北海道地方非常通信協議会 会報第34号
静穏期に何をするか
− 2000年有珠山噴火から学ぶ
壮瞥町役場総務課防災情報管理係長 土門 秀樹

 2000年3月27日午後11時30分。
 それは、職員にかかってきた1本の電話から始まりました。相手は、北海道大学有珠火山観測所の岡田弘教授。
 「今夕8時頃より地震の回数が増えている・・・。」との内容でありました。
 この情報は、ただちに総務課防災担当に伝達され、町の四役が招集されました。
 職員の1人は、火山観測所に出向き、情報収集にあたりました。まだ無感ながら、地震回数は減りませんでした。
 3月28日午前2時。
 総務課職員が招集され、当町は危機管理体制にはいりました。明け方になっても、地震回数は増加したままで、弱いながらも有感地震も発生し始めました。
 3月28日午前8時20分。
 「壮瞥町有珠火山災害対策本部」が設置されました。ただちに、本部長である町長の指揮の下、地域防災計画により各課の担当を決定、火山活動情報の収集・避難所の開設・避難誘導体制のチェック・食糧の確保・マスコミ対応の行動を開始しました。
 避難誘導は2段階とし、まず災害弱者といわれる高齢者やひとりぐらしの人、身体に障害をもっている人に自主的な避難を呼びかけました。
 3月29日午前1時10分。
 気象庁は噴火前としては異例の「緊急火山情報」を発令、これを受け、町は午後1時00分、災害対策基本法第60条による避難勧告(午後6時30分に「避難指示」に変更)を発令しました。
 住民に対しては、防災行政無線で放送するとともに、町広報車・消防広報車が避難地区を巡回しました。また、各家庭には現状と避難場所を示したチラシが配られ、消防と警察が最終確認を行いました。避難者は、全住民の60%にあたる1,980人に達しました。
 そして、3月31日午後1時10分。
 有珠山は、23年振りに噴火しました。
 1663年の大噴火以来、今回は8回目の噴火と言われております。有珠山は、概ね30〜50年周期で噴火をしていることから、最短でも30年間は大丈夫という先入観が行政や住民を支配しておりました。火山学者によると、7年は誤差の範囲なのだそうです。有珠火山防災計画は、平成11年度から12年度の2ヶ年の計画で策定作業中でしたが、間に合いませんでした。昭和52年に設置された防災行政無線は、平成12年度で更新の予定でしたが、噴火が先行しました。
 地球の歴史からみると、私達人間の営みの矮小さをつくづくと感じさせられました。
 “災害は忘れた頃にやってくる”といったのは、随筆家寺田寅彦先生ですが、静穏期に何をしておくべきか、今回の有珠山噴火はそのことを問いかけているようにも感じています。