア〉 (出典)総務省「IoT国際競争力指標」(2019) 5 「IoT国際競争力」とは何か IoT国際競争力指標は、あくまでも企業の製品等の売上高のデータを使用し、また、その企業の本社が属する国・地域を基に整理を行っている。しかしながら、ICTの発展・普及等を背景としてグローバル・バリューチェーンの構築が進んでおり、例えば日本企業が最終製品を製造し、輸出するものであっても、部品等は他国企業から輸入するといった状況が無視できなくなってきている。(図表9) 〈図表9 日本のICT財種類別・対地別輸出入額の推移〉 (出典)UNCTAD STATから作成 このIoT国際競争力指標では、各製品・サービスの輸出額におけるシェアやこのような最終製品・部品の関係を計測していないため、輸出額が重複して計上されている可能性や、実際にその国がどれだけの付加価値を創出したのかは計測できていないことになる。このような中で、OECDでは、付加価値ベースの貿易統計を作成しデータを提供している。(図表10)その考え方は、現行の総輸出額が重複計上している要因を取り除き、付加価値の流れのみを計測するというものである53。 〈図表10 付加価値ベース貿易統計54〉 このようなことを背景に、単に各国企業による製品等の売上高や市場シェアだけをみても、それがその企業が属する国・地域の「国際競争力」といえるのかという論点がある。 また、人工知能(AI)やIoT等の利用によって生み出されるデータの量や質が価値の源泉となってきている等により、ICT産業の構造変化が起こってきている。例えば、デジタル・プラットフォーマーと呼ばれる企業が、M&Aを駆使しつつ、世界市場での存在感を大幅に高めてきている。 IoTについても、IDCによると、2017年以降のIoT市場では、製品以上にプラットフォームやデータ分析サービスでの高い成長が見込まれている。(図表11)このような中で、IoT国際競争力指標においては、IoTについてはあくまでも製品の売上高を用いている。この観点からも、「IoT国際競争力」を的確に評価できているのかどうかという課題がある。 〈図表11 世界及び日本のIoT市場支出額予測と技術別割合〉 (出典)@国内は、IDCJapan株式会社「国内IoT市場 テクノロジー別予測」(2018年9月12日付プレスリリース)から、A世界は、IDC Corporate USA “IDC Forecasts Worldwide Spending on the Internet of Things to Reach $745 Billion in 2019, Led by the Manufacturing, Consumer, Transportation, and Utilities Sectors”(2019年1月3日付プレスリリース)から総務省作成 コラムCOLUMN 2 準天頂衛星システム 1 準天頂衛星システム(みちびき)の利活用促進に関する取組 我が国では、2006年より文部科学省・国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)、総務省、経済産業省、国土交通省が連携し、ビルや山陰等の影響を受けにくく高精度な測位が可能な「準天頂衛星システム(みちびき)」の開発に着手し、2018年11月1日より内閣府による4機体制でのサービスを開始した。 日本版GPSとも呼ばれる「みちびき」は、準天頂軌道に3機、静止軌道に1機の測位衛星を配置した我が国独自の衛星測位システムである。準天頂軌道とは、静止軌道に対して軌道面を40〜50度傾けた南北非対称の楕円軌道であり、静止軌道と同様に地球の自転と同期して約24時間で1周し、地上から見ると変形した「8」の字を描くように見え、日本上空に長い間滞在するという特徴を有している。 〈図表1 「みちびき」の軌道(4機体制)〉 (出典:内閣府宇宙開発戦略推進事務局「準天頂衛星システム『みちびき』」55(2018)を基に作成) 「みちびき」からは、主に次の3つのサービスが提供される。 @ 衛星測位サービス(GPSと互換性のある衛星測位信号を配信し、衛星数増加による測位精度の向上を図るもの) A 測位補強サービス(高精度な測位補強情報(センチメータ級及びサブメータ級)を配信し、衛星測位の精度向上を図るもの) B メッセージサービス(地震、津波といった災害情報などの配信や、避難所等で収集した避難者の安否確認情報を伝達するもの) 今後、「みちびき」は、社会経済活動を支える重要なインフラとして、交通、建築、通信、防災、金融等の様々な分野で活用されることが期待されており、現在、我が国では、特にセンチメータ級に代表される高精度な測位補強サービスを活用した実証実験や実証事業等の取組が産学官を挙げて推進されている。サブメータ級測位補強サービスについては、既に実ビジネスにおいて活用が進んでいる。また、「みちびき」の軌道は、日本上空のみならずアジア・太平洋地域を広くカバーすることから、これらの地域に対して、我が国から「みちびき」を活用したサービスやソリューションビジネスを展開することも期待される。 このため、総務省では、「みちびき」の海外展開に向け、2014年度よりスマート農業の実証事業をオーストラリアにおいて実施した。この実証事業では、現地の農業関係者等と連携して、「みちびき」の高精度な測位補強サービスを活用した農機の自動化やドローンによる効率的な作物の生育状況の把握など、スマート農業の実現を目指している。これまでの実証の結果、約40cmの条間(作物を植えた列(条)の間隔)を約30cmのタイヤ幅の農業トラクターが無人で自動走行できることが確認できた。また、3次元の農地マップとドローンを活用した高精度なセンシングにより、葉の植生や背丈情報の可視化、雑草の自動検知などを実現し、農地の見回り時間の短縮など農作業の効率化に繋がることが確認できた。 〈図表2 「みちびき」を活用した豪州におけるスマート農業実証〉 (出典:総務省作成) 総務省では、「みちびき」を活用したサービスが国内外で幅広くビジネスの基盤として活用されることを目指し、引き続き、企業や関係省庁と連携しながら、実証事業に取り組むこととしている。 2 世界における衛星測位システムの動向 衛星測位は、人工衛星からの信号を受信することにより地上の位置・時刻を特定する技術であり、GNSS(Global Navigation Satellite System:全地球航法衛星システム)というインフラが用いられている56。GNSSには、全地球を対象としたものや特定地域向けの衛星システムがあり、「みちびき」のほか、米国のGPS、ロシアのGLONASS、EUのGalileo、中国のBeiDou(北斗)、インドのNAVIC等がある。代表的なGNSSであるGPSは、米国国防総省が運用している30機程度の人工衛星から構成されるシステムで、各人工衛星は高度約2万km上空を12時間で地球を1周している。(図表3) 〈図表3 諸外国における整備状況〉 (出典:内閣府宇宙開発戦略推進事務局「準天頂衛星システム『みちびき』」(2018)) 3 システムに関する世界市場の状況 米国衛星産業協会(SIA)によると57、2017年の世界の衛星産業の売上高は2,686億ドル(対前年比3%増)で、うち地上機器分野は1,198億ドル(対前年比5.6%増)となっている。この地上機器分野の7割程度を衛星測位機器が占めていると考えられる58。(図表4) 〈図表4 世界における衛星産業の売上高推移及び内訳〉 (出典)SIA「2018 State of the Satellite Industry」(2018) また、欧州GNSS監督庁(GSA)59によると、2017年現在、全世界で58億台のGNSS対応機器が利用されており、2020年には約80億台に達すると予測されている。用途別内訳は、位置情報サービス(LBS)が大多数を占めており、特にスマートフォンが最も大きく(2017年で54億台)なっている。LBSに次ぐ用途は、道路・自動車関係(Road)となっている。(図表5) 〈図表5 世界における分野別台数〉 (出典)欧州GNSS監督庁(GSA)「GNSS Market Report, Issue5」(2017) GNSS産業について60、国・地域別の市場シェアは、米国29%、欧州25%、日本23%、中国11%、韓国5%等となっている。また、「部品メーカー」「システムインテグレーター」「付加価値サービスプロバイダー」市場のバリューチェーンにおける上位10社の中に、日本企業は複数社が登場している。(図表6) 〈図表6 GNSS産業の現状〉 (出典)欧州GNSS監督庁(GSA)「GNSS Market Report, Issue5」(2017) コラムCOLUMN 3 人工知能(AI)のもたらす新たなチャンスとリスク−英国ケンブリッジ大学におけるAI研究を通して考えたこと− 高橋教授は、メディア・コミュニケーション研究を専門とし、人工知能やロボット、スマートフォン、SNSなどを人文・社会科学の立場から分析している。人工知能の社会的インパクトやロボットの利活用などについて、ハーバード大学やコロンビア大学、ケンブリッジ大学と国際共同研究も行っており、2018年9月から2019年3月まではケンブリッジ大学で在外研究に携わられた。英国での各国研究者との議論も踏まえ、人工知能(AI)のもたらす新たなチャンスとリスクについて寄稿いただいた。 早稲田大学文学学術院高橋利枝 教授 国連「AI for Good」グローバルサミットにて AIに対する英国の憂慮 人工知能(AI)という言葉が注目を集めていますが、日本では、鉄腕アトムやドラえもんに代表されるような、ポジティブなイメージが持たれることが多いと思います。また、私たちが今後直面する超高齢化や人口減少に対して、AIやロボットがもたらす新たなチャンスに大きな期待が寄せられています。しかしながら、英国や欧州では、ターミネーターの映画に代表されるような人間を支配し、社会を破壊するネガティヴなイメージが持たれることが多いようです。そして、失業や格差など、AIがもたらす新たなリスクに対する不安がより多く語られています。 私が所属しているケンブリッジ大学のAI研究所である「知の未来」研究所(CFI: Leverhulme Centre for the Future of Intelligence)も、リスクに関する研究所(CSER: Centre for the Study of Existential Risk)を併設し、短期的なリスクばかりでなく長期的なリスクも含めて、AI研究が行われています。ケンブリッジ大学では、この研究所の他にも、工学部やアイザック・ニュートン研究所(数学)、コンピューター・サイエンスなど自然科学系のみならず、哲学や歴史、言語学など人文社会科学系の学部でも、AIに関してクリティカルな議論が行われています。 一方、企業も数多くケンブリッジに進出しているため、ビジネスに関するAIセミナーやイベントも毎週のように開催されています。ケンブリッジ・ワイヤレスやアマゾン、フェイスブック、ディープマインド、ケンブリッジ・コンサルタントなどによるビジネスパーソンや一般向けのAIイベントでは、AIがもたらす新たなチャンスとリスクに関して、産官学交えて活発な議論が行われています。私はケンブリッジ大学客員研究員として、これらのイベントに加えロンドンで開催されたロイヤル・ソサイエティによるYou and AI、TechUKによるデジタル倫理サミット、アランチューリング研究所や在英日本大使館など、多くのAIイベントに招待して頂きました。 このコラムでは、私が参加したこれらのAIに関するセミナーやイベントを通して提示された課題の中で、私たち日本人にとって特に重要と思われる3つの点に注目して考察していきたいと思います。そして英国におけるAI研究からAI時代を生きるために必要な「ヒューマン・ファースト・イノベーション」について述べたいと思います。 GAFAと中国に対する懸念 英国においてAIに関して必ず示唆されるのは、アメリカ、そして中国に対する懸念です。今後アメリカや中国で開発されたAIが世界中で利用される可能性があるでしょう。このことがもたらす社会的なインパクトについては、私たちも考えなければならないのかもしれません。 英国で聞くアメリカに対する懸念は、GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)によるデータの独占とバイアスに集約されます。例えば、現在、白人の中年男性に偏ったデータセットが用いられているため、黒人の若い女性が保険の申請をした場合には、十分なデータがないためにAIは申請を却下する可能性があります。また、就職試験にAIを用いた場合も、男性はコンピューター・エンジニア、女性は専業主婦という従来のデータセットが用いられることにより、女性が仕事を得られにくくなり、結果的に保守的な男性中心社会を強化してしまう可能性があります。 一方、中国に関しては特に懸念が多く語られています。英国や欧州ではプライバシー保護法が厳しく使用出来ないようなデータを、中国では自由に使用できるため、中国企業が提示する多額の報酬とともに、多くの優秀なエンジニアがAI開発のために中国に流れているというものです。また中国のAI開発における倫理や信頼性に対する懸念も多く表明されています。 私たちは経済効果ばかりに目を奪われがちですが、AIがもたらす文化的な影響に関しても考慮しなければなりません。レイモンド・ウィリアムズ(Raymond Williams)は文化を「生活様式」と定義しています。人びとの日常生活を通して日々生成される膨大なデータを用いて開発されたAIもまた、文化的な影響を受けることになるでしょう。19世紀は欧州諸国による帝国主義が世界を覇権したと言われました。そして、20世紀はマクドナルドやコカコーラなどの消費文化やハリウッドを中心としたアメリカによる「メディア文化帝国主義」により、世界のアメリカ化が指摘されました。21世紀はアメリカや中国による「AI文化帝国主義」の時代に突入するのでしょうか? AI倫理への懐疑:日本のロボット文化に対する懸念 英国においてAIに関して必ず示唆されるのは、アメリカ、そして中国に対する懸念です。今後アメリカや中国で開発されたAIが世界中で利用される可能性があるでしょう。このことがもたらす社会的なインパクトについては、私たちも考えなければならないのかもしれません。 このような米国と中国のAI2強に対して、英国や欧州は、倫理や規制による対抗策を講じているように思われます。現在、AI倫理のガイドラインや原則が国や地域で提示され、国際ルール作りが急務とされています。ケンブリッジ大学やオックスフォード大学でも、多くの人文社会科学者が中心となって、各国や国際機関によって提示されたAI倫理原則の翻訳を行い、盛んに比較検討されています。しかしながら国際ルール作りに向けて議論が始まった今、深刻な問題に直面しています。 何故ならばAI倫理で用いられている概念は(「公平性」や「説明責任」、「透明性」など)非常に高度で抽象度が高い一方で、現実社会における倫理は個々の社会的文脈に依拠しているからです。例えば、ケンブリッジ大学のエイドリアン・ウェラー(Adrian Weller)博士は、「透明性」の概念一つとっても、開発者、利用者、規制など政策立案者の立場によって意味するものが違うため、定義つけることは困難であると述べています。 さらに、国際ルール作りに至っては、哲学者がこれまで重要視してこなかった文化的な差異の問題に直面しています。例えば、欧州におけるロボットの規制を検討している欧州議会のマディ・デルヴォー(Mady Delvaux)議員は次のように述べています。「私たちは日本にある人間のようなロボットは欲しくないのです。ロボットは人間を情緒的に依存させるべきではないという憲章の制定を提案しました。物理的な労働に関して私たちはロボットに依存することはできますが,ロボットが人間を愛するとか自分の悲しみを感じてくれるなどとは,決して考えるべきではないのです。」 英国や欧州では、メディアやロボットに過度に心理的関与や社会的親密性を抱く人は「vulnerable(傷つきやすい人)」として捉えられています。AI倫理の根底にある「人間の尊厳」について、60年間にわたってAI研究の動向を見続けてきたマーガレット・ボーデン(Margaret A. Boden)は、AI開発において私たちが越えてはいけない一線(red line)として、「日本が巨額の資金を投資して推し進めているような介護や孤独な人のケアをAIやロボットにさせるべきではない。人間の尊厳を守るべきである」と主張しています。 超高齢社会を迎える今、私たち日本人にとって超えてはいけない一線(red line)とはどこなのでしょうか? ホヤ化する人間?:AI依存による人間性の喪失 このように英国や欧州では、アメリカや中国によるAI開発、日本におけるロボットと人間の関係性に対して批判的見解が多く見られる一方で、より根本的な問題として、AIに過度に依存することによって、本来人間にとって必要な能力を失う危険性について懸念されています。 哲学者のヘンリク・シューネベルク(Henrik Schoeneberg)は、ホヤの例を用いて、AIによる人間性の喪失について警鐘を鳴らしています。ホヤは、幼少期は海を泳ぎまわりますが、ある時期になると生涯留まる岩にたどり着きます。そして最初にすることは、自分の脳と神経系を食物として消化することだそうです。 AIが医療や司法の現場に導入されることにより、医師や弁護士など専門家の仕事が軽減されたり、自動運転の導入により運転技術を学ぶ必要がなくなったり、教育において重視されてきた記憶力や知識量がグーグル検索やSiriなどにより必要がなくなるなど、AIの導入によってこれまで必要とされてきたスキルが必要なくなる可能性があります。 しかしながらその一方で、新たなスキルも必要とされるでしょう。例えばフェイクニュースや「ディープフェイク」と呼ばれるAIによって作られたフェイク動画などに対する批判的解釈は今後ますます必要となるでしょう。 AIの言うことを鵜呑みにし、自分で考えることをやめてしまったら、人間はホヤのように脳が必要なくなってしまうのでしょうか? ヒューマン・ファースト・イノベーションに向けて AIによってもたらされる新たなチャンスを最大に享受し、リスクを最小にするためにはどのようにしたらいいのでしょうか?最後に英国におけるAI研究から「ヒューマン・ファースト・イノベーション」について提案したいと思います。 (1)ヒューマン・ファースト アクセンチュア・デジタルのディレクターであるフェルナンド・ルシニ(Fernando Lucini)は、長年AIを開発してきたエンジニアの立場から「今100人がそれぞれ道路を作っているとすると、誰もその道がどこに向かっているのかわからない。企業も中国も誰にもわからない。」と述べています。 現在AI開発は、時代に乗り遅れないため、国際競争に勝つためといった技術主導の「AIファースト」になっています。チャップリンの「モダンタイムズ」で風刺されたように人間が機械化しないためには、私たち人間が自己実現し、より良い社会を創るためのツールとしてAIを利活用しなければいけません。すなわち「AIファースト」ではなく、向かうべき目標を持った「ヒューマン・ファースト」でなければならないのです。 2018年5月ジュネーヴで開催された国連「AI for Good」グローバルサミットにおいて、ITU電気通信標準化副局長(TSB)のラインハルト・ショール(Reinhard Scholl)は、「AIは様々な開発目標を達成するための道具にすぎない。そのためAIに関する特定の開発目標が必要なのではなく、AIはSDGsの全ての開発目標にインパクトを与えていくものである」と指摘しました。国連が掲げたサステナビリティという目標を達成するための「ツール」としてAIを開発すべきであると述べています。 ブロックチェーンやIoE(Internet of Everything)など新たなテクノロジーによって、私たちの社会はますます稠密につながっていきます。そのため私たちの社会が持続可能となるためには,一国だけの利益を追求する「ネーション」ファーストではなく,地球規模において全ての人類のためという意味での「ヒューマン」ファーストでなければならないでしょう。 このようなヒューマン・ファーストなイノベーションを起こすためにはどうしたらいいのでしょうか? (2)クロスディシプリン:社会的便益性の高いAI開発 テクノロジーは文化によって規定されますが、文化もまたテクノロジーによって規定されています。データのバイアスによって、AIは白人至上主義や男性中心社会の強化、マイノリティに対する差別や排除など、新たなリスクをもたらす可能性があります。そのため、データセットにおけるバイアスに対して、クリティカルな検証が必要となるでしょう。また、米国や中国で開発されたAIに対しても、日本の文化(生活様式)や、目指すべき将来の社会規範に合わせて流用する必要があるでしょう。 英国では、社会的公益性の高い医療の分野に関して、アメリカのGAFAが入手できない自国のNHS(National Health Service)のデータを使うことにより、ヘルスケアに関するAI開発を行い、世界に英国発のAIシステムを導入させたいとしています。また、ビックデータ分析により、地球環境問題など各国が協力してグローバルな問題に取り組むような社会的協働など、AIによってもたらされる新たな包摂(インクルージョン)の可能性についても積極的に取り組んでいます。このような医療や包摂の分野でのAI開発は日本にも大きなチャンスがあると思います。 一方で、AI倫理の専門家であり、オックスフォード・インターネット研究所のデジタル倫理ラボ所長のルチアーノ・フロリディ(Luciano Floridi)教授は、TechUK主催の「デジタル倫理」サミットにおいて、アイロンがけロボットを例にとり家庭において私たちが欲しいのは写真のようなヒューマノイドではなく、シンプルな家電であると指摘しました。ロボット工学の権威であるイタリアのパオロ・ダリオ(Paolo Dario)教授もまた、将来のロボット開発はロボット研究者自身の興味や関心で作るのではなく、社会の問題解決のためのロボットが必要と指摘しています。 社会的便益性の高いAIやロボットを開発するためには、スタンフォード大学やコロンビア大学が積極的に取り入れているように、自然科学と人文社会科学の壁を超えたクロスディシプリナリーなアプローチが必要となるでしょう。 (3)自己創造 AIがもたらす最大のリスクは失業問題です。ユヒヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)は、膨大な「無用者階級」の創出の危険性を指摘し、 AI時代において「人間が取り残されないためには、一生を通して学び続け,繰り返し自分を作り変えるしかなくなるだろう。」と述べています。ヒューマン・ファーストな社会は、人々に自己を創造し続けるための様々な支援や機会を与えなければならないでしょう。そして私たちも、AI環境に適応しながら、これまで以上に自己をクリエイティブに創造し続けるための力が必要になるでしょう。 「自己創造」という概念は、20年間にわたり私がフィールドワークで出会った人たちの独創的な自己形成の特性に対して発達させてきた概念です。シューネベルクは、人間である証とは、(良い決定も悪い決定も含めて)意思決定ができることであると言います。何故ならば自身が下した悪い決定も、失敗から多くのことを学び、その後の人生を力強く生き抜く新たな自己を再創造するための大きなチャンスとなるため、結果的に良い決定に転換することができるからです。新たな文化に出逢ったりスキルを学んだりすることにより、これまで自分でも気づかなかった自己の能力や可能性を見出すことができるかもしれません。 すでに世界はどんどんサイバー空間の中に吸収され、私たちの日常生活もリアルな身体的感覚から日に日に遠ざかっています。「デジタル・ネイティブ」という言葉の生みの親であるマーク・プレンスキィ(Marc Prensky)は、携帯電話がないと脳の半分を失うと言った若者の例から、「デジタルウィズダム」の重要性について提示しています。AIがもたらすチャンスを最大にし、リスクを最小にするために、新たな人間の叡智である「スマートウィズダム」が必要になるでしょう。 もし私たちがAIに過度に依存し、人生にとって大切な選択について、悩んだり迷ったりしながらようやく決定するということを止めてしまったらどうなるのでしょうか? 行くあてのない人生という長い道のりをAIのリコメンドに従ってただ闇雲に突き進んで行くのでしょうか? AI社会がまさに到来しようとしている今、私たち一人一人が幸せや自己実現など、生きていることの最も大切な意味について考えてみる必要があるのではないでしょうか―「人間の尊厳」を守るために。 あなたはどんな「人間」になりたいですか? 私たちは25年後どんな社会を築きたいのでしょうか? 高橋利枝 早稲田大学文学学術院教授。ハーバード大学バークマンクライン研究所ファカルティ・アソシエイト。ケンブリッジ大学ならびにコロンビア大学客員研究員。オックスフォード大学ケロッグカレッジ・コモンルームメンバー。 専門はメディア・コミュニケーション研究。人工知能やロボット、スマートフォン、SNSなどを人文・社会科学の立場から分析。 お茶の水女子大学卒業(理学士:数学)。東京大学大学院修士課程修了(社会学修士:社会情報学)。東京大学大学院博士課程単位取得満期退学。英国ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)大学院博士課程修了Ph.D.取得(社会科学博士:メディア・コミュニケーション学)。順天堂大学専任講師、立教大学准教授、オックスフォード大学客員リサーチ・フェロー、ハーバード大学ファカルティー・フェローを経て現職。 現在、人工知能の社会的インパクトやロボットの利活用などについて、ハーバード大学やコロンビア大学、ケンブリッジ大学と国際共同研究を行っている。 主な著書『デジタル・ウィズダムの時代へ』(新曜社、2016年、テレコム社会科学賞入賞)。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会テクノロジー諮問委員会委員。 49 総務省(2019)「デジタル化による生活・働き方への影響に関する調査研究」有識者ヒアリング(学習院大学法学部 遠藤薫教授)に基づく。 50 ナジブ政権が2018年総選挙直前に成立させたもので、成立直後から当時野党連合のトップだったマハティール氏を調査対象とするなど強権的な手段として活用したことで、フェイクニュース対策を名目に政府が言論を取り締まる手段になるとの恐れが指摘されている。 51 2004年から2012年まで導入。このポリシーによって減少した迷惑コメントは0.9%であり、実名性は罵倒や悪意あるコメントの排除には効果がないことが判明した。(柳文珠(2013)「韓国におけるインターネット実名性の施行と効果」) 52 日本の携帯基地局市場は、マクロセル基地局によるカバー範囲が広く不感地帯等向けの市場が小規模との見方がある。 53 OECD “INTERCONNECTED ECONOMIES: BENEFITING FROM GLOBAL VALUE CHAINS”(2013)を参照 54 成城大学経済研究所年報 第31号 「2050年の世界に向けて日本は何をすべきか」 p134図表30 (OECD “Interconnected Economies: Benefiting From Global Value Chains” を基にNTTデータ経営研究所が作成。) 55 http://qzss.go.jp/usage/userreport/isos7j000000j17g-att/use-cases_20190130.pdf 56 GSA「GNSS Market Report Issue5」によると、GNSSという用語が国際的に用いられている。 57 米国衛星産業協会(SIA:Satellite Industry Association)が発行する「2018 State of the Satellite Industry」による。 58 2017年公表分では、地上機器を「ネットワーク機器(9.1%)」「衛星測位機器(74.6%)」「民生機器(16.3%)」に分類して数値を公表していたが、2018年公表分より、「衛星測位機器」は「民生機器」に統合されているため、正確な数値は不明。(一般社団法人日本航空宇宙工業会会報「航空と宇宙」第777号、第765号を参照 59 欧州GNSS監督庁(GSA: European GNSS Agency) 60 GSAが発行する「GNSS Market Report, Issue5」2017による。