所在 | 青森市役所前 |
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住所 | 青森県青森市中央1-22-5(JR青森駅 徒歩20分) |
連絡先 | 青森空襲を記録する会 017-777-6200 |
建立者 | 青森戦災・空襲六〇周年事業実行委員会 |
建立年 | 平成17年7月28日 |
※H22.11発行「平成22年度 全国戦災史実調査報告書」より
(調査時期H22.7〜10月/情報提供元は、青森空襲を記録する会)
空襲・戦災都市 青森
青森市は、第二次世界大戦末期の、一九四五年(昭和二〇年)
七月二八日夜半、米軍B二九爆撃機六二機の空襲を受け、
M七四焼夷弾八三〇〇〇発の投下により、市街地の約九〇パーセン
トを焼失し、一〇一八名もの尊い人命と財産を失いました。
また、同年七月一四・一五日と八月九・一〇日には、米軍
艦載機により、青函連絡船や県内の港湾施設、鉄道、飛行場など
が攻撃を受け、一七三名の人命が失われ、合計一一九一名もの
人々が犠牲になったと報告されていますが、大半の方々の氏名
は、いまだ明らかになっていません。
あの悲惨で残酷な空襲・戦災から六〇年を経て、青森市は、
廃墟から立ち上がった市民の努力により、みごとに復興しまし
た。
しかし、今は、当時の惨状を止めるものはなく、人々の記憶
からも薄れ、知らない世代が増え、風化しようとしています。
空襲・戦災から六〇年目に当たり、犠牲となられた方々の
ご冥福と平和を衷心より祈念し、青森市が戦災都市であることを
歴史に止め、語り継ぐため、焼失した県立病院の跡地(現・市役所)
に、この碑を建立いたしました。
二〇〇五年(平成一七年)七月二八日
六〇年目の空襲・戦災の日に