政策評価フォーラムの概要(広島会場)
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【ポイント】
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(牛尾) まず、パネルディスカッションを始めるに当たり、福島さんに、政策評価に関してのかかわり合い、認識あるいは感想を伺いたい。 (福島) 講演を聞き、政策評価制度が、国民にとっても行政にとっても非常に大切な制度だということがよくわかった。一つには、この制度が行政のあり方を大きく変えていくシステムになるということ、もう一つは、行政機関が自らの仕事の内容を見直す良い機会になるということ。また、国民の側が行政に関心を持ついい機会になるのではないか。行政を国民の側に引き寄せるいい機会、いい制度になるのではないか。 今、いろいろ議論になっている医療制度の改革とか、年金の問題、税財政に絡む増税問題、高齢化の中での介護制度がどうなっていくのか、我々の暮らしに直接結びついた政策というのは、非常に多い。しかも、財政が厳しい中、政策を遂行していくには、我々国民の側の負担とか、痛みとかが伴ってくるのも多い。それだけに一つ一つの施策をきちんと評価し、チェックすることが、我々の暮らしの面でも非常に重みを増している。そういう状況の中で、政策評価制度が、どこまで住民本位の制度として定着をしていくのか考えると、評価の結果をきちんと知らせる仕組みの充実、あるいは評価の結果を第三者、国民の側がきちんと考察できる仕組みの充実が、これからの鍵を握るのではないかと思った。 (牛尾) この政策評価制度ができて既に3年以上経過しているが、実際に、この行政評価が導入されて、当初の目的をきちんと達成してきているか、あるいは、まだ不十分な点はないか、十分達成されていないなら、どういう部分が課題になのかという点について、お話いただければ。 (丹羽) この政策評価制度の成果は、まだ十分ではないが、予算への反映がかなり進み、数値化というものが増加して客観的な、公平な評価ができるようになってきた。 やはり一番の問題は、行政の説明不足。市民への対話を深めることによってやっていくことが必要。総務省HPを見ようと言う気になれない。行政側も、わかりやすく簡単に、一般語で話す必要がある。 (新村) 私は、ある程度、政策評価がマネジメント・サイクルの中に定着したと思うが、まだ不十分。 それを端的にあらわすのが、各省ヒアリングをした時に、各省から一様に言われた「評価疲れ」という言葉。ペーパーをつくることが目標のようになっていて、評価自体が実態と結びついていないということを端的にあらわす言葉ではないか。この評価疲れという言葉は、評価自体が実際の政策決定に必ずしも十分役立ってないのではないかということを窺わせる。 主計局が予算要求のときに政策調書を要求する。政策評価をすることが次の予算、それから機構、定員に結びつくというサイクルが少し回り始めた。しかも、そのプロセスを一部公開し始めて、この評価はおかしい、したがって、この予算はつかない、その根拠として評価調書を使っている例がある。そのときに評価の妥当性、数値のないのはおかしい、目標がおかしいというような議論が若干なされているようである。その部分が予算の査定過程における要求側と査定側とのやりとりとして一部公表されている。密室で決まっていた部分が一部公開された。こういうことがどんどん進むと、評価は疲れるけれども、やらなくてはというふうに位置づけができてくるのではないか。 規制影響評価についても同じで、実際にこの規制を導入するときに、その評価に基づいて、例えば省内、各省間、閣僚会議、ひいては国会での議論に、この規制はこんなに金がかかったらだめじゃないか、民間に負担が多過ぎるといった議論に使われ始めたら、そこで初めて国全体のマネジメント・サイクルに入る。まだ、道半ばである。 (谷藤) この3年間、政策評価を行うためのコンセプト自体にもたくさんの混乱があった。3年間でようやく、それらの言葉はこういう意味で使うのだという合意が、すべての省庁にわたって浸透した。 しかし、それは公務員の中だけのことであって、人々の中にどう定着させていくかということが、これからの課題である。 一つの事業についても、たくさんの角度から評価している。すると、1年間やった一つの事業についての評価書は膨大なものとなる。いくつもの角度から評価したものを、もっと単純でわかりやすいような形に改めていかなければ、国民からのアクセスや反応は保証されない。国民からのアクセスや支持がなければ、評価制度は何をやっているのか、何のためにやるのかという問題がいつまでもつきまとう。 日本の評価制度は、数値化、客観性の部分では大変精巧なものである。しかし、精巧過ぎて、逆に国民から乖離するというようなことが起こっているのではないか。それゆえ、これからは、精巧なものを、いかに今単純化していくかということが大きな課題ではないか。 (牛尾) パンフレット(「国の政策評価」)5ページ目の各府省による政策評価の実施例として未着手・未了の公共事業、新対潜用短魚雷、総務省による複数府省にわたる政策評価の実施例として、リゾート地域の開発整備と湖沼の水環境保全の政策評価について説明。 →パンフレット参照(PDF) 行政評価、政策評価のシステムが今後、国民本位で質の高い行政、あるいは国民的視点に立った成果重視の行政への転換といったよりよい仕組みにしていくために、今後どういう形でその仕組みづくりを進めていかなければならないかということを、各委員の方々から伺いたい。 (谷藤) 政策評価制度は単独のものではない。予算制度にもかかわってくるし、例えば組織を変革していくようなことにも、公務員制度の見直しといった人事評価制度にもかかわってくる。 我が国が大変おもしろい経緯なのは、あえて行政の内部からこれをやろうということ。もしかしたら自分の組織そのものを変革してしまう。他の国は、政治が中心となってやっていった。 イギリスでは政党マニフェストがあり、定着している。これに基づいて行政の目的が作られて、行政の目標が設定され、それに基づいて評価をする。日本は、行政が中心となって、効率的なすぐれた行政を目指そうとして、政策評価制度を成立させていった。大変精緻なものを作ってきた。 それゆえ、政治のあり方とどのようにリンクさせていくかが大きな課題になっていく。政治の目的と行政の目的をどのように整合性を確保するかということが突きつけられてくる。 それから、予算制度、公務員制度、行政組織のあり方にどのように反映させていくかということが、政策評価制度を将来的に有効なものとするためには大変重要ではないか。 (新村) 私は、政治のリーダーシップがもうちょっと確立されることで、真の民主主義社会になると思う。政治の中でエビデンスに立脚した政策論議が行われることは非常に重要なこと。民主主義の中で行政が目標設定をすることはできなくなってきた。そうなると、官僚が国民の目的などわからないわけで、それを決める政治家のリーダーシップというのは非常に重要。それを働かすときに、この道具を上手に使ってほしい。行政はその道具を提供する立場で、決定する立場ではない。 同時に民主主義的決定は国民の参加ですので、ぜひ国民が個々の政策について過去の評価に関心を持ってほしい。環境問題のアンケート調査などをやったとき、知的水準の高い社会の中枢である中年男性や大学生の政治的関心が、外国に比べて低かった。経済的問題に対する関心は高いが、政治に対しては、どうも関心が低い。地域活動や市民としての活動に、今、日本の経済社会を担っている人たち自身が関心を持って参加していただけるようになってほしい。 (丹羽) やはり行政と政治のかかわりだと思う。一番の問題は政治と行政のもたれ合い。実際はほとんど行政依存。行政の方も政治家のために仕事している。そういうふうにお互いがもたれ合った関係がある。ここをどう整理していくか。行政はやっぱり国民のため、国民本位、国民的な視点ということが政策評価の大きな視点です。その行政の官僚が、どうやって国民の方に目を向けていくか。国民のために仕事をするかということ。 政策評価制度をどうやって良い仕組みにしたらいいかという質問については、国民の視点というのを忘れるなと。その視点を持って評価制度はこれから 一体行政はどんなことをしているのか。社会保険庁を初めとして、わけがわからない。何百億というものを建てて、ほとんどだれも使ってない。その収支はどうなって、その赤字は一体だれが持っているのか、レビューがほとんど行われない。身内で密室で行われていたことが国民の目に触れるようになってきた。この評価制度も大きな役割を果たしている。 一般の、民間の常識を官の方にも吹き込んでいく必要がある。そして、民間の常識と官の常識を合わせていく必要がある。もう一つ、一般の市民にとって一番重要なことは地域の行政です。中央省庁よりもそっちの方が一般市民の方には重大な関心がある。我々はそういう視点を持って、地方行政についても目配りをしてやっていく必要がある。 (福島) 行政と国民という関係で改めて考えてみると、行政は国民のため、地方行政は住民のためにある。そして、国民の目がそういう政策をより確かなものにしていくという相関関係にある。 国民の目、住民の目が政策をより確かなものにしていく視点で見ると、やはり住民の側がもっと関心を持ち、声を上げていくことが非常に大切になってくる。住民が単なる受け手ではなく、意思表示をしっかりと持つことが、政策をより良いものにしていく。そういう意味で政策評価は非常に重要だし、住民自身がもっと行政に対して関心を深めていかないといけない。 そういう面から、この制度の外部検証がしっかりできるのかどうか。評価の結果を住民が見てチェックできて、それに対する意見とか反応を行政にフィードバックできていくような双方向性が、これからの政策立案だとか、評価制度を育てていくことになるのではと思う。評価があまりに専門的でチェックがしにくいようでは、制度が機能不全を起こしかねない。双方向性をきちんと担保をする上でも、平易な説明、きちんとしたわかりやすいデータをしっかりつけていただいて、その経過も含めて評価結果の情報発信をして戴きたい。 (牛尾) 会場の方から幾つか質問をいただいていますので、質問を紹介して、そのパネリストの方にお答えいただきたい。 まず、これは民間の方からの御質問ですが、個々の政策評価も大切ではあるけれども、全体の政策評価をすることが最も重要だと思いますという御意見をいただきました。 差し支えなければ、丹羽委員長に、この感想に対するコメントをいただきたい。 (丹羽) 恐らく、国全体の政策、例えば財政政策がどうなっているのか、今のような赤字財政で一体どのようにするつもりなのか、そういうことに対する意見も述べたらどうだということかと思う。総務省の政策評価委員会というのは、そういう仕事は承ってないし、越権行為になる。それは経済財政諮問会議がやるのではと思う。我々がやっているのは、法律に基づいて各府省が評価した各省庁のいろんな事業計画、中期経営計画に対して、我々がそれを統一性、客観性、総合性から見て、どうもおかしいぞ、これはちょっと逸脱しているとか、そういう評価をして、大臣経由で勧告をするということになっている。 (牛尾) 次は行政関係の方からいただいた谷藤先生への御質問ですが、日本は、イギリスとは政策評価導入の経緯が異なるように思いますが、いかがでしょうかという内容。 (谷藤) イギリスでは、政策評価は政治評価の問題として導入されたが、日本の場合は行政評価として導入されてきた。ここが大きな違い。 例えば労働党、保守党、それぞれがマニフェストを持っている。マニフェストが政策目的となって、それに対応した形で各省庁が目標を設定する。各省庁が協定を結んで、各自、その目標を設定する。マニフェストに数値目標なんか書いていない。それをやるのは行政です。行政が目標を設定して、管轄の行政において、何年でどれだけ達成するかという形で、中・長期目標が設定される。それに基づいて、日本がやっていると同じような形で、効率性評価とか効果性評価を行うシステムになっている。政権交代をすると、その目標や目的は全部変えられる。1年後政策評価をやると、目標の見直しが政党の政策の見直しとリンクする形で行われる。だからマニフェストはとても重要な意味を持つ。 各地方についても、各政党が地方開発計画をマニフェストに必ず書き、同様のことを行う。その評価を国民に広く公開して、政権評価にも繋がっていくことになる。 日本の政策評価制度は、行政が国民のためにという形で一生懸命それを作ってやっている。最終的な責任は一体どこがとるのかが、大変難しく明確になっていない。行政評価制度としては非常に整っているが、最終的な責任はどこがとるのかがクリアになっていないのです。 (牛尾) 最後に、政策評価の今後の発展に向けて重要な点について一言ずつコメントを。 (丹羽) 21世紀型の行政システムというのは国民に視線を置いた、あるいは国民の活動、あるいは国民が暮らしやすいという、そこに視点を置くということであり、これが戦後の古い行政システムと違うところ。政治家のために仕事をしない、国民のために仕事をする。そういう行政のシステムに資するような活動を我々はしていきたいし、それを目指したい。 (新村) この政策評価制度が導入された一つの効果として、各省庁の政策の体系化がかなり進んで、例えば個別の政策は、各省庁別の政策体系の中のどこに位置するかという位置づけをするようになってきた。そういう中で全体の政策体系というような議論にまで進んでいくようなことができると、今の個々の政策評価と全体の政策評価ということに関連して、私たちの下から体系化していくような話と、全体の政策の良し悪し、評価とが結びついていくのかなと感じた。 (谷藤) 完成された政策評価制度を形成するのはなかなか難しい。社会状況が変わると目的も変わる。目標も、ターゲットも変わってくる。ですから、政策評価制度というのは社会文脈を絶えず配慮しながら、新しい指標を開発する、その点に真摯な目配りをしていかなければと思う。 同時に、完璧ではないが、政策評価制度を利用していただきたい。行政を見る際に使っていただきたい。それは政治を見る際にも、国民の皆さん方一人一人に使っていただきたい。そうすると、今までと違った視点から行政や政治を見ることができるのではないかと思う。 残念ながら、まだ、使いやすい制度にも、わかりやすい制度にも、アクセスしやすい制度にも必ずしもなっていない。少しずつ試行錯誤を繰り返しながら作っていく努力が大切だと思う。 (福島) この制度の遂行の上で、内輪の目線をどこまで排除し切れるか。この制度をきちんと住民のための政策、よりよい政策に結びつけるという意味でいえば、時代を見通す行政の力というものが改めて試されるような、非常に厳しいものでもあるという気がする。
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