所在 | 平石強 個人宅敷地内 |
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住所 | 佐賀県佐賀市水ケ江6−5−35(JR佐賀駅より 西鉄バス「大崎」下車 徒歩1分) |
連絡先 | 個人であり記載せず |
建立者 | 平石強 |
建立年 | 平成23年8月15日 |
※H25.11発行「平成25年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式」より
(調査時期H25年度)
【表】
昭和二十年八月五日夜 B29空爆焦土
【裏】
太平洋戦争罹災
【右】
かあちゃん たすけて
【左】
平成二十三年八月十五日 平石四郎、トヱ
昭和二十年八月五日夜十一時頃、米軍B29爆撃機約60機が、小型爆弾、焼夷弾を投下、死者61名、焼失戸数443戸で、県内最大の空襲でした。町は火の海となりました。
このままでは忘れ去られてしまうと思い、自宅の敷地に空襲を伝えるために碑を立てました。
妹が9歳、私は14歳の2人を火の海の中を母に抱きかかえられ逃げました。
火の海の中で動けない私は、かあちゃんたすけて、かあちゃんたすけて、と母親に助けをもとめた叫びが忘れられません。碑の一文に、かあちゃんたすけて、と彫り込みました。
母は右足をひどく焼きました。
この町で、大勢の人が心や体に傷を負って生きてきたことを覚えていて下さい。
この町で、空襲があったことを忘れないで下さい。
平石強(建立者)