所在 | 辰巳公園 |
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住所 | 京都府京都市上京区智恵光院下長者町上ル西辰巳町116-3他 (JR・市営地下鉄 二条駅 徒歩20分) |
連絡先 | 磯ア幸典 京都府京都市左京区上高野鷺町3 090-3264-1563 |
建立者 | 磯ア幸典/空爆被災を記録する碑の建立委員会 |
建立年 | 平成17年8月 |
※H23.11発行「平成23年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H23年度/情報提供元は、磯ア幸典 氏)
空爆被災を記録する碑
昭和二十年(一九四五年)六月二十六日昼前、低い雲の上空に
敵機B29の爆音が近づき、突然に轟然たる爆発音とともにすさまじい
土煙が上がった。この時の被爆は上長者町通より南は下立売通、
東は大宮通、西は浄福寺通に至る方四百メートルの地域で、当時の
報告には五十キロ爆弾七発とも五発とも言われた。
報道管制のため、その状況は、多くの市民の知るところとならな
かったが、西陣警察署の記録によると
一、死傷者 | ・ | 即死 四十三人、 重傷 十三人、 |
軽傷 五十三人、 計 百九人。 | ||
二、被害家屋 | ・ | 全壊 七十一戸、 半壊 八十四戸、 |
一部損壊 百三十七戸、 計 二百九十二戸。 | ||
三、罹災者 | ・ | 八百五十人。 |
であった。ちなみにこの辰巳公園も被災地跡にできたものである。
第二次大戦(大東亜戦争)において京都市は非戦災都市と言われ
てきたが、東山区馬町と太秦の三菱工場および当地域が爆撃をうけ
たものであり、当地域が最も大きな犠牲者を出したのである。
ここに戦後六十年を期して、この悲惨な空爆の事実を伝えるため
この碑を建立して後世への記録と留める。
平成十七年八月
空爆被災を記録する碑の建立委員会
空襲当時の上京区出水付近
(地図)