秋山美紀慶應義塾大学 総合政策学部
専任講師
今年の情報通信白書の第2章第2節では、我が国の情報通信利活用について、「医療・福祉」分野が他のICT先進諸国に比べて遅れているという分析がされています。こちらを受けまして、医療分野の情報通信ネットワークについて、「エンパワーメント」という視点で考えてみたいと思います。
そもそも情報通信ネットワークは、集権的な構造を分散的なものに変え、「末端」の人をエンパワーする力を秘めていると言われています。かつては中央のエリートが情報を独占し意思決定を行っていたのが、インターネット等の情報ネットワークにより、より多くの人が意思決定に参加できるようになった事例は、世界各国で枚挙にいとまがありません。最大のポイントは、情報発信のコストが飛躍的に下がったことにより、広くあちこちに散らばっている「場面」の情報をひろい上げ、大勢が共有しやすくなったことでしょう。発信された情報は、距離や文脈を超えてそれを求める人に届くようになり、利用されるようになりました。受信した側が、同じく技術の進歩とともに向上する情報処理能力で、情報を結合したり分析したり有効に利用すれば、新たな知や新たな価値の生産につなげることもできます。
私が見てきた地域医療の現場でも、エンパワーメントの好事例はいろいろあります。医療を提供する側では、訪問看護師が主治医や専門医らと投薬や検査の情報をネットワーク上で共有することで、在宅患者の容態変化への適切な対応や処置がしやすくなった例や、調剤薬局の薬剤師が医師とネットワーク上で情報共有することで医師の処方意図を良く理解できるようになり服薬指導の質が上がったという例がありました。また、情報から遮断され孤立しがちだった離島の医師が、ネットワークでつながった本島の病院と情報共有し、支援を得られることで、安心の医療を島民に届けられるという報告もあります。
もちろん情報通信ネットワークでエンパワーされているのは、医療者だけではありません。一般市民、特に闘病中の患者や介護者がネットワークによってエンパワーされている例は、近年特に顕著になっていると実感しています。検索エンジンの進化とあいまって、今日インターネット上で私たちは、疾患やその治療法、薬の効能・副作用、医療機関や関連施設に関する情報等を幅広く得られるようになっています。それらの情報は専門機関が発信する客観性・公共性の高いものから、個人が発信する経験や「口コミ」のような主観的だけど利用者の役に立つ情報まであります。
中でも注目しているのが、患者や家族、医療者がつづる「ブログ」です。私が2008年に調査した範囲でも「がん」について書かれたブログは、約40万ブログ、記事数にすると95万件あり、このうちの約15%は患者や家族によって書かれた、いわゆる「闘病ブログ」で した。重い病気になり様々な不安やつらい思いを抱えている人が、同じ病気と闘っている人が発信する情報に勇気や元気をもらう・・・。医師には聞きづらい生活上の工夫・知恵を授けてもらう・・・。元気をもらった人は今度は自分の体験を情報発信し、それを読んだ別の人が勇気づけられる・・・。そんなピアサポートが、インターネット上のあちこちで起きています。
私は、医療分野の情報ネットワークを、患者を含めた多様な人や組織、それが生み出す情報、そしてそれらが構成するネットワークの総体と考えています。病院に閉ざされたネットワークも、地域医療連携のネットワークも、全ては患者に対して質の高い医療を行うために、多様な医療従事者や組織が情報を共有して連携するためのツールなのです。そして誰もがアクセスできるインターネットは、病気と闘う患者や家族の経験を「資源」として社会に還元していく上で、大きな力を発揮しつつあります。それぞれのネットワークに求められるセキュリティレベル等の要件は異なるものの、利用する皆が目的を共有し、秩序を守り、持つ能力を結合して、質の高い医療という大きな価値を生み出す協働関係を作り出していくことが求められていると思います。