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豊橋市における戦災の状況(愛知県)

1.空襲等の概況

 明治17(1884)年、軍国日本を象徴するように豊橋の地に「歩兵第18聯隊」が、明治41(1908)年には「第15師団」が置かれたことから、豊橋市は、「糸の町」「蚕都」と併せ「軍都」と称されていた。

 昭和19(1944)年夏のサイパン島陥落以降、B29による本土空襲が始まり、当初、大都市に向けられていた焼夷空襲の目標が、昭和20(1945)年6月に中小都市へと変わり、その2回目の目標となったのが豊橋、静岡、福岡だった。

昭和20(1945)年6月18日、隣接の浜松市、対岸の四日市市が相次いで空襲を受け燃え上がり、つぎは豊橋の番だと市民は予感したという。

 翌6月19日午後11時43分ごろ、最初の焼夷弾が投下され柳生川運河北方面が燃えはじめた。さらに1分後には、中心部の松山町付近に被弾した。

 まもなく豊橋の市街地のほとんどが戦火に包まれ、B29延べ136機の徹底的な波状攻撃の目標となっていった。(豊橋空襲の開始時刻については諸説があり、20日未明が正しいとも云われる。)

 この空襲下、市民はなすすべもなく、焼夷弾が異様な音を発して、身辺すきまなく落下する中で、本能的に生き残る道のみを求め、炎と崩れる家屋の間を右往左往した。空襲時の避難場所は一応校区内の国民学校とされていたが、統制はとれなかった。

 市中には炎の中に、あるいは直撃弾に、痛ましくも焼死する人が続出し、家族を求めて叫び泣く姿は言語に絶する地獄絵巻であった。
(豊橋市役所発行の「豊橋市戦災復興誌」、「戦中の市民生活と戦後豊橋の歩み」、「豊橋市政80年史」による)

<歩兵第18聯隊営門>

<歩兵第18聯隊の出征>

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2.市民生活の状況

 防空演習の様子を「豊橋同盟新聞」は次のように伝えている。

「訓練警戒警報発令」と警防団員が声高に呼んでまわる。「それっ」とモンペ・防空服装に身をかためた婦人たちが水を汲んで待機する。警防団員や郡長は各家庭や街頭を警戒して歩いている。やがて"訓練空襲警報発令"の声に応じて、郡長がメガホンで町内に伝達して歩く。そのうちにドンという爆音とともに煙が上がり、「焼夷弾落下」と連呼すると、手に手にバケツを持った婦人たちが飛び出し、先ず濡れむしろをかぶせ、バケツの水を次々にかける。もし屋根などの場合には、梯子をかけて手送りでバケツを運び水をかける。突然「毒ガス弾落下」と現示班が叫ぶ。すぐさま手拭い・三角巾などを口と鼻に当てて風上に退避していく。
(豊橋市役所発行の「豊橋市戦災復興誌」による)


<写真:市内における防空演習>

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3.空襲等の状況

 豊橋市の市街地を中心として、被害面積128万6,155坪、罹災世帯1万7,019、罹災人口7万1,502人、家屋の全焼または全壊1万6,886戸、全戸数の70%が焼失し、罹災人口は全人口の50%に及んだ。中でも624人の痛ましい戦災死と重軽傷者344人を出した。

 失われた建築物の主なものは、豊橋市役所・豊橋駅・裁判所・検事局・勤労動員署・郵便局など警察署を除くほとんどの官庁、学校16、映画館5、劇場1などが数えられる。焼け残った地区は、中央部においては僅かに八町と関屋町の一部・周辺の花田町・下地町・瓦町・小池町の一部のみで、市街地はほとんど灰と成り果てた。
(豊橋市役所発行の「豊橋市戦災復興誌」による)


<写真:戦災直後の札木周辺>


<戦災地域図>
(豊橋市役所発行の「戦中の市民生活と戦後豊橋の歩み」による)

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4.復興のあゆみ

 戦災直後、混乱が静まってきた8月4日、豊橋市は市街地の清掃を目的とする臨時戦災地整備規定を作り、復興への第一歩を踏み出した。

 そして、「新しい豊橋の建設は過去の単なる復旧ではなく、近代都市としての全ての条件を満たすものでなくてはならない」という考えに基づき、豊橋市を東海道線の東西の二つに分け、西部及び北西部を工業地域に、東部及び南東部の大地を住宅地域に中心部を商業地域にする構想を立て、復興計画を推進していった。

 さらに、昭和21(1946)年、天皇陛下が豊橋に行幸されたのをきっかけに市民の復興意欲はいやが上にも高まり、復興の槌音は市内各所に力強く響いた。
(豊橋市役所発行の「豊橋市戦災復興誌」による)

<写真:天皇行幸>

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5.次世代への継承

「平和を求めて」図書館資料展

図書館において、毎年、ほぼ8月いっぱいをかけて開催。図書館で収蔵する戦争関連資料の展示等を行う。また開催初日には「戦争体験を語る会」と題して、戦争に関する講演会または座談会を開催。
問合せ先:豊橋市中央図書館(0532-46-0719)

子供のための平和展

豊橋市視聴覚教育センターにおいて、戦時中の写真やスケッチを展示する。毎年、8月初旬(4日間)に開催。
問合せ先:豊橋市教育委員会学校教育課(0532-51-2826)

豊橋市戦没者追悼式

豊橋市遺族連合会の主催で、豊橋市公会堂において、毎年5月下旬に開催。
問合せ先:豊橋市福祉保健課(0532-51-2355)

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