第2回有識者コラム

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情報通信と「電縁」をめぐって柴内康文(同志社大学 准教授)

柴内康文

柴内康文同志社大学
准教授

今年度の情報通信白書で用いられたキーワードの一つに「電縁」という言葉があります。白書を拝見して今回そのことを知り、軽い既視感、また少し大げさに言えば、昔なじみに再会したような懐かしさと感傷を覚えました。

実は、「電縁」がキーワードとなるプロジェクトに私が接点を持ったのはこれで二度目になります。今をさかのぼること15年近く、1995年(もしくはこの前後)は国内外でインターネット元年のような呼ばれ方をする年でした。まず、現在多くの人々が利用するシステムに近い、「Windows95」が発売されています。ちょうど話題になり始めたインターネットが利用しやすくなったシステムであったこともあり広く関心を集め、パソコン利用が広がるきっかけの一つとなりました。デジタルカメラの一般への普及や、あるいはPHSサービスが始まった時期でもあります。この年はまた、初頭に起こった阪神淡路大震災でも多くの人の記憶に刻みつけられていますが、被災地からの情報がインターネットを通じて世界中に配信されたこと、当時の「パソコン通信」が災害やボランティアの情報交換に利用されたことなどを通じても、コンピュータを通じたコミュニケーションの可能性に関心が寄せられることとなりました。

この年、インターネット以前に電子ネットワークとして利用されていたこのパソコン通信の国内最大手の一つ「ニフティサーブ」(現:@nifty)が、会員数100万人を突破して います。4月に結果が発表された平成20年度通信利用動向調査は、国内のインターネット利用者数を9,091万人と推定していますから隔世の感がありますが、この時点では、新しい「ネット社会」の立ち上がりを象徴する数字であったことは疑いありません。その節目を記念した学際的な研究会が組織され、このとき縁あって活動のごく一部に関わらせていただくことができました。そしてその成果をまとめた著作が、タイトルにやはり「電縁」を冠するものであったのでした(金子郁容ほか著『電縁交響主義』NTT出版, 1997年)。今回白書の裏表紙には、美しい田園風景の中にいる祖父母と遠く離れた孫がビデオ携帯電話でつながっている様子を描いた素敵な絵が掲載されています。この絵のモチーフは偶然のこととはいえ、それでも「電縁」が「田園」に関連付いてしまうのも昔と変わらず面白い気がします。しかし、この二つの結びつきはあながち偶然ではないのかもしれません。田園風景に対して私たちの抱く憧憬、あるいは郷愁のような感覚は、現代社会の中で失われてしまった (としばしば思われている)人のつながり、縁といったものに対する感覚と似通った部分があり、情報通信技術を通じた「電縁」によって、その再興が図れるのではないかという期待がこの二つの言葉を今も昔も結びつけてしまうのかもしれない、としたら言い過ぎに当たるでしょうか。

ともかくインターネットの普及開始から現在に至るまで、電子が作り出す縁、「電縁」への期待は変わらず大きいようです。しかし、ではこの15年ほどの間に変化したものは何でしょうか。もちろんこの間、電子ネットワークは大きな変貌を遂げました。一部の特別な人々を中心としたものから、利用を望む人の大半はそれを使うことができるほどに普及 は拡大しています。年代をはじめ、克服すべき重大な格差はあるものの、その改善は今後も進んでいくでしょうし、進めていかなくてはなりません。接続形態も当初の電話回線から光ファイバーなどのブロードバンドへと移り変わり、それに伴ってコンテンツの充実ぶりも著しいです。情報発信を望む人にはブログが、つながりを望む人にはSNSなどのサービスも登場し広がりを見せましたし、これからもさまざまなサービスが提供され、また利用されていくことになるはずです。「電縁」が作り出される、少なくともその可能性は大きく拡大しています。

実はこの期間に、社会科学の世界でも「電縁」を考える上での重要な理論的枠組みが急速に広まり、多くの研究知見が生まれ始めました。それが本白書でも重要な概念として何度も登場する「社会関係資本」<ソーシャル・キャピタル>です。個人の持つ、また社会全体に蓄積された人間関係とそれに連動する信頼、また互酬性の規範がいわば資本のよう に機能し、多様なリターン(その中には、健康や地域の安全から経済発展、さらには民主主義の実現までが含まれます)を生み出すという考え方です。特にアメリカの政治学者ロ バート・パットナムが2000年に著した著書“Bowling Alone”によって、この概念は広く知られ、また大きな政策的含意を持つようになりました(拙訳『孤独なボウリング』柏書房, 2006年)。さらにインターネットや携帯電話などの情報通信技術が、社会関係資本にどのようなインパクトを与えるのかも、近年内外で重要な研究テーマになっています。

今年度の白書(第1部第3章)はこの概念も援用しながら詳細な分析を試み、現実社会のコミュニティとオンラインのコミュニティにバランスよく参加することが高い「つながり力」をもたらすという主張を行っています。この分析の意味と結果の妥当性については慎重な学術的検討が必要であると感じますが、少なくともインターネットを通じた「電縁」には、私たちの持つ既存の人間関係に対して、これまでの地縁や血縁、職業を通じた縁などを超えた関係性をもたらす、別の表現をすれば社会的ネットワークに多様性を付け加える可能性があり、それが重要な価値を持ちうるのではないかということは言えるように思います。

もちろん一方で情報通信技術を、自分の狭い範囲の世界を強化するように利用することもできるでしょう。どのような条件がその帰結を分けるのか、人々が情報通信技術をいかに活用しており、またそれが人々の関係性とそれによって作り出される社会にどのようなインパクトを与えるのかについて、実証的な分析を基礎とした地に足のついた議論が今後も求められますし、またそのような議論を踏まえた上で、新たに登場する技術のあり方、また利用の方法を模索していくことが必要です。個人的にもそのような議論の土台を作り出す作業を僅かでも担っていかなければと感じますが、情報通信白書には今後もそのような基盤として重要な役割を果たしていただければと願っています。 「電縁」を単にこれからも繰り返し希求され続ける、見果てぬ夢としないために重要なことはこのあたりにあるのだと思います。


略歴

柴内 康文(しばない やすふみ) 同志社大学社会学部准教授
1970年千葉市生まれ。1994年東京大学文学部卒、1999年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得。同年同志社大学文学部専任講師を経て、現職。専門はメディア・コミュニケーション論、社会心理学。著書に『ネットワーキング・コミュニティ』(東京大学出版会、1997年、共著)、『情報行動の社会心理学』(北大路書房、2001年、共著)、『戦後世論のメディア社会学』(柏書房、2003年、共著)、ロバート・D・パットナム著『孤独なボウリング』(柏書房、2006年、翻訳)など。
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粟飯原理咲 粟飯原理咲アイランド株式会社
代表取締役
ソーシャルメディアは女性がお好き? ~女性のウェブサイト利用動向
内田勝也 内田勝也情報セキュリティ大学院大学
教授
安全と安心を考える
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