総務省トップ > 政策 > 一般戦災死没者の追悼 > 追悼施設 > 太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔

太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔

基本情報

所在 手柄山中央公園内
住所 兵庫県姫路市西延末440
(JR姫路駅・山陽電車 山陽姫路駅より 神姫バス「手柄山中央公園」下車すぐ)
連絡先 一般財団法人 太平洋戦全国空爆犠牲者慰霊協会(事務局 姫路市福祉総務課内)
079-221-2303(直通)
建立者 太平洋戦全国戦災都市空爆犠牲者慰霊協会
建立年 昭和31年10月26日

※H23.11発行「平成23年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H23年度/情報提供元は、一般財団法人 太平洋戦全国空爆犠牲者慰霊協会)

施設の写真

太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔

碑文

説明文

※写真提供 姫路市

碑文

【表】

太平洋戦全國戦災都市空爆死歿者の

此のところに眠る




【裏】


太平洋戰爭の惨烈なる兵火は昭和
二十年八月十五日わが日本の無條件
降伏によつて終熄したその後約
七年の間わが國は連合國軍の占領
管理のもとに置かれたが昭和二十
七年四月二十八日サンフランシス
コ平和條約の發効によつて漸く
國家主權を囘復することができたこ
れに伴い政府はこの戰爭の犠牲と
なつて死歿した軍人軍屬に對する
敬弔とその遺族に對する慰藉の方途
は一應これを定めたが身に何等
の防備なくして無慙なる空爆のな
かに敢なく非業の死を遂げた幾多
の無辜の市民については全くこれ
を顧みるところがなかつたここに
おいてあの曠古未曾有の戰災を蒙
り廢墟と化した全國百十三の都市
を糾合して結成された全國戰災都
市連盟は昭和二十二年一月その
結成以來主力を戰災復興に盡して来
たがたゞに形の上の復興のみに
終始する事なく政府の施策にもれた
戰災都市空爆死歿者の慰靈をも併せ
行うべく昭和二十七年五月十七日
福井市における第十囘定期總會
の議に諮り太平洋戰全國戰災都市
空爆死歿者慰靈塔を建立すること
を決議しその設置場所を全國戰災
都市連盟發祥の地でありその本部
の所在地たる姫路市とすることに
満場一致で決定したかくてこの企て
がひとたび世に發表されるや
果然全國民の間に澎湃として共感を
呼びおこし各都市をはじめとして
小學校の兒童中學校および高等學校
の生徒婦人團體のほかあらゆる
階層あらゆる職域から翕然として
多額の浄財が寄せられた從つてこ
の慰靈塔はこれら全國民敬弔哀悼
の至情の結晶であるこれが持つ意義
は太平洋戰爭における不幸なる
空爆犠牲者の靈が暖かい同胞愛に
抱かれて眠る安息の場であり戰爭
の悲惨なる眞相を知らしめる記念塔
であり更に今一つには戰爭とい
うものは生ける者も死せる者もこ
の悲劇に見舞われ國破れて山河あ
りとは雖もかくも荒廢を来しその
復興はかくも難行苦行をもたらす
ものであることを後世に傳え洋の
東西を問わず生きとし生けるもの
強く相携えて戰爭防止への最善を
致すべきであることを訓えるもの
であってこの慰靈塔に詣ずる者の
聲は世界の隅々へまで平和の祈り
の聲として響き傳わることを念じ
て建立されたものである

昭和參拾壹年
全國戦災都市連盟
名譽會長 衆議院議員 大野伴睦
會長 姫路市長 石見元秀
副會長 鹿兒島市長 勝目清
同 富山市長 富川保太郎
同 徳山市長 黒神直久
同 布施市長 鈴木義仲
同 長岡市長 内山由藏
支部長  副支部長

説明文

太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔


この塔は先の大戦で空爆の犠牲となられた方々への慰霊に資するため、全国
からの浄財により1956年(昭和31年)10月26日に建立されました。
 現在は109都市(東京都を含む)が加盟する財団法人 太平洋戦全国空爆
犠牲者慰霊協会が維持管理を行っています。
 中央の塔身部は刀を地中に埋めた形で「もう戦争はしない」ということを
表現しており、側柱には建設にかかわった全国戦災都市連盟(113都市加盟)
の被災記録などが刻まれています。
 竣工以来、毎年10月26日に塔前においてこの浄域に眠る加盟都市50万
9700余柱の犠牲者を追悼する平和祈念式典を挙行しています。

ページトップへ戻る