【表】
殉難碑
殉難者
(故人名)
武蔵航空工場被爆殉難者之碑
題字 西山巧記
太平洋戦爭の末 此の地に二萬坪の敷地を整地して広大な工
場が建ち竝び勤労学徒隊を含めて二千余名の者が航空機の生
産に從つて居りました 昭和二十年七月三十日午後一時突如
として米軍艦載機数編隊の襲撃を受け一瞬にして十二人の貴
い生命を喪い二十余人の負傷者を出すという惨事に至りまし
た 越えて八月十五日終戦を迎え爾來星霜十有二年 工場跡
は一望の水田と変り世人の記憶も漸く薄れゆこうとする時
元從業員一同亡き友を偲んで記念碑建立のことを発起しまし
たところ 過去十二年間朝夕にねんごろな供養を續けてこら
れた元社長西山巧記殿の絶大なご協力と県市当局並びに有志
縁故多数の方々の御力添によつてここに成就することを得ま
した 謹んで十二柱英靈の御冥福を祈る次第であります
□岩に降る雨静かなり月見草 淤水
(個人名)
昭和三十二年七月三十日
為十三年忌法要供養建立
劍丸尾武蔵会
【裏】
慰霊
山梨県知事
天野 久
書