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アンケート1:あなたの印象や思い出に残っている情報通信機器は何ですか?

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アンケート1-1

設問

今までに、あなたが使ってきた情報通信機器は?

選択肢

結果

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アンケート1-2

設問

あなたの印象や思い出に強く残っている情報通信機器はどれですか?

選択肢

結果

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アンケート1-3

設問

その情報通信機器には、どんな思い出がありますか?

結果(自由記述コメント)

投稿日 コメント
2月17日 小型化、通信速度の高速化により日常生活で不可欠な存在となった。
2月17日 私が印象に残っているのは「キャプテンシステム」です。
1990年ごろに知り、インターネットを利用するようになった1996年ごろまで自宅から電話回線で接続して利用していました。
全国だけでなく各県にもセンターがあり、各地方の情報を得ることができたので、旅行に行くときなどに便利でした。
パソコン通信とは違って、画像で情報を得ることができ、一旦接続すればセンター番号を入力してセンターを切り替えて行ける、まさにインターネットの先駆けでした。
2月17日 就職して田舎に住むことになったが,パソコン通信で,都会の生活の賑わいを感じつつ,地方の自然が満喫できた。
2月17日 外出先でも使える。
2月17日 パソコンでやるような事がスマートフォンの登場で、手のひらの上で手軽にできるようになったことはとても衝撃的だった。
2月17日 映像がとても綺麗になったこと。
2月18日 電電公社のキャプテンシステム、つくば万博で初めて触れた。
2月18日 NTTのポケベルで、当時の彼女との連絡ツールにつかってました。
2月18日 PDA(ソニー クリエNR70)で、2003年に購入。
当時ノートパソコンはキーボードの打鍵音がうるさい等の理由で図書館に持ち込めなかったが、タッチパネル採用によって音がまるでしないこのマシンはその問題を突破できた。
またこのマシンから自分の予定表やタスク、メモはデジタルデータとなった。 マシンが動かなくなっても、それらデータは次のマシン、クラウドに引き継がれ、10年前のことをすぐに思い出すことができる。
2月18日 まさか今日のスマートフォンの普及は当時夢にも思いませんでした。
2月18日 文字制限、独自の入力コードは今考えると不自由極まりないけど、一つの通信にいろいろな想いを込めていた気がする。
2月18日 受話器を持ち運べるなんて画期的だったから。
2月18日 聞かれたくない話ができるようになった。
2月18日 東芝のM-01だったかなぁ〜?20年以上前になると思います。棒状の平たい携帯端末で、横長のディスプレー。もちろんモノクロの画面でした。文字情報だけでしたが、PHS回線を利用したもので、ニフティのフォーラムにつながるので、重宝してました。モニター応募してゲットしたのですが、キーボード入力(携帯番号キーを仮名に読み替えた昔ながらのインターフェース)ながら、漠然と今のスマホのようなものをイメージしながら利用してました。
2月18日 パソコンの通信環境だが、時代によって音響モデムから無線LAN/WiFi/FTTHといろいろ変化し、通信速度も上がってきたが、通信速度が上がると、送受信するデータ量も増えて送受信にかかる時間が増えることはあっても減ることがなかった印象がある。入社当時は納品でモデムでFDD1枚のデータを送信するのに1時間以上かかっていたが、今やBD1枚のデータを送信する時代になってきている。
2月18日 2009年購入のWifiルータ(クレードルポイントのPHS300)は、3GのUSBモデムをタバコ箱サイズの筐体に接続したもので、今からしたら不格好だった。でも無線LANさえついている機器なら、Wifiルータさえあればとにかくネットにつなげるようになって、利便性がぐんと上がった。タブレットもWifiルータがなければ家の外で使う気にならなかっただろう。
2月18日 文字を送ることが出来るようになり、間違いのない伝達が出来るようになった。
2月18日 仕事になりますが、文書ファイルをメール添付で遅れるようになった時は、仕事の仕方が変わりました。
2月19日 PHSになります。当時にしては、端末の重さが60〜80gの軽さで、首輪から胸ポットに部下げ、非常に手軽に使ってました。
2月19日 非常に電池の持ちがいいこと。
2月20日 小学生の時にFAXを使ってリアルタイムで手紙のようにやり取りができることに衝撃と感動を覚えたのがとても記憶に残っています。書いた文字がそのまま電話線で伝わるなんて・・・なぜ?!と常にハテナいっぱいで使っていました。
大事なことは手紙で、ちょっとした連絡はFAXで、と子供ながらに意識せず使い分けていた気がします。
2月20日 20年前に会社から支給された。送られてくる電話番号や決めた暗号から、いろいろと類推していた頃が懐かしい。送る側も番号や暗号に相手を思いやりながら入力していたようにおもう。
2月21日 重い割に直ぐにバッテリーがなくなり、使いたい時に電源アウトを何度経験したことか…。
2月21日 予備校生の頃、父親がPC-VANを使っており、ネットワーク経由でセンター試験の結果速報が取得できた事に衝撃を受けた。その前の年はラジオを使って『さっき回答何て言った?』とか言っいた事が思い出される。 現在はIT関連の仕事をしています。
2月21日 PC98でwindows3.1だったと思います。モデムの通信時間もかなり遅かった。
2月22日 初めて利用した時にワクワク感が凄くて、時代の進歩を感じました。
2月22日 情報通信の進化は急速であった。PDA(ザウルス)は携帯電話の出現で衰退し、今度はスマホやブレット端末が肩を並べる勢い。その背景に通信の高速化広域化が挙げられる。LSI技術の進化、フォフト開発手法の進化全てが同時に起きて世の中は一変した。今やその社会現象が青少年の生活に影響を与え始める程。本来の人の幸せとは?これを見失ってはいけない。
2月23日 初めて我が家にファクスが来た時、本当に届くのかと思い、先にファクスを持っていた親戚に「テスト」と書いて、送りました。送れた時、今までにない興奮を味わったことを覚えています。
2月23日 GPS機能のついた携帯電話。GPS人口衛星の寄与は大きいものです。その制御が米国によって支配されているのが心配になります。
2月25日 私が高校を卒業するときには、ポケットベルを持っている人が400人中10人未満だったと思います。ポケットベルは、文字数が限られてはいましたが、文章を送れていたように思います。
卒業後に進学や就職で新しいスタートを踏み出す時、新しい住所などを友人に知らせる術は、手紙やハガキでした。いざ同窓会など学生時代の友人と集まりたくても、なかなか連絡が取れず本当に苦労しました。 その後、成人式あたりでようやく携帯電話が普及し始め、友人達と直接連絡が取れるようになりました。連絡が取れにくかった経験から、連絡が手軽に取れるようになった経験。この移り変わりを知っているからこそ、友達の大切さを痛感しています。
2月28日 モバイル通信の先駆け。今の人たちにはこの感動は味わえないでしょう。
3月11日 世界につながれる。Twitterやfbで。
3月11日 震災支援で米国にいた八神純子さんの活動に協力するのにSNSでダイレクトに連絡取れた。
3月25日 特に1990年代を思い返すと、携帯電話の印象は強いです。
3月26日 コードレス電話
おそらく微弱無線局だったと思う。
コードレスで便利なのだが到達距離が短いので本体のすぐ脇で使用していました。そこら辺から無線などに興味を持って電機メーカに就職して最終的には民間認証機関に一時居ました。
4月7日 (携帯電話)当時は持っていることがステータスだった。
4月20日 便利であるが、仕事量が劇的に増えるきっかけとなった端末がポケットベルです。

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