2 我が国のICT分野の動向 我が国では、1952年に国内の電話網の整備推進を目的として電電公社が設立されて以降、固定電話は急速に普及し、電電公社の設立時点で140万であった加入電話の契約者数は、情報通信白書の刊行が始まった1973年度には2,417万に達し、加入電話による音声通話が主な通信手段となっていた(図表1-1-2-1)。 この頃、我が国では、電話加入の申込みから加入までに期間を要する「積滞」や、交換手が手動で回線を接続していたことから市外通話をかけるのに数時間かかることが課題となっていた。電電公社による取組の結果、1978年に積滞解消が、1979年に全国自動即時化が達成され、1981年度には全国の加入電話の契約者数は4,000万を突破した 4 。積滞解消と全国自動即時化の実現により、通信サービスは転換期に入ったとされ、新しい技術やメディアに関する議論が出てきた。新しい技術としては、集積回路技術、光ファイバ通信、宇宙通信などが、新しいメディアとしては、画像通信、データ通信などが注目されていた 5 。 図表1-1-2-1 加入電話の契約者数の推移 (出典)日本電信電話公社社史を基に作成 移動通信については、1979年、電電公社が民間用として世界で初めてセルラー方式による第1世代アナログ自動車電話サービスを開始した。1985年には、自動車の外からでも通話が可能なショルダー型の端末が登場したが、重量が3kgもあったこと、本体の価格が保証金約20万円、月額基本使用料が2万円強、通信料金が1分100円と高額であったことなどから、その使用は一部の者に限られ、一般的な普及には至らなかった。 この時期の通信サービスは、郵政省による監督の下で電電公社による独占事業として運営される体制が採られていた。独占による公社形態が採られたのは、通信事業の公共性 6 、自然独占性、技術的統一性 7 の観点から独占体制が支持されたこと、効率的な経営によるネットワークの拡張の達成には官営ではなくある程度の経営の独立性を与えた上での公社形態が望ましいと考えられたことによるものである。 この頃、政府では、「増税なき財政再建」という目的の下、行財政改革が議論されるようになり、日本国有鉄道、日本専売公社とともに、電電公社についても、巨大化した組織の経営効率、技術革新への対応などいくつかの課題が指摘されるようになった。1985年には電電公社が株式会社に改組し日本電信電話株式会社(以下「NTT」という。)が設立され、通信市場に競争原理が導入されることになり 8 、日本の通信政策は大きな転機期を迎えることとなった。 この時期の放送市場についてみると、1972年度末時点で放送事業者は日本放送協会(以下「NHK」という。)のほか民間放送105社があり、NHKの受信契約数は2,443万に達していた。その後もテレビ放送の普及は進み、NHKが1985年11月に実施した「全国視聴率調査」では、テレビ放送(NHK及び民間放送)に対する国民の接触者率(テレビ放送を少しでも見た人の割合)は平日90%とほとんどの国民が何らかの形で毎日テレビ放送を見ていることが示されているなど 9 、テレビは国民生活に不可欠な存在となり、テレビ放送が世論に及ぼす影響が強まっていった。例えば、この頃、若者たちを団結させたのはテレビだったと言われており、テレビが活発に戦地の様子をニュース映像として放送したことによって反戦運動の広がりやその後の市民運動、カウンターカルチャーの動きを増幅させたとの指摘もある 10 。 地上放送が普及する中で、1973年には有線テレビジョン放送法(昭和47年法律第114号)が施行され、主として山間部など電波の届かない地域におけるテレビ放送の共同受信施設として普及してきたCATVが、この頃より高層建築物などによるテレビ放送の受信障害の解消手段としても広く利用されるようになった 11 。 4 その後、加入電話の契約者数は、1995年度に6,000万を超えた。 5 昭和55年版通信白書第1部第2章第1節参照。 https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/s55/pdf/S55_05_C2E81C9F4C2E82BECF.pdf 6 通信は、公益事業として、国民生活や経済活動に不可欠と考えられてきた。このことから、供給主体には、そのサービスを合理的な料金で、あまねく公平に提供する義務があると考えられた。特に通信の場合、利用者が相互にコミュニケーションすることから、サービスの品質、料金などに地域差が生じないことが重視されたため、独占による提供が望ましいとされた。 7 多数の利用者を通信網でつなぐことで初めてサービス提供が可能になる通信サービスの場合、複数の技術仕様の機器を接続することによってネットワーク全体でサービス水準を維持することのコストがかかる。このことを防ぐために独占体制が望ましいとされた。 8 日本電信電話株式会社に関する法律(昭和59年法律第85号)及び電気通信事業法(昭和59年法律第86号)が1984年に制定され、1985年4月1日に日本電信電話株式会社が設立されるとともに、電気通信事業法が施行された。 9 昭和61年版通信白書資料編「第4 放送」参照。 https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/s61/html/s61b0401.html 10 https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160221 11 昭和50年版通信白書第2部第5章第1節参照。 https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/s50/pdf/S50_09_C2E82C9F4B3C6CFC0C2E85BECFC2-5.pdf