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空襲犠牲者供養の地蔵

基本情報

所在 小川医院付近
住所 東京都板橋区大山金井町16−8(東武鉄道 大山駅 徒歩8分)
建立者 小川忠雄
建立年 昭和25年
連絡先 個人であり掲載せず

※H26.11発行「平成26年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式 追補版」より
(調査時期H26.6〜11月末)

施設の写真

碑文

なし

由来

空襲犠牲者供養の地蔵

第二次世界大戦中の昭和二十年(一九四五)四
月十三日夜、板橋から志村の地域にかけてアメリ
カ軍による空襲がありました。この空襲は、区内
最大の羅災者約四万五千人を出し、板橋駅、区役
所、養育院など板橋区の中枢を焼け野原にしまし
た。
 この空襲で、当地の防空壕に避難していた、一
人の乳児を含む九人が、爆弾の直撃弾を受け犠牲
になったといわれています。
 戦後、当地を購入し、公衆浴場を開業した小川
忠雄氏が、先の空襲による被害を知り、供養のた
めに建てたのが、このお地蔵さまです。昭和二十
五年(一九五〇)に現在地に建てられました。八
面の胴部分に一体ずつの地蔵が刻まれ、そのうち
の一体が子供を抱いています。
 昭和四十九年(一九七四)には、覆屋(おおい
や)も作られ、現在ではまちの方々によって大切
におまもりされています。
 このお地蔵さまは、板橋区における空襲の事実
を伝え、後世に戦争の悲惨さと平和の尊さを伝え
る史跡として、平成七年度、板橋区の記念物に登
録されました。

平成九年二月 板橋区教育委員会

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