梯梧之塔

基本情報

所在 ひめゆり第一駐車場奥
住所 沖縄県糸満市字米須1150
(糸満バスターミナルより 琉球バス交通「ひめゆりの塔」下車 徒歩すぐ)
連絡先 梯悟同窓会 個人宅のため記載せず
建立者 梯悟同窓会
建立年 昭和23年6月(昭和46年6月23日移設)

※H25.11発行「平成25年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H25年度)

施設の写真

写真1

写真2

碑文

【表】

梯梧之塔

説明文

梯梧の塔説明碑文

 梯梧の塔は、昭和46年6月23日、旧校舎跡より、ゆ
かりの地に移転。母校の校歌「梯梧の花の緋の誠」にちな
んで、「梯梧の塔」として建立された。
昭和20年1月25日より約1月間の看護教育を受け、
3月6日、17名(4年生)は、第62師団野戦病院(石
5325)へ学徒看護隊として、ナゲーラの壕へ配属され
た。
 4月1日、地上戦が始まるや、日を逐うて前線からの負
傷兵が激増、壕の中は、まるで生き地獄、昼夜の別なく看
護は続いた。4月29日学友の中から最初の戦死者が出る。
ナゲーラの壕は満杯で収容できず、9名は第二分院の識名
の壕へ移動した。壕の中で休息中、飛んで来た破片で学友
2名が戦死。戦況の悪化で5月末、武富、米須、伊原へと
後退。米軍は物量にものを言わせて猛攻撃は止むことなく、
伊原の地で6名戦死。病院としての機能を果たす事ができ
ず、6月19日、隊に解散命令が出た。
 無念にも学業半ばにして、戦禍の中で犠牲になった、同
窓生57名と、職員3名、計60柱(旧字)が合祀されている。
 勝利を信じ若くして御霊となった学友の永遠に眠る南部
終焉の地に建立、恒久平和を願いつつご冥福を祈っている。

所在地
糸満市米須1150番地
建立年月日
昭和46年6月23日(移設)
敷地面積
70坪
合祀柱数
60柱
管理者
梯梧同窓会
慰霊奉賛会と永久管理契約済

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