(2)移動通信システムの進化とその影響 続いて、移動通信システムの進化における各段階において、どのような技術革新が行われていったか、また、どのようなサービスや利用方法が登場し、そのことがどのような価値創出につながり、我が国の社会・経済に影響をもたらしていったか、詳細に見ていくこととしたい。 ア 第1世代移動通信システム(1G:1979年〜) 1979年に日本電信電話公社(当時)は民間用としては世界で初めてセルラー方式による自動車電話サービスを開始した。これが第一世代移動通信システム(1G)の始まりである。当初は車内での通話を可能とするサービスであったが、1985年には車外でも通話可能な肩掛け型の端末(ショルダーホン)が登場し、1987年にはNTT(日本電信電話株式会社)が、さらに小型・軽量化した端末を用いた「携帯電話」サービスを開始した。その後、電子部品の小型化やLSI化が進み、1991年には超小型携帯電話「mova(ムーバ)」が登場した(図表1-1-2-2)。 図表1-1-2-2 第一世代移動通信システムの端末 (出典)NTT技術史料館 1Gのサービスは主に音声通話であり、音声をアナログ変調方式で電波に載せて送信していた。また、アクセス方式にはFDMA(周波数分割多元接続)を採用し、ユーザ毎に異なる周波数を割り当てていたほか、上り(端末→基地局)と下り(基地局→端末)でも異なる周波数を使う(FDD:周波数分割複信)ことで通信の区別を行っていた。 さらにエリアをカバーする方法として「セルラー方式」を採用し、1つの基地局あたりのカバーエリア(これをセル 5 と呼ぶ。)を比較的小さく設定し、基地局を多数設置することでエリア全体を覆った(図表1-1-2-3)。隣接するカバーエリアでは異なる周波数を用いることで干渉を防ぐ必要があるが、離れた所であれば同じ周波数を再利用することができる。周波数利用の繰り返しによってシステム全体としての収容効率が向上したほか、基地局―端末間の送信電力の省力化にもつながり、端末の小型軽量化を後押しする要因ともなった。これらの技術は以降の携帯電話においても採用されることとなった。 1Gはその使用料金の高さなどの理由 6 により、その普及は限定的であったが、以降の携帯電話の根幹を成す多くの技術が開発され、移動通信システムの基礎が確立された時期であったと言える。 図表1-1-2-3 携帯電話のエリアカバーの方法 (出典)総務省作成資料 イ 第2世代移動通信システム(2G:1993年〜) 1993年からはそれまでのアナログ方式に代わってデジタル方式によるサービスが開始された。これが第2世代移動通信システム(2G)である。 2Gでは、NTTが開発したPDC方式が採用され、1993年のNTTドコモに続き、1994年にはセルラーグループ、IDO(日本移動通信株式会社)及びデジタルホングループがそれぞれPDC方式によるサービスを開始した。国内では統一規格を採用することで他の携帯電話事業者とのローミングがしやすくなったが、海外との間では、欧州(GSM)とも北米(IS-54)とも異なる我が国独自の仕様となった。その結果、世界中に普及しデファクトスタンダードとなったGSMに対し、海外への展開という意味では課題を残すこととなった。その後、1998年からは、セルラーグループ及びIDOが、次世代(3G)の技術を先取りしたcdmaOne 7 を採用したことにより、国内でも異なる技術方式が併存することとなった。 サービス面では、2Gでのパケット交換技術を用いた通信の実現に伴い、音声通話の伝送の他にデータ通信サービスも本格的に開始されることとなり、各社から携帯電話向けインターネット接続サービス 8 が提供された。 技術面ではデジタル技術を採用することで、データの符号化及び圧縮が可能となり、必要な帯域を大幅に減らすことが可能となった。また、アクセス方式にTDMA(時分割多元接続)を採用し、同じ周波数でも時間毎に区切ったスロットをユーザに割り当てることで周波数利用効率の向上を図った。 当初、2Gは、同時期に存在したポケットベルやPHSといった他の移動通信システムと比較して、利用料金の割高さや通信速度・品質で劣る等の欠点を有していたが、様々な制度改革 9 や技術革新を経てこれらの点が改善された。それに伴って携帯電話加入者数が大きく伸び(図表1-1-2-4 ・ 図表1-1-2-5)、通信基盤としての携帯電話サービスが世の中に広く普及・定着していくこととなった。 図表1-1-2-4 普及開始時期における携帯電話・PHSの進化 (出典)総務省(2019)「デジタル化による生活・働き方への影響に関する調査研究」 図表1-1-2-5 ポケベル、PHS、携帯電話の加入者数推移 (出典)総務省「携帯・PHSの加入契約数の推移(単純合算)(平成30年9月末時点)」及び 「無線呼出し(ポケットベル)の加入契約数の推移」を基に作成 携帯電話端末の機能面においては、音声通話だけでなく、1990年代に広く普及していたインターネットへの接続が携帯電話でも可能となったことが、その後のインターネットメールのほか、銀行振り込み、ライブチケットの購入など多種多様なオンラインサービスの携帯電話での利用につながっている。また、事業者間競争の激化に伴い、他社との差別化を図るため、各社が次々に新機能を端末へ搭載する多機能化へとつながった。 ウ 第3世代移動通信システム(3G:2001年〜) 前述のように2Gでは国・地域毎に異なる移動通信システムを導入していたため、日本国内で購入した端末が米国や欧州では利用できないといった状況にあった。そのため、第3世代移動通信システム(3G)の仕様の策定に際しては、「全世界で同じ端末を使えること」を目標に標準化作業が進められ、1999年に国際電気通信連合(ITU)において、「IMT-2000」として複数の技術方式が標準化された。我が国では、W-CDMA方式とcdma2000方式が併存する形となり、W-CDMA方式では、2001年にNTTドコモが「FOMA」を、2002年にはJ-フォンが3Gサービスを開始し、cdma2000方式では2002年にKDDIが3Gサービスを開始した。 3Gの特徴は、アクセス方式にCDMA(符号分割多元接続)を採用している点にある。拡散符号と呼ばれるコードでユーザを識別することにより、同じ周波数を同じ時間に多数のユーザで共用することが可能となった。また、同じ周波数を使っていても基地局やユーザを拡散符号で区別できるため、セル間の干渉を考慮する必要がなくなり、隣り合う基地局に同一の周波数を配置することも可能となった。さらに、周波数拡散技術の一種であるCDMAを採用することで広帯域での通信が可能となり、2Gに比べて高速大容量の通信が可能となった。 3Gの登場と前後して、携帯電話端末の多機能化は一層進展していった。例えば、2000年にJ-フォンが世界に先駆けて携帯電話端末にカメラを搭載し、撮影した画像を電子メールに添付して送信する機能を提供した(図表1-1-2-6)。当時の画素数は11万程度であったが、2003年には100万画素のデジタルカメラを搭載したメガピクセル携帯電話端末が発売されて以降、カメラ付き携帯電話端末の性能は上がり、コンパクトデジタルカメラと比較しても遜色ないほどまでになった。 図表1-1-2-6 カメラ付き携帯電話 (出典)シャープ(株)提供資料 また、2001年には、携帯電話で実行ができるJavaを使用したアプリケーションサービス「iアプリサービス」が始まり、携帯電話端末でゲームなどの多様なコンテンツを楽しめるようになった。2006年には、音楽再生チップ(Mobile Music Enhancer)を内蔵した携帯電話端末が発売された。音楽データ保存用に1GBの専用メモリが搭載されており、携帯電話端末による30時間の連続音楽再生が可能になった 10 。 また、料金面においては、それまでの従量課金制では、データ通信量の増加に伴い高額な利用料金となるケースが発生していたのに対し、2004年には、NTTドコモが、iモードサービスが使い放題になるパケット定額制の「パケ・ホーダイ」を開始するなど定額制が導入されたことで、ユーザは基本的にデータ通信量を気にせずにサービスを楽しむことができるようになった。 このように携帯電話端末で多様なコンテンツを利用するニーズが増えるにつれ、当初の3Gの通信速度では物足りなさを感じるようになった。そこで、3Gを発展させてデータ通信の高速化に特化した技術 11 が開発・導入されるようになり、これらの技術を導入した移動通信システムは「第3.5世代 12 」と呼ばれた。 3Gの時代は、高速データ通信による本格的なマルチメディアが実現した時期に該当する。移動通信システムの国際標準化が図られたことにより、我が国のメーカーが製造した携帯電話端末を世界市場に展開していくことも期待されたが、我が国独自の機能進化を遂げた端末 13 であったが故に、かえって世界の端末市場では通用しにくくなったともいわれている。 エ 第4世代移動通信システム(4G:2010年〜) 2007年にAppleが発表したスマートフォン「iPhone」は、当時としては革新的な端末 14 であり、そのデザイン性の高さと説明書を読まずとも操作できる使いやすさもあって人気を博し、世界的にフィーチャーフォンからスマートフォンへの移行が始まった。翌2008年に発表された「iPhone 3G」は日本でもソフトバンクモバイル(現ソフトバンク)により販売が開始され、2009年にはGoogleが開発したAndroidを搭載したスマートフォンも発売された(図表1-1-2-7)。 図表1-1-2-7 iPhone3G (出典)Apple, Inc(https://support.apple.com/ja-jp/HT201296) このような状況において、商用開始されたのが第4世代移動通信システム(4G)である。まず、2009年3月に3GPP 15 で策定されたLTE 16 について、2010年にNTTドコモが、2012年にはソフトバンクとKDDI/沖縄セルラー電話がそれぞれ商用サービスを開始した。3Gでは国内事業者でも導入する規格が異なっていたが、LTEにおいて世界標準の統一規格が実現することとなった。 LTEでは、アクセス方式として下りにOFDMA(直交周波数分割多元接続) 17 、上りにSC-FDMA(シングルキャリア周波数分割多元接続) 18 が採用された。スマートフォンの時代を迎えて高速大容量通信に対するニーズが一層高まる中、周波数の利用効率を高めることで3Gよりも大幅に広帯域化を可能とし、さらなる高速化を実現したものである。また、LTEでは複数のアンテナでデータを並列に送ることで伝送容量を拡大するMIMO 19 が採用された(図表1-1-2-8)。 図表1-1-2-8 MIMOの仕組み (出典)総務省作成資料 また、ネットワーク構成に関しては、3Gまでは、回線交換方式による音声通信とパケット交換方式によるデータ通信の2つのネットワークが並存していたが、LTE以降では音声通信もパケット交換方式となり、モバイルネットワーク全体がIP化された。これに伴い、データ通信だけでなく音声通話においても定額制が実現することとなった。 その後、LTEのさらなる高速化のために策定された規格がLTE-Advancedである。3GPPにおいて標準化作業が行われ、2012年にITUで正式に承認された。我が国では2014年以降、各社がサービスを開始している。LTE-Advancedの特徴としては、複数の帯域を束ねることで帯域幅を広げてさらなる高速化を実現する「キャリアアグリゲーション」が採用されたほか、前述のMIMOについてもさらなる強化が図られた。この結果、通信速度はメガレベルからギガレベルへと進化していった。大容量の動画コンテンツであってもストレスを感じることなく視聴することが可能となり、クラウド、ビッグデータ、IoT、AI、VR/ARといった新たなトレンドとも結びつくことにより新たなサービスが登場した。 5 携帯電話を英語でセルラーフォン(cellular phone)と呼ぶのはここに由来する。 6 1985年に登場したショルダーホンは重量が3キロ、保証金20万円、月額基本使用料2万円強、通信料は1分100円と高額で、1987年にNTTから出された携帯電話も小型化・軽量化したもののまだ750グラムと重量があった。(詳細は 令和元年版情報通信白書 参照のこと。) 7 このため、cdmaOneは「2.5世代」とも言われた。 8 NTTドコモは携帯電話向けインターネット接続サービスとして1997年に「DoPa」、1999年に「iモード」を、セルラーグループ及びIDOは1999年に「EZweb」「EZaccess」を、J-フォン(デジタルホン・デジタルツーカー各社が社名変更)も1999年に「J-SKY」をそれぞれ開始した。 9 1985年の通信自由化や、郵政省(現総務省)が1994年に端末売切制度を導入し、1996年には携帯電話の料金認可制を廃止したことで、事業者間の競争が加速し、携帯電話料金の低廉化が進むとともに、利用者にとって魅力的な端末を各メーカーが競って供給するようになった 10 KDDI ニュースリリース2006年「au携帯電話の新ラインナップとして「ウォークマンR ケータイ W42S」を販売開始(参考)」 (https://www.kddi.com/corporate/news_release/2006/0619/sanko.html) 11 W-CDMAでは「HSDPA」、cdma2000では「EV-DO」と呼ばれる技術である。2003年にKDDI、2006年にNTTドコモ及びソフトバンクモバイル、2007年にイー・モバイルがそれぞれ商用開始した。 12 3Gでは1枚のDVDをダウンロードするのに27〜30時間要したものが、第3.5世代では45分から1時間程度と速度が向上したことで、画像を含むホームページや動画の閲覧が円滑に行うことができるようになり、携帯電話でのインターネット利用シーンはより豊かになっていった。 13 我が国独自の機能進化を遂げた携帯電話端末はガラパゴスケータイ、略してガラケーと呼ばれるようになった。現在ではフィーチャーフォンを指す単語として使用されている。 14 スマートフォンは、OS上で独自のアプリケーションの実行が可能であり、無数に用意されたアプリからユーザが使いたい機能をハードウェアにとらわれずサービス単位で選択することが可能となったほか、それまで限定的にしか利用できなかったインターネットの閲覧がPCのようにフルブラウザで容易に利用できるようになった。 15 Third Generation Partnership Projectの略。各国・地域の標準化団体により1998年に設立された。当初、3Gの仕様の検討・作成を目的としていたが、その後の世代についても仕様の検討作業を行っている。 16 Long Term Evolutionの略。当初、3Gと4Gの間の過渡的な技術と位置づけられ、かつ、ITUの規定する4Gの要件を満たす技術ではなかったことから、LTEを「第3.9世代」と呼ぶこともある。なお、現在は、ITUも4GにLTEを含めて良いとしている。 17 周波数帯域を周波数軸(サブキャリア)と時間軸を用いて分割し、各ユーザの無線環境に応じて伝送率の高いチャネルを割り当てることにより、効率的な処理を実現する。 18 周波数帯域を2つの軸で分割し、各ユーザに伝送率の高いチャネルを割り当てる点ではOFDMAと共通だが、上り通信(端末→基地局)において、端末の電力消費量を抑えられるよう設計された技術。 19 Multiple Input Multiple Outputの略。LTEでは理想的な環境において3Gの4倍の高速化が実現可能となった。