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東京都における戦災の状況(東京)

1.空襲等の概況

被災時の市民生活

 戦時下の東京都の財政運営は戦争遂行一色となり、直接戦争遂行に必要な防衛費は、昭和19年度が一般会計歳出予算の60%、昭和20年度は53%に達した。うち、学童疎開や建物疎開の疎開事業費が防衛費の大半を占め、一般会計歳出予算総額の2分の1を超えていた。

学童疎開

 東京都は地方の親戚などへ個々に疎開する縁故疎開(約7万7,000人)を進めていたが、昭和19年6月政府決定の「帝都学童集団疎開実施要領」を受けて、7月「学童疎開本部」を設置し、8月4日から9月24日までに国民学校児童約47万4,000人のうち、3年生から6年生までの約20万3,000人を都下、隣接県、東北地方など14県に疎開させた。その後、新3年生の疎開と卒業生の帰京という入れ替えが実施され、終戦間近の6月現在でも14万2,000人の児童が疎開していた。

建物疎開

 建物疎開は昭和19年に始まり、疎開戸数約5万5,000戸、居住世帯約5万8,500戸に及び、7月に完了した。このほかポンプ車の進入道路の拡幅や変電所の周辺、交通量の多い交差点付近の建物が疎開の対象となった。
しかし、昭和20年3月10日の空襲で対策の不十分さが露呈することとなった。

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2.空襲等の状況

空襲の回数、月日及び被災状況、死没者等

 昭和17年4月18日、アメリカの空母から発進したB25爆撃機13機が東京を初空襲した。さらに、昭和19年11月24日にはサイパン島発進のB29爆撃機が東京を空襲し、以後B29による各都市への空襲が本格化した。
東京に対する空襲は、終戦までに122回に及び、多くの被害を出した。
特に、昭和20年3月9日深夜から10日にかけての大空襲は、全焼家屋約26万7,000戸、死者約8万4,000人に及んだとされている(昭和37年警視庁史昭和前編)。この空襲では、周囲に焼夷弾を投下して都民の退路をふさぎ、その内側を無差別爆撃したため多数の死者が出た。

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3.復興のあゆみ

 昭和21年3月、土地利用と施設建設を柱とする「東京都戦災復興都市計画」を策定したが食料、住宅、防疫等の応急対策に追われ、軌道に乗らなかった。

 昭和24年3月、「東京都復興5カ年計画」を策定したが、これも次の「首都建設計画」が策定されるまで一部を実施するだけに止った。

 昭和25年4月、首都建設法が議員立法で制定された。この法律に基づき設置された「首都建設委員会」は昭和26年から29年にかけて「街路および道路」、「戦災復興土地区画整理」等14事業にわたる首都建設計画を立てた。

 東京都は、同計画を受けて昭和27年3月首都建設緊急5カ年計画をつくり、昭和27度から31年度の5カ年で16事業、事業費1, 165億円の事業に着手した。

 しかしながら、首都建設法はその適用区域が都の行政区域に限られていたことや、国の財政援助が極めて乏しかったことなどから、この法律のもとに実施した都の首都建設緊急5カ年計画の実績は、昭和27年度から30年度の4年間で全体計画の40%に止まった。

 この間にも都の人口は増加の一途をたどり、産業も引続き集中し、それらに伴って、交通、住宅、環境衛生など様々な都市間題が深刻化した。

 こうした状況のもと、首都建設法は昭和31年廃止され、同年6月首都圏整備法が制定された。この法律に基づき設置された首都圏整備委員会は昭和33年7月に首都圏整備計画の基本改革を策定し、整備計画として、昭和32年度から41年度に至る10カ年計画(昭和42年度から50年度までの9カ年計画を第2期計画とする。)を決定し、総事業費約1兆549億円をかけて事業の強力な推進を図っていくこととした。

 都においては首都圏整備事業を都政の最重点施策として位置づけ、その強力な推進に努めた。

 その結果、オリンピック東京大会に向けた諸事業の大部分が首都圏整備事業に含まれていたことや、官民あげての東京大会に寄せる期待と関係者の熱意という後押しもあって区部における公共施設の整備はかなりの進捗をみせることとなった。

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4.次世代への継承

 空襲による戦災殉難者の遺骨は、大正12年の関東大震災における殉難者の遺骨を納めた震災記念堂に(昭和5年9月に建設、昭和26年9月「東京都慰霊堂」に名称変更)に納められた。財団法人東京都慰霊協会は、毎年3月10日に都内戦災並びに関東大震災殉難者春季慰霊大法要を、9月1日には関東大震災並びに都内戦災殉難者秋季慰霊大法要を実施している。

 東京都は、平成2年7月20日、平和の意義を確認して都民の平和意識の高揚を図るため、「東京都平和の日条例」を制定し、太平洋戦争で東京が最大の被害を受けた3月10日(昭和20年の東京大空襲の日)を「東京都平和の日」と定め、記念式典や平和展等の記念行事を実施している。

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