政策評価フォーラムの概要

(仙台会場)


日時  平成18年12月5日(火)13時30分〜16時00分
会場  ホテルメトロポリタン仙台
主催  総務省

政策フォーラム写真


13時30分 開会  (司会:吉開 正治郎 総務省行政評価局政策評価官)

13時30分〜13時35分 主催者挨拶  
  東 敏夫  総務省東北管区行政評価局長

13時35分〜14時00分 基調講演  
「政策評価の新たな展開」
  丹羽 宇一郎  伊藤忠商事株式会社取締役会長
             政策評価・独立行政法人評価委員会委員長

 政策評価制度が導入されたのは、約6年前の中央省庁等再編の時であり、これは、明治維新、戦後改革以来の大改革と言われ、戦後型の行政システムを21世紀型の行政システムに転換することを目的としたもの。
 第二次大戦直後の日本の人口は約7700万人であり、以降約50年間で約5000万人の人口が増加し、1年に100万都市が1つずつ増えてきた計算になるが、その間、日本の行政システムはほとんど変わっておらず、人口の増加とともに行政も肥大化してきたというのが実態である。
 政策評価制度も、こうした肥大化した行政の仕組みを変えていくという中央省庁等改革の柱の1つとして導入されたものである。政策評価は、中央省庁のハード面を組み替えるのではなく、行政運営のソフト面を見直していくといういわばマネジメントの改革をしようとするものであり、つまり、政策の実施段階で常にその効果を点検・検証し、政策の不断の見直し・改善を図っていくため、事前や事後に評価を行い、それを次の企画立案につなげていこうとするものである。
 民間会社でも、成長している会社というのはマネジメントの改革に成功したところであり、会社の業績に関する情報や個別の業務に関する評価の情報を常にトップが把握し、これらの中からアイデアを得て、経営全体の戦略につなげていくということを重視している。行政においても各府省が戦略的な発想ができるよう制度をより良くしていくことが重要である。
 政策評価は、まず各府省が所管する政策を自ら評価することが基本であり、現在、政府全体で毎年約1万件の政策評価を実施している。欧米では既に10年以上経過しており、それに比べれば遅れてはいるものの、我が国でも現在急速に行政のマネジメントのためにいかに大事であるかということが浸透しつつあるところである。例えば、制度導入初期の頃は、評価結果を報告する評価書の提出が遅く、毎年8月末の期限である国の翌年度予算にかかる概算要求の締切りに、間に合わないこともあったが、現在では全ての省庁が期限までに評価を終え、財務省の予算作成に評価の結果を活用するといった流れが確立されている。また、各府省では、評価をより客観的かつ明確化するため、できるだけ政策目標の数値化を心がけており、14年4月の政策評価法導入後の4年間で数値化の割合が34%から55%に向上。このほか、評価に基づき、事業効率が悪い等の理由で事業そのものを中止・廃止したものが公共事業を中心にこの4年間で約3兆2千億円に及ぶようになっており、着実に進展してきている。
 他方、複数府省にまたがるODA関係、留学生対策、リゾート対策等の政策の横断的な評価や各府省の行った評価を客観的に評価する機能については、総務省が担っている。
 この総務省による評価の一例を挙げると、厚生労働省が行った評価で、国の補助事業で旭川市の忠別ダムの水道水源開発施設整備事業というのがある。これは市の人口が今後増加していくという推計に基づき、将来水不足が起きるため、水源の開発施設を整備する必要があるという評価である。ところが、最近の各種人口予測によると、当該市における将来人口はいずれも増加でなく減少するというものであり、この結果、総務省では人口予測推計に問題があるとの指摘を行い、再評価すべしとの意見を行ったところである。これを受け、厚生労働省は再評価を行うこととなった。
 しかし、もちろん進展しているとはいえ、評価制度には様々な課題もあり、政府では政策評価法施行後3年を経過した段階で、施行状況について検討し、必要な措置を講ずるとしていたところであり、自分が委員長を務める政策評価・独立行政法人評価委員会でも16、17年度にかけて各府省からヒアリング等を行い、調査審議し、その結果を答申したところである。これを受け、昨年12月に政策評価に関する基本方針の改定が閣議決定されたところである。この改定の主なポイントは、1)重要政策に関する評価の徹底、2)評価結果の予算要求等への反映、3)評価の客観性の確保、4)国民への説明責任の徹底、である。
 今後も政策評価制度のような新しい制度は絶えず見直して、制度のイノベーションを図っていくことが重要であり、国民の皆さん方にも今後の動きを注視していただきたい。
 本日のテーマが「政策評価制度の新たな展開」ということであるので、今後の課題について1つ紹介する。
 国民の皆さんが毎日の仕事の中、あるいは生活の中で政府の活動との関わりが種々あろうかと思う。その中で、「規制」と言われるものについて考えてみる。規制とは、社会秩序の維持、安全・防災、環境保全、消費者保護といった行政目的を実現するため、国や地方公共団体が、国民や事業者の権利・活動を制限し、一定の義務を課すものである。
 このような規制について、新たに制定されたり、改正されたりする場合に、規制が国民や事業者に与える影響をプラス面、マイナス面両方から事前にチェックをし、想定される状況の変化をあらかじめ皆さんにお示しするということも政策評価である。
 規制の事前評価については、諸外国では規制影響分析(RIA)と言われ、1980年代以降、欧米で取組が進んでおり、我が国においても規制改革・民間開放推進3か年計画などで閣議決定が行われ、その導入がうたわれており、本年度中には、政策評価法の枠組みの下で義務付けるために必要な措置を講ずるということになっている。
 最後に、政策評価制度も皆様方の御理解、あるいは総務省を中心とした各府省の努力でようやく政府の中にも浸透してきており、今後はその真価が問われることになってくると思われる。したがって、これまで以上に政府全体が一体となって質の向上を図っていく必要がある。
 安倍政権においても、所信表明演説等で再チャレンジ推進など多くの政策が打ち出されており、こうした新しい取組についても政策効果の実効性が上がっているかどうか、これをフォローするのも評価の役割である。
 また、政策評価の果たす役割は政策論議に供する情報を皆さんに提供するという行政と国民の間の対話ツールともいうべき重要な機能を担っているわけであり、政府と国会、あるいは地方公共団体、経済界、各種学会、民間団体、報道機関、国民の各層との政策評価を通じた対話と相互理解を構築していくということが重要である。
 これまで政策評価制度を国民、各層の方々により理解をしていただくということで、一昨年、昨年、そして今年とこのフォーラムを開催し、大体主要な都市で開催してきている。こうした努力も積み重なって、政策評価制度に対する関心が徐々に深まっていることは大変喜ばしく思う。
 政策評価・独立行政法人評価委員会としても、更なる制度発展に寄与するために今後もしっかりとウォッチをしていきたい。国民の皆さんも、政策評価というものを注視するとともに、制度に関するより一層のご理解、ご協力をいただければと願う。


14時00分〜14時30分 講演  
「転換期の政策評価制度:確かな制度効果を求めて」
谷藤 悦史   早稲田大学政治経済学部教授
政策評価・独立行政法人評価委員会 政策評価分科会臨時委員

 日本の政策評価制度が、外国のそれと比較してどんなところに特徴があり、課題は何かという点について話しします。
 政策評価制度は、先進民主主義諸国では、1980年代前半ごろから導入されました。それらの国が政策評価制度を導入した理由は大きく2つほどあると思います。
 第1は、80年代以前、先進民主主義諸国では、様々な政策を実行してもその成果があがらないという問題があった。社会状況が複雑化し、国家は国を超えてグローバル化し、一つの国で様々な政策を実行しても、その効果が明示的な形で国に残るわけではなくなった。そういう状況下で、人々のさまざまな制度に対する信頼が急速に失われることになった。70年代から90年代を通じて、先進民主主義諸国に、政府に対する不信、政権に対する不信が広がりを見せることになった。ある学者は、これを「民主主義が赤字」と称しています。人々の制度に対する信頼をどう確保するのか。そのためには、政策が成果を導き出すものにしなければならない。こうした状況が、政策評価制度導入の契機となったのです。
 第2は、経済成長である。第二次世界大戦直後のように、さらにまた現在の中国のように、高い経済成長を達成することが難しくなった。結果的に、政治が使える資源は限られ、限られた資源で高い効果を出すことが課題になる。簡素で効率的な政府の形成とかが、求められてきたわけである。民主主義が赤字状態になっていること、経済成長の鈍化の中で簡素でいわば効率的な政府をどう形成するか、これらが、広く先進民主主義諸国の課題となったのです。これらを背景に、80年代に広く政策評価制度が導入されてきたのです。
 日本の政策評価制度はどうなのでしょうか。我が国では、平成14年4月に政策評価法が施行され現在に至っています。各国との大きな違いは、法律によって施行されていることです。各国では、必ずしもそうではありません。例えば、イギリスの場合、政策評価に関する法律はなく、政府がガイドラインを作り、そのガイドラインに沿って政策評価を実施するという構造になっています。これに対して日本では、法律で政策評価を義務付けた上で、実施するという形をとっています。これはどういう効果を生んできたでしょうか。政策評価の制度が安定し、政策評価が日常化される効果を生み出しました。
 さらに、日本の場合、行政機構を中心に政策評価が組み込まれました。この点については、評価が二分されておりますが、「政策」評価が「行政」評価として定着してきた点が日本の政策評価の特徴となっています。アメリカやイギリスとは、やや異なる点です。アメリカの場合は、日本の会社の業績評価に近いものです。ブッシュ政権のことを英語で『Bush Administration』と言いますが、アメリカの政策評価は、ブッシュの政策公約が政策の目標にされ、その目標が達成されたかどうかで政策評価が実施されます。最終的にブッシュ政権が良かったのか否かの判断に直結することになる。
 イギリスの場合、Administrationという言葉は使わず、現在の労働党政権で言えば『Labor Government』というような言い方をする。イギリスの政策評価はまず政党が政党公約であるマニフェストを作り、それを選挙民に提示する。仮に労働党が選挙で勝つと、そのマニフェストがその労働党政権の政策目標になります。つまり、労働党の政党公約が政策評価に連動するということになるわけです。政党マニフェストが政府の政策、政府の目標に移し変えられ、それが年次目標にブレイクダウンされる。ブレイクダウンされた目標が、どのくらい達成されたかということが政策評価ということになる。
 日本はどうでしょうか。アメリカでブッシュ政権が評価されるように、日本では小泉政権が、政策評価の積み上げで、良し悪しを判断されたでしょうか。必ずしもつながっていないのではないでしょうか。小泉さんは、まったく別の基準で判断されている。では、イギリスのように、労働党が良かったかどうかという形で、日本の政党、すなわち自民党が評価されたでしょうか。そうなっていないと思います。日本の場合、政権や政党の評価とは別に、行政、とりわけ各府省や官僚そのものの実績が評価される構造になっている。政策評価が、政権の評価というよりも行政の評価として定着していることが特徴である。
 なぜこういう形になったかというと、日本における行政の独立性が非常に高いということ、行政が主体的に簡素で効率的な政府を作ることを考え、行政がイニシアティブをとって政策評価の導入を推し進め、それを洗練化していった。それが、大きな理由であろうと思う。
 それでは、我が国のこうした政策評価によって、どのような成果がもたらされたのか。我が国では政策目標の数値化が進んでおり、評価の指標も洗練されています。さらに、その指標で、目標がどれだけ達成されたかということがこと細かく触れてあります。加えて、そうして政策評価のプロセスが行政の中に日常化され、極めて安定的なものになっているのです。始まってわずか4年で、ここまで来たのです。日本の政策評価制度は世界の中でも最も精度の高いものであるものと言えましょう。
 では、日本の政策評価制度はこのままで良いのでしょうか。そうではないと思います。いくつかの課題が残されている。そもそも政策評価は、民主主義という政治制度でつくられる政策の効果をきちっと確保することなのです。つまり、問題解決能力、いわゆるガバナンスを高めることが目的なのです。民主主義という制度のガバナンスを達成する手段として、政策評価があると言えよう。そのために、経済性を考慮し、コストを安くし、効率性を確保し、効果を確保する。いわゆる経済性(Economy)、効率(Efficiency)、効果(Effect)をもたらす手段をきちんと選択する。これが政策評価制度導入の出発点だったのです。我が国も、こうした原点にもう一度立ち返る必要があろう。
 イギリスの例を述べると、イギリスは評価を10年ほど実施した後に一旦中だるみが来ました。ちょうどそのとき、保守党政権から労働党政権に政権が変わった。その際、いま一度政策評価制度の前提に立ち返って、原則を確立しようということになった。ときの労働党政権は、4つの原則を立てました。
 第1は、今日も話題になっている更なる透明性の確保と参加であった。情報を公開して参加の機会を保障する、つまり全ての人々が政策評価に関わる機会を保障するというものであった。
 第2は、「アカウンタビリティ」、つまり説明責任を徹底しようということであった。単なる説明ではなく、分かりやすく、多くの人々から了解と納得を引き出すような説明が必要だということであった。
 第3は「公正」、つまり恣意的な評価はしないということであった。お手盛りの評価をしないで、多くの人々から合意を得られるような公正な評価をしていこうということであった。
 第4は、「協働」というものであった。これには、水平的協働と垂直的協働が言われた。前者は、政策評価を1つのセクションだけでやるということではなく、各府省でも実施した上でそれを連結し、府省横断的に協働してやるというものである。後者は、政策評価は政府だけに留めず、地方公共団体も国民や住民も、あるいは企業やNGOも巻き込んで実施しようというものである。
 そこで、日本のいくつかの地方自治体でも行われているが、国民パネルを作り上げた。全国民から5,000人を無作為抽出し、これらの人々に国の政策を知らせ、どのように評価するか、アンケートが試みられた。行政内部の単なる定量評価ばかりでなく、国民がどれだけ満足しているのか、あるいはどんな不満を持っているのかといったことも明らかにしようとして。このやり方が全て良いわけではないが、いわば原則に立ち返って政策評価制度を再度検証したわけである。私は、日本も、制度効果をより高める段階にきているのではないかと考えているのです。
 それでは、日本が制度効果を高めるために行わなければならないことはどんなことか。
 第1は、透明性を十分に確保することである。評価に関する文書は、膨大であり、どう見たら良いか難しい部分がある。国民により分かりやすい文書の提供が必要であると思われる。
 第2に、日本の政策評価制度は行政の自己完結的評価であり、行政の独立性が高いため、政権目標と行政の政策評価がやや乖離しているということである。例えば、経済財政諮問会議が政策目標を設定しても、その政策目標が各省庁の行政目標にどのように連関しているかということが必ずしも明示的ではない点がある。小泉前首相は、構造改革を実施したというが、その構造改革はどういう形で行政目標に移し変えられたか、体系的に示されていないところがあった。そのために、政権に対する評価と行政の行う評価が分離してしまい、最終的な責任はどこにあるのかが不透明となる。政治の目的をいくつかの政策目標に変換し、変換された目標を年次毎のターゲットに変換する体系的な作業が、政策評価にとっては重要なのです。そうすることによって、各府省の政策評価が、政権の評価や政党の評価に連結することになる。今後、必要なことは、目的、目標、年次毎のターゲットが、政府横断的に系統的に配置され、評価される制度の形成である。
 また、我が国の政策評価では、「協働」の確保が十分ではないことも課題である。政権や官僚の中だけで政策評価を完結させてはいけない。2つの提案があります。1つは政策評価の視座を多元化することである。日本の官僚組織は、公正かつ客観的な評価をしようと努力している。日本の官僚の大変優秀なところです。しかし、ある時点で客観的で正しいとした指標も、社会状況の変化あるいは立場の違いによって、客観的でなくなってしまう。状況が変わればこれまで正しいと思ったものが正しくないものにされてしまう。必要なことは、政策評価に多様な視点と多元的な視点を持つべきということである。官僚組織内だけで完結してしまうと、確かに優秀には違いないが、多様な視点が見失われるということになる。その意味で、民間人あるいは国民の視点も加える開かれた制度を構築していく必要があろう。
 さらに、日本の場合、法律を定めた上で物事を実施していくという体制をとりがちです。それは、先に述べたように制度の安定に繋がるが、他方で、評価の柔軟性あるいは機動性を失う危険性がある。その意味で、基本的な部分は安定的に法律に沿って実施することが必要であるが、その他の部分は機動的かつ柔軟に変えて実施することも必要である。年次ごとの基本方針に合わせ、方針の見直しを恒常的に進めていくということも必要と思う。
 制度が安定し、洗練さを増している現在、次のステップとして、視点の多様化と運用の柔軟性が必要不可欠です。それには、開かれた政策評価制度の再形成が、進められなければならない。つまり、国民の参加を評価の過程に組み込むこと、まさに、協働の政策評価体制を構築することが必要です。そのためには、行政の側での、さらなる情報公開、さらなる透明性の確保、さらなる説明責任の確保が大切でしょう。それは、制度の効果を政権や行政だけのものにせず、国民のものにするための第一歩でもあるように思います。


14時30分〜16時00分 パネルディスカッション
<コーディネーター>
牛尾 陽子      株式会社藤崎快適生活研究所専務取締役所長
  政策評価・独立行政法人評価委員会政策評価分科会専門委員
<パネリスト>  
佐々木 恒美   河北新報社論説委員会副委員長
大滝 精一      東北大学大学院経済学研究科教授
  宮城県行政評価委員会委員
丹羽 宇一郎   谷藤 悦史

(牛尾)
 本日は、「政策評価の新たな展開」というテーマで、政策評価制度が定着の段階を終え、次の段階に向かっている中で、今後、政策評価にどのような成果が求められ、またどのように活用していったらいいかということを中心に議論を深めていきたい。まずは、国の政策評価制度を会場の参加者の方により理解していただくために、各府省が自らの所管する政策について評価した事例や総務省が行う複数府省にまたがる政策について評価した事例等について、説明したいと思う(以下、事務局から会場配付資料のパンフレットに基づき説明)。
→(パンフレット4、5ページ参照(PDF))

(牛尾)
 今、国の政策評価の事例を紹介いただいたが、まずはパネルディスカッションから参加していただいている佐々木さん、大滝さんから、先の基調講演、講演も踏まえつつ、日頃政策評価に関してお持ちの考えについて、率直な御意見などお伺いしたいと思うがいかがでしょうか。
(佐々木)
 大分前のことだが、会社で『地域から問う公共事業』という連載企画をやっており、自分もその取材チームの一員であった。その連載企画は、公共事業が地域にとって本当に必要な事業として行われているか、地域活性化に本当に繋がっているのか、闇や無駄な部分はないのか、さらに事業の必要性、優先性、効率性という視点で東北各地を回って公共事業を巡る問題を取材したものである。
 その際、記憶に残っているものとして、農水省の農道空港というものがあり、福島県の飯坂温泉の近くの高台に約800メートルの滑走路を備えた福島・飯坂農道空港、スカイパーク福島という当初と比べて3倍の30億円という事業費を費やして作られたものがある。この空港の目的は、福島名産の桃や朝取り野菜などを、セスナ機を飛ばして首都圏のスーパーに短時間で運び、産地のイメージを高めるとともに地域振興に役立てようというものであった。しかしながら、セスナを1回飛ばすと輸送費が20万円かかり、桃キロあたり500円かかる。他方、これを東北自動車道で陸送すると10円で済むということであった。このため、当初から地元では、輸送コストを50倍もかけていったい何を運ぶのかという指摘があり、採算を度外視した事業ではないかということが言われていた。
 そこで思ったのは、やはりこれは現場に立った計画ではなく机上で考えた計画ではなかったかということであった。手続き上は、地元からのニーズ(例えば農業従事者、農協)を汲み上げ、実施したものであるということになっているが、取材するうちに、そもそも最初から農水省に全国各地に地域に農道空港を作ろうという発想があって、それを受け、市や県から依頼されて農協が陳情するというようないきさつもあることが分かってきた。そのとき、必要性、効率性、採算性というものは、とれなくて当たり前だと感じた。
 また、コンサルタントの利用計画っていうものがあり、それが年間500回セスナを飛ばすというもので、いざ実施段階になるとそれが70回に改められ、さらに実際に飛んだのは30回という結果であった。そしてその後はここをロケ地として活用しようとか防災やレジャーとして活用しようといった計画も出てきたりして、結果、2005年に農産物を運んだのはわずか4回であった。これはだいぶ昔の話ではあるが、いま政策評価法が施行されて5年目に入り、厳しく政策評価が行われて、公共事業でも廃止、休止、中止がかなり出ているという話を聞いたが、これは極めて自然な流れではないかなと思う。年金にしろ医療・介護にしろ、国民の負担というものは段々と大きくなってきている状況で税金を使って行う政策、事業はより厳しく行っていく必要があろう。
 物事は一回やりだすと止めることはなかなか難しいということは今でもあると思うが、政策でも事業でもやはり止める勇気とか姿勢が必要ではないだろうか。
(大滝)
 自分は県とか市町村の行政評価に関わる機会が多いので、そこでの経験を通して二つのことを申し述べたい。地方自治体の行政評価を支えている一番重要な骨格の一つはいわゆるPDCA、つまり、計画を作り(Plan)、実行し(Do)、チェックし(Check)、アクション(Action)に移すというこのサイクルを着実に動かしていくということにあると思う。これまでの行政評価というものを見ていると、基本的にPDCAのCに関して多くの人が関心をもっている。もちろん、きちんとチェックして無駄なものは省いていくということは大事である。しかし、次のステップを考えると、Cより前にあるPをどうするかがまず問題であって、住民や国民を巻き込んで、どのように計画の初期の段階に重点を移していくことがまず重要ではないかと思う。特に市町村とかの最近の行政評価を見ると、現状では、目標がよく分からないまま、評価の仕方をどのようにやっていくかといった点に関心がいってしまっている。そもそも何のために評価をやっているのかという部分を皆がしっかり確認し、コンセンサスを作っていくべきと考える。
 次に、本日会場にお越しの方もそうであろうが、政策評価、あるいは行政評価といわれても何となく自分にぴんと来ない、と感じている方が多かろうと思う。その理由というのは、例えば自分達の周りで、評価をやったから生活がよくなったといった政策評価の効用あるいは効果というものの実感が得にくいからということがあると思われる。
 一方、最近ではこういう政策評価や行政の在り方を考える際に、政策の立案や計画を作る場合だけでなく、政策の実行の際に、住民あるいは国民がよい公共サービスを受けるために自身も汗をかく必要があるという考え方が徐々に浸透してきつつあると思う。
 つまり、政策評価そのものが我々の生活のためになるという実感はなかなかつかめないが、評価が行われている以上、自分自身もそういう政策形成、政策立案や、実際の公共サービスというものの提供の一翼を担っているという感覚を持つことが非常に大事だと思う。我々一人一人が公共サービスの創造というものに参加することにより、実際に社会や地域が変わっていくという感覚をある程度持てるかどうか、あるいはそれをどう政策評価のプロセスに埋め込んでいくかということが次のステップのための重要なポイントだと考える。
 本日のフォーラムは国の政策評価に関してであるが、実は今後大事になってくるのは、国の政策評価レベルと県や市町村レベルの行政評価の連結という点であると思う。国は国でやり、地方は地方でやるということを続けている限りは、政策評価の効用とか価値というものを我々が実感できることはおそらくないと思う。率直に言えば、基礎自治体、つまり市町村レベルの政策ならば、国民にとってある意味一番体感しやすいと思う。実際のところ、市町村の実施する様々な政策、施策も国の政策や県の政策と連動して下りてくるという場合が多い。したがって、国、地方がバラバラに切り離して評価するのではなく、国と地方の政策評価が連結し、先ほどの谷藤さんの講演にもあったように、参加と協働というところに向かって国民が動いていくということが必要であると思う。
(牛尾)
 今、2人のパネリストからの御意見に関して、丹羽さんいかがでしょうか。
(丹羽)
 法が施行されて4年半経ち、ようやく最近政策評価について知られるようになりつつある。政策評価・独立行政法人評価委員会としても、佐々木さんがおっしゃった福島の農道空港の件のような問題についても、先ほど述べた旭川市の忠別ダムの水源開発整備事業の問題と同じように取り扱うことになろうかと思うし、いま、各府省で毎年約1万件の評価が行われているが、その中にあがってこないものも幾多あると思う。しかしながら、毎年続けているので、これからは確実にそういった問題案件については取り上げられるようになるだろうし、また、現在、各府省が自ら評価対象を選定の上、評価するということが基本となっているが、今後はこれに評価委員会の意見をよりからめていくような形も必要となってくるかもしれない。
 また、大滝さんから話のあった国と地方の問題については、日本でも近い将来、道州制というような広域分権制度ができれば、その中で議論されると思う。そうなると、最終的には公共事業の問題やあるいは地方交付税の問題等についても、道州制のなかで解決の道を探っていくということになるのではないか。
 我々としても、これからの政策評価について、もう少し権限と責任を明確にして、この評価制度をどうよくしていくかということについて議論を始めているところである。
(谷藤)
 佐々木さんと大滝さんの御意見は、重要な指摘であって、これについては諸外国でも問題となっており、様々な改良が試みられています。政策評価を実施すると、佐々木さんが指摘したように、政策の企画・開発部門と実施部門との間で乖離が起こってくる。つまり、簡素で効率的な政府を作るということになると、実施部門がどんどん分離され、いわゆる独立行政法人化していく流れが出てくる。そうなると、中央省庁には、政策の計画部門や開発部門だけが残ることになる。イギリスでは、まさにそういうことが行われた。結果、何が生じたかというと、現場の実態を知らないままで様々なプランニングが行われ、結果的に、政策効果が上がらない問題が生じてしまった。そこで出てきたのが分権の考え方である。イギリスでは、スコットランドの政治や行政をスコットランドに大きく分権し、プランニングも実施もしてもらうシステムになった。最終的に、政策評価は、効率性の追求を超えて、分権ということになった。それによって、政策の実効性を高めていくという形になったわけです。
 そうすると、大滝さんが指摘されたことと結びつくのですが、中央政府の政策評価委員会は中央政府における政策評価指標を作り、他方、分権化された地方、例えば宮城県における政策評価委員会が中央政府との協議の中で、地方の政策を評価するための政策指標を作り実施することになる。すると、中央の指標は間違っているというようなことを地方から問題提起し、中央の指標を変える流れもできる。命令や指令でなく、協働という流れで、政策評価を実施するのです。市町村レベルにおいても、評価委員会は作っていくべきだと考える。それらの協働と連携によって、指標開発を行っていくべきだ。そのためにも、分権が必要であろう。また、それによって、指標の洗練度が増していくと考えられる。
(牛尾)
 政策評価の今後の課題について、大きく分けると二つに分けることができると思う。一つは政策評価の運用ないしは活用面の課題、つまり、どう使い、どう活かすかということ。もう一つは、評価そのものがどうあるべきか、評価そのもののあり方の問題、この二つに分けられると思う。丹羽さんにお伺いしたいが、講演でもいくつか触れられたが、今後の政策評価に関する課題について更にお話をいただきたいと思いますがいかがでしょうか。
(丹羽)
 今後の課題としては主なものとして二つあると思う。一つは、各府省の自己評価には限界があるのではないかという点。例えば農水省であれば、まず農水省が自己評価を行うわけだが、そこはやはり身内の話なので自分の省庁の仲間がやっていることを評価するわけだからどうしても甘くなる部分もあろうかと思われる。評価対象を選ぶ際も具合の悪いものは避け、比較的うまくいっているものを中心に評価するという方向になるのではないか。
 また、複数府省にまたがる評価や客観的かつ厳格な評価の実施を担保するための評価を行う総務省も、広い意味では官僚機構の同じ仲間であり、いろいろなしがらみもあろうかと思う。そういうときに我々のようなしがらみのない民間人が厳しい指摘をし、評価結果を予算に反映させていくといった制度の仕組みをより明確化していく必要がある。今でも制度を所管する総務省には、政策評価法上、勧告というほぼ命令に近い効果的な権限があるものの、いまだこの勧告は使われたことがない。今後はこうした手段も駆使しつつ、総務省も必要であれば思い切って勧告すべしと考える。
 二つ目は、国民の皆さんに政策評価をきちんと理解をしてもらうために、評価内容を知ってもらう資料は役所言葉で説明したものではなく、国民に分かりやすい言葉で説明する必要があるという点。とかく各府省で用いる言葉は、例えば「検討」「検討に着手」「検討を開始」「見直し」などといった一般国民にはその施策なりがどの程度までどう進んでいるのかなど、その違いが明確でない用語も多く使用され、非常に分かりづらい。また、広報についても、国民により関心を持ってもらうため、国民生活に密着した事例を紹介するなどの工夫が必要であろう。
(谷藤)
 運用または活用の面で言えば、日常的、継続的に行われている「行政」評価を、「政策」評価に変えて行くことである。政策の変更や改廃に結び付けていくことが、行政評価を超えて政策評価に至ることになる。
 行政評価の水準は、大変洗練されて充実してきたが、それがダイナミックな政策の改廃に必ずしもつながっていない。そこにつなげて行くことが重要であると思う。新たなプランニングにどうつなげるかということである。そうすることに、各府省の官僚の方々は、ややためらいを持っているかもしれない。
 行政評価とか政策評価は、両刃の剣のようなところがあり、政策評価が進んでいくと、最終的には組織評価に結びつき、ひいては人事評価にまでつながっていく。結果として、貴方の組織は、何にもやれていないので必要ないという評価も出てくる可能性がある。評価を徹底させれば、極端に言えば、公務員自身が自らの地位を失う可能性だってあり得るわけである。そういう意味で、政策評価制度は、大変な緊張感をもった制度だと思う。一方で、そういうことを敢えて実行するということが「信頼」というものにつながっていくものだと思う。
 つまり、新たなプランニング、あるいは政策目標を変えることにつなげていくと、最終的には政権評価につながって行く。例えば、安倍政権では4年間にこんなことをやったということが、政策の実績として国民に明らかになり、これに基づき、国民はもう一期やらせるかどうかという選択につながっていく。それが、民主主義国家における政策評価の原則ではないかと思う。それは、国ばかりではなく、知事さんにも、市長村長さんにも行われるべきで、そのような評価制度であってほしいと思う。
(牛尾)
 国民の関心、注目といったものを政策評価の方にどう引き付けるかということはかなり難しいことである。ほとんどの人が政策評価は分かりにくいとか、興味ないとかいう人ではなかろうか。ただ、それでは政策評価自体が成り立たなくなるし、納税者たる国民は、内容の判然としない行政に訳の分からないまま税金を使われるという形にもなるわけである。会場にお越しの皆様はじめ国民の方々にはこのフォーラムだけでなく、是非ホームページ等もどしどし閲覧していただき、政策評価というものをウォッチしていただきたいと思う。まずは政策評価に関心を持っていただければと思う。
(谷藤)
 牛尾さんが言われたとおりだと思う。国民の皆さんに関心を持っていただくことで、政策評価制度はより緊張度を増すのです。
(丹羽)
 関心を持ってもらうためには、関心を持ってもらうようなホームページ作りとかをしなければならない。細かい字で膨大な量の文書を読めという方に無理があろう。したがって、読みやすくて、国民の皆さんが関心を持てるようなふうに仕向けることが大事である。そうすれば自然と関心をもっていただけるようになると思う。
(牛尾)
 今、国民の皆さんに関心を持ってもらうという話が出たが、どのようにしたらもう少し国民の方々に関心を持っていただけるのかという点について、マスコミの立場からみて佐々木さんいかがかでしょうか。
(佐々木)
 仙台という地方に住んでいるが、各府省が政策評価をシビアにやっている、あるいは複数府省にわたる政策を総務省できちんと評価しているなどといったことが、地方までまだまだ浸透してないのではないかということが率直な感想である。
 一般市民が政策評価と聞いてまず連想するのはおそらく国政選挙、首長選挙のマニフェストではなかろうか。我が社では、昨年は仙台市長選とか郵政民営化を争点とした衆院選、あるいは宮城県知事選といった機会があった関係で、マニフェストを詳しく分かりやすく説明しようという報道を試みた。その後、マニフェスト自体について世論調査なども試みた。すると、マニフェストに対し6〜7割の方が関心を持っているということであり、いろいろと分析したところ、マニフェストは各候補者の政策の違い、あるいは各政党の違いなどがよく分かったという意見であった。したがって、国民にとっては分かりやすいかどうかが関心の有無を左右するものだと感じた。
 また、関心を持ってもらうためにマスコミを使うという方法があるが、新聞というのは、ニュース性があるかとか、あるいは問題指摘型であって、うまくいっている政策とか事業というのを報道する機会はなかなかない。本来なら地域活性化につながっている事例などでここをこう変えたらすごく良くなったというようなことも新聞でもやるべきだとは思うが、残念ながらそういうふうにはなっていない。国民に対してはこうしたフォーラムも制度を知らしめる一つの仕組みだとは思うが、何かもう少し国民との間の双方向性を確保できるような形にすれば少しは関心が高まるのではないか。
(牛尾)
 今の双方向性の確保という点についてどうか。大滝さんいかがでしょうか。
(大滝)
 一つの方法として、政策評価の中にちょっと遊びの要素を入れてみる、というようなことは大切ではないか。例えば、ある町でその町にしかないようなものを評価するとかである。その際、行政が一方的に作るのではなく、市民と一緒になりながら作ってみるというようなことをやってみる。
 実際こういうことをやっているところは世界中にあって、例えば、アメリカのシアトルでは市民団体の人たちがシアトルの政策評価をするための指標づくりを市民活動の一環としてやっている。その市民団体のサイトには、シアトルのまちなかを流れる川に鮭が遡上してくる数がどのくらいあるかということを、政策評価の指標にたとえて、いつまでも鮭が遡上できるような自然を保つことのできる町を作っていこうというような目標を作っている。これは市民団体が勝手に作っているというだけでなく、市役所ともいろいろな形でやりとりしながら、町全体の総意としてそういったユニークな指標を作っている。このような発想からいろいろと面白い指標を作ってみるというのも一つの考え方ではなかろうか。
(牛尾)
 会場の方からいくつか質問をいただいているので紹介し、パネリストの方々にお答えいただきたい。
 まず、本日の話の中で国民の参加とか協働という話が出ているが、現実にはその実現の可能性が低いのではないか。例えば、県民満足度調査といったものを実施してもその結果で真の満足度が測れるのか、結局は行政側のアリバイ作りに終わるのではないかという意見をいただいた。この質問につき、谷藤先生いかがでしょうか。
(谷藤)
 現状のままだと大変難しいと感じている。したがって、政策評価を実感できるような運動というものを展開しなければいけないだろう。
 イギリスの地方政府では、評価がマンネリ化し、行き詰まってしまい、そこで、大滝さんがおっしゃられた遊びの要素を入れる感じで、1990年代の後半から21世紀にかけてだが、地方政治の政策評価制度として5C運動を実施した。これは、自治体間で比較(Comparison)し、住民みんなで協議(Consult)し、目標を設定しようという運動であった。さらに、他の地方自治体に負けないように競争(Competition)し、皆で一緒に協働(Collaboration)しよう。そして、新しいことにチャレンジ(Challenge)しようという運動をやった。限られた資源の中で何ができるかという運動であり、それに住民を巻き込もうというものであった。その当時のイギリスの地方自治体は財源もない、人材もいないというような状況であって、地域間の格差が非常に大きかった。そこで、どこが良い自治体かというランキング付けを行い、ランキングの高いグループをビーコンカウンシル(Beacon Council)といって、ビーコンとは灯台のことであるが、これを他の地域の灯台、つまり地域の先導役にして目標に仕立て、優れた評価を行って目標に達したところに重点的に予算を配分した。このように、政策評価をこうした運動と結び付けて、地域再生につなげていったという自治体の例がいくつかある。
 国民の参加、協働は、何らかの運動の仕掛けを作れればいい方向に向かう可能性もあるのではないか。
(丹羽)
 ただし、今御紹介のあったランキング付けで言えば、いろいろな問題が起きることも考えられる。例えば、学校選択制では、選ばれるいい学校は問題ないが、選ばれない学校の地域に住んでいる子供達はどうなるのかという問題、つまり格差の固定化につながるおそれもあろう。したがって、メリットやデメリットを考えなければならないと思う。
(牛尾)
 次の質問は、政策評価は政府と国民の対話ツールであり、政策評価には透明性の確保と説明責任の確保が必要であるということだが、より簡潔な説明、簡素な説明ということになると、その内容を知らせるに当たってバイアスを生じさせる余地が大きいのではないか。これを抑止するためには、情報公開の運用、情報公開法ないしは条例の運用が重要になるのではないかと思うがどう考えるかという質問。これについて、ご意見はございますか。宮城県は前の知事の下で情報公開について種々やってきた経緯がありますが、大滝先生いかがでしょうか。
(大滝)
 その質問に関しては、当然その通りだと思う。自治体で言えば、基本的にはやはり情報公開は条例化して、公開することがベストだと考える。むしろ、政策評価の前提として、それを進めていくというのが基本であろう。
 ただ、先ほどの丹羽会長が述べられた分りやすい言葉でという趣旨は、同じ情報公開といっても非常に難解な言葉で公開されたものを一体誰が読むのか、読み手のことをきちんと考えなければいけないということをおっしゃっていたのであって、その際に公表の仕方とかに工夫をこらして、より分りやすい簡潔なものを作ったらどうか、行政サイドも工夫する余地がもっとあるのではないかという趣旨だったと思う。
 したがって、情報公開することに対してはもちろん異論はないし、ただ公開しているから了とするのではなく、そこにいろんな工夫が必要ではないかということだと思う。
(牛尾)
 最後に4人のパネリストの皆さんに今後の政策評価に対する期待などについて、一言ずつコメントをいただきたい。
(丹羽)
 今後とも、民間としての立場で、官に対して積極的に意見を出していきたいと思う。また、国民の方々も行政に対して普段いろいろと感じていることなど、どんどん意見を言っていただきたいと思う。そして行政には国民の方々の意見を汲み上げ、政策、施策に反映させ、きちんと情報を公開してもらいたい。この評価制度を実りあるものにし、次世代につないでいく必要があると思う。
(谷藤)
 制度が洗練化されてくると安定化し、自己完結化してしまう。制度のみ見ればそれは、良い制度かもしれないが、それが良い社会的効果を生み出しているかということと全く別のものになってしまう危険性もある。制度を進展させていくために大切なことは、制度に人々を参加させたり、協働させたりするような運動の仕掛けを今後は考えていかなければいけない。そうした機会があれば、来場の皆さんも進んで参加していただければと思う。
(佐々木)
 人々の日々の暮らしが厳しくなってきている中で、やはり政策というものはシビアに絞り込んで、評価をしていってもらいたいと思う。
 そのためには、やはり国民の暮らしに密着した現場により近い政策について、政策立案段階から人々が参加し、実施・評価できるようにしていただきたい。自分に近い政策であれば徐々に政策というものに人々の関心が及んでいくと思う。そのためには、地方に税源とか権限を移す地方分権が必要だと思う。
(大滝)
 自分もこの政策評価の問題というのは、最後は、分権と自治というところに行き着くと思う。やはり国民に身近でなければ政策評価は我々の生活からは遠いものだと感じてしまう。ただ、その分権と自治をやるためには、我々一人一人の覚悟も必要であり、その覚悟がないと、政策評価というものは大変むなしいものに終わってしまう可能性もある。そうならないためにも、我々すべてが、その分権と自治というものを着実に身の周りで進めていくということが政策評価を実のあるものに変えていく鍵だと思う。


16時00分 閉会  

(注)  この概要は、事務局(総務省行政評価局政策評価官室)の責任において取りまとめたものであり、事後修正の可能性があります。




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