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地域力創造に関する有識者会議(第3回)

日時

平成21年3月3日(火) 13時30分〜15時30分

場所

三田共用会議所 大会議室

議事次第

  1. 開会
  2. 議事
    • 地域力の向上に取り組んでいる事例発表
        山形県庄内映画村社長
         宇生 雅明 様
        熊本県福田農場ワイナリー代表取締役
         福田 興次 様
    • 質疑応答
    • 事務局説明
    • 委員間のフリートーキング 等
  3. 閉会

配布資料

資料 ○第3回地域力創造有識者会議 資料PDF
  • 地域力創造に関する首長アンケート結果について
  • 「委員アンケート」地域から連想する地域力とは
  • 委員アンケートを踏まえた地域力要素分解図について
  • 地域力創造データーバンクについて  等

議事録

【月尾座長】  第3回の地域力創造有識者会議を始めさせていただきます。
2回目から実際に地域力を発揮しておられる方々のお話を伺うということで、1回目は北海道の「エフエムもえる」の話を伺いましたが、今日は山形県庄内映画村の社長である宇生雅明様と、熊本県の福田農場ワイナリーの代表取締役の福田興次様にお見えいただき、お話を伺うことにしました。
進め方は、宇生様と福田様からそれぞれ25分ずつお話しいただいて、後でまとめてお二人に質疑をさせていただくという予定でおります。
最初に宇生様からお願いします。ご自身からもご紹介があると思いますが、話題の「おくりびと」の撮影をご担当された会社ということで、お忙しいところ、しかも交通費しか出していない失礼なお願いにもかかわらず、お出でいただきありがとうございます。

【宇生様】  初めまして。庄内映画村の宇生でございます。このたびは急に有名になってしまいまして、日本アカデミーが薄く消えてしまったぐらい、オスカーが日本初ということで、ロスに行っていたときは、みんな大喜びでした。庄内の人たちが喜んでくれるだろうなと思っていたんですが、帰ってみたらもう大騒ぎになっていまして、台風の真っただ中にいるというような感じです。3月15日から次の映画のクランクインが入っているんですけれども、それが手がつかないぐらいの状況でございます。
実はそういうふうになったきっかけというのが、私、藤沢周平さんの「蝉しぐれ」のプロデュースをさせていただいて、まだ「蝉しぐれ」が映画化するかどうかがわからないというときに、そのとき監督の黒土三男さんと知り合いでございまして、その方がインターネットで「蝉しぐれ」をつくるお金を集めようと考えていたんです。どなたかが作られた画面で、5画面ぐらいで「蝉しぐれ」をつくるからこの口座に振り込めというようなホームページをつくられていました。私、本業はもともと、溜池の赤坂電話局内の3階に事務所持っておりますIT企業の社長でございまして、もう26年間やっているんですが、黒土さんが訪ねてきて、「このホームページを何とかしてくれ」というので、それで庄内へ入りまして、これがとんとん拍子で、4カ月ぐらいで映画を撮るような話になりました。それは当時、「たそがれ清兵衛」を山田洋次さんと博報堂でやるという噂が流れておりまして、電通は東宝と組んで「蝉しぐれ」をつくる、そういうような状況の中で、映画化が決定いたしました。いろいろなことがございまして、どうしても私が庄内担当のプロデューサーで「蝉しぐれ」を撮らなきゃいけないという事になり、「わかりました」ということで、「蝉しぐれ」を撮らせていただいた。
「蝉しぐれ」を撮ったときに庄内で初めてオープンセットという、海坂藩の普請組屋敷というのが5棟建ちまして、その5棟を何とか地域のために残したいなと思いまして、それで次の撮影になる「おくりびと」も含めて、4本の作品を庄内側に誘致したというか、協力してもらって、映画会社にも協力してもらって、それを持ってきたというのが今回、「おくりびと」がオスカーをとったという形になったものです。
25分ということなんですが、結局さまざま、まだ庄内映画村というのは、できてからまだ2年、もうすぐ3年、6月で3年になるまだ若い会社でございますが、地域おこしをするための会社ということで、一口50万で全員筆頭株主という考え方を持ちまして、上も下もなく50万ずつだよということで今、102口の株主さんたちによって運営されておりまして、私がとりあえず初代の社長になっているということでございます。
「蝉しぐれ」が終わり、それから次に撮った「ジャンゴ」が、日本の評判は芳しくなかったんですが、イタリアというか世界の評判は非常によくて、ベネチア映画祭でノミネートされた日本の1作品でベネチアへ行かせていただきました。その後に、藤沢周平さんの「山桜」と、この「おくりびと」と、それから「女座頭ICHI」が3本全部重なりまして、ちょっと大変な思いもした次第です。
今は、松ヶ丘というオープンセットから始まったのですが、そこから皆さんの手元の資料にある説明に入りたいと思いますが、実はその「ジャンゴ」を撮ったときに、この石倉という場所がございまして、「ジャンゴ」は西部劇なものですから、どうしても荒野がほしいということを三池崇史監督が言われまして、そこで見つけたのがこの石倉という場所でございます。鶴岡市の駅から約30分から40分くらいで場所にたどり着きますが、この石倉のオープンセットの概要というのが、面積が26万4,000坪、それから比較の資料としては、日光江戸村が15万坪、それからえさし藤原の郷が6万坪、ワープステーション江戸が1万3,000坪、東映太秦映画村が1万1,000坪というところで、大きさだけは今、日本一のオープンセットになっている次第です。
もともとは、ここは砂利の採掘をしている場所で、それが、砂利がとれなくなりまして、ゴルフ場にしようとして、3億円の造成費をかけたところでバブルがはじけて、あと40億かかると言われたのでやめちゃった場所が20数年間ほったらかしになっておりました。ですからある意味では造成をしていただいたおかげで、太い木とか、そういうものが一切なくて、ゴルファーが喜ぶような丘陵ができておりました。映画人にとっては丘陵がたまらなくいいらしくて、そこへまず「ジャンゴ」のオープンセット、それからその後に「女座頭ICHI」のオープンセットという形で2回使わせていただいたんですが、ぺらぺらのオープンセットだったものですから、雪に耐え切れずに、ここは大体3メーターぐらい雪が降るところでございます。それで2棟、大きい建物が倒壊いたしました。東京側と、話をして、「何とかこの土地を買ってください」ということで、この土地を持っている不動産会社に話をいたしまして、破格の金額で東京側に買ってもらいました。それで東京側は本気になりまして、今、ここにあるような水車小屋のある農村6棟と、棚田のある漁村が約30棟、二股辻のある宿場町40棟というのが今、もう建っております。今年、武家屋敷通り、代官所をつくる予定で今、動いております。
2ページ目、これは2006年、まだ「ジャンゴ」の撮影が行われる前の、月山の山ろくにある26万4,000坪で、下のほうから、鶴岡市から上がっていくんですが、この橋の手前2キロぐらいからもう一切人が住んでいません。左側は月山牧場、右側が余目牧場という牧場2つに囲まれた谷地でございます。
次の3ページ目に行きますと、大体こういう形で26万4,000坪、で、「ジャンゴ」と「ICHI」の建物を全部解体して、また中に組み込みまして、農村と宿場町と漁村という形でつくっております。昨年、東京側と話をいたしまして、雪にも耐えられるような、本格的な家を全部つくってくれということで、今、そういうふうになっております。
これが、農村で、昨年12月28日にクランクアップいたしました、「リトル・カントリー」という庄内版フランダースの犬というのを撮影し終わりました。今年の暮れに、皆さんの涙を誘うようなすばらしい物語が完成しておりまして、実はこの脚本が、「おくりびと」を書きました小山薫堂さんの2作目の作品になります。ですから、かなり期待できるものになるかと思います。
宿場町、それから漁村というのはこれから撮るものでございますが、4ページ目に入りますと、石倉のオープンセットのこれは農村の部分です。水車小屋のある建物ということで、この水車小屋も新築でございまして、これは汚しといっても、何十年もそこにあるような雰囲気になっておりますけれども。それから次のページの農村の風景ですが、これは一番手前側が元海坂藩の文四郎のおうちをこちらまで運びまして、再利用しているということです。おふくの家がその横です。で、ここは実は砂防ダムというのがございまして、これはまた何ともいい、もう何十年たった――30年ぐらいたったでしょうか、というダムが、後ろに藤島川というのが流れておりまして、目いっぱい自然が多い場所です。
これの、物語の設定は昭和10年ぐらい、パトラッシュという犬が、フランダースの犬ではパトラッシュですが、チビという名前の秋田犬でございまして、少年とおじいさんがいて、少年は牛乳ではなくて炭を運んでいるという設定で映画を撮らせていただきました。これが雪の中の風景で、ちょうど撮影が終わるころの水車小屋と雪の風景をとったものです。こういうふうに本物の雪が撮れる場所ということで、今、映画撮影の人たちに売り込んでいます。
「おくりびと」を見た方はおわかりのように、やっぱり「おくりびと」の冒頭のシーンで、地吹雪のシーンの中を本木君がクラウンの霊柩車を運転してくる、もしあれが晴天でクラウンを運転したら、多分ムードも何もなかっただろうなと思うんですが、雪というのをいかに盛り込むかというところが、これから我々の課題で勝負だなと思っております。売るほどあります。3メーターもあるので。
次が、これが7月から撮る予定の、時代劇ですけれども、40棟の宿場町。こんなに早く建てているのは、実は自然と一体感を持つために、去年の9月、10月の末ぐらいに完成いたしまして、7月まで約10カ月間ぐらい寝かせて一体感を持たせるというためにもう先に建てたもので、オープンセットの宿場町としては日本でいちばん大きいものです。この「時代劇」は、一流の俳優さんたちがずらりと顔をそろえておりまして、これもまたものすごいものになるだろうなと思います。これ、反対側から、蔵のほうから見たものです。この建物のちょっと美術の特徴は、二股に分かれているんですが、その高低差があるようにつくってあります。
また、雪の風景などもこんな感じになりますと。この中を旅人が――これ、何の飾りもまだつけていないので本物っぽくないんですが、これにのれんとか全部つけますと、もうまさに昔の宿場町に一気に早変わりするという、この雪の中を歩いてきたらどんなにすてきだろうと、にせものではなくて、本物で雪があるということです。
それから、次の棚田のある漁村、山の中の漁村なんですが、神社がちょっと写っております。これは本物の神社だったんですけれども、解体して蔵に寝ていたやつをいただきまして、再度組み立てた本物の神社でございます。
それから、この棚田が見えている、向こう側のずっと家並みがつらつら――すいません、ページ指定を入れなかったものですから、道が続いて向こうに家がいっぱい見えるものですが、向こう側が日本海側というか、鶴岡の庄内平野側になるという形のもので、この棚田、昔の棚田、「よくあったね」なんて皆さん言うんですが、とんでもございませんで、これは全部つくったものでございまして、全部稲も手で植えたものでございます。棚田のちょっとアップの写真がございまして。手植えにしてはちょっと雑になっていますけれども、ほんとうはもっとプロがやったらきれいなものでしょうが、大工さんたちが一生懸命やったものですから、ちょっとこんな感じになっているかもしれない。
で、わらぶき屋根で、この場所――この撮影がもう3月15日からクランクインして始まって5月まで撮り続けるという場所になっています。この稜線のずっと向こう側が、実は海という設定でございまして、海は庄内浜の海岸にまたオープンセットを今、つくっておりまして、そのオープンセットと切りかえながら、本物の海を使いながら、こちらの漁村は山の中にあると。で、お船さんが6隻ぐらいございまして、一番長いのは20メーターぐらいの木造船が納屋の中に入っているというような感じの設定ですね。で、またこれは雪の風景でございます。
実はここまでつくったものをやっぱり映画だけにしておくのはもったいないので、どうやって観光客を入れて、みんなに見せて、映画と観光と、それから地域の物産とか、品物を売るとかということを今、計画しております。これがイメージなんですが、「蔦のアーチをくぐるとそこは別の世界。牛車や馬車が行き交い、せせらぎの音が聞こえる。どこからか昼餉の香り。静かな時の流れ。身も心もとけて行く」というイメージでございますが、今回、私もハリウッドを視察したり、えさし藤原の郷、日光江戸村、ワープステーション江戸、それから太秦、全部見てまいりまして、この石倉というのが、一番の売りがやっぱり大自然の中にあること。で、イベントとかアトラクション中心ではなくて、1日中ゆったりできる大人の空間にしたいなと思って、今、準備を進めているところでございます。
で、いろいろなところに、道の名前をつけたり、バス停を設けたり、直線で2.3キロあるものですから、基本は歩きでいこうと思っていますけれども、おじいちゃんやおばあちゃんは歩けないので、主幹道路はバスを走らせなきゃいけないだろうと。それからあとは、馬車とか牛車をやって、そこに乗ってもらってゆっくり回ってもらうと。ですから、できる限りエコに徹して、エコプラス自然プラス農業プラスの中に映画のセットがあるみたいなことができたら理想だろうなと思っています。
ちょっとメーンゲートのイメージがツタになっていますけれども、実はもう今、違うイメージができておりまして、ここには入っていませんが、ちょっとおもしろい形の趣向のものの門をつくろうということになっています。
それから移動手段のアイデア編なんですが、実はやっぱり庄内というところは広うございまして、エコを専門にやっている開発会社とかがございまして、そこから電気バイクとか、電気1人乗り自動車とかというのがございまして、それを無償提供してくれるというので、それを使わせていただいて車を走らせたりとか、いろいろなことをやろうと。牛車に関しては今、試作品をつくりつつあります。メーン通りはどうしてもバスで移動するしかないのかなと。このバスも電気でのバスがあればいいなと思っていますが、第1フェーズはそこまで行けるかどうかわかりません。
それから次のところに、こんなイメージですね。ほんとうに自然が豊かなところでございますので、お地蔵さんがあったり、バス停があったり、それからほんとうにサンショウウオがいる場所でございます。これでネーチャーガイドみたいな方たちをちゃんと育成いたしまして、自然のいろいろな草花等の説明とか、そういうものをやっていきたいと思います。
先ほど見ていただいた清流アイデア編なんですが、この藤島川まで全部、真ん中までは石倉のオープンセットの領域でございまして、そこで釣りができたり、水遊びができるようなことができないだろうかということで考えたものです。
それからこういうところでございますので、自然の中でおいしいものを食べていただきたいということで、うちは映画のスタッフたちのロケ弁を全部つくっておりまして、何でつくらざるを得なかったかというと、日本映画ってほんとうに低予算なもので、普通の弁当屋さんだと、ほか弁のシャケ弁ぐらいしか買えない金額しかないものですから、それじゃスタッフの体が壊れてしまうと思いまして、今、1つ食堂を持っておりまして、食堂でロケ弁を全部つくっております。そのロケ弁を皆さん食べたいだろうから、来た観光客に食べてもらう。それからご存じの方はあると思いますけれども、コンニャク玉が結構有名でございまして、コンニャク玉をやったりとか、やっぱり一番の売りは、庄内米のおいしいほかほかのご飯じゃないかなと思います。それも自然の中で食べていただこうと思っております。
それからアトラクション小屋をつくり、芝居小屋とか、芝居とか落語とか、地元の芸能のプロを呼んでくるイベントも幾つかあるんでしょうけれども、地元の愛好家の人たちのやる寸劇とか、そういうものもアトラクションに加えていきたいなと思っています。
それから、非常に庄内というのは文化度が高くて、囲碁とか将棋とかが非常に盛んでございます。それから私も知らなかったような和ラン、ランのクラブとか、いろいろなクラブがございまして、その方たちが観光に来る方たちに囲碁を教えたり、将棋を教えたりするようなことができたらいいなと。それから子供たちが多いので、紙芝居を復活させて、江戸時代になぜ自転車なんだという話もあるんですが、まあいいんじゃないかと思っていますが、これをやりたがっている方もいらっしゃるので、庄内の歴史をおもしろおかしく紙芝居でやれたらいいなと思っています。
それから次の、なんか神社みたいなものなんですが、これは実は、すぐそばが出羽三山神社、出羽三山がございまして、月山、湯殿山、羽黒山という修験道の場所でございます。関東までが羽黒山の領域だそうで、夏場はいろいろな講の方たち、修行の講の方たちが山伏の方の体験をしたり、いろいろなことをするので、夏場はものすごい込むんですが、実は冬場はだれも泊まらないので、我々映画村のスタッフとか、撮影班を冬場は泊めたりするんですけれども、どうしても、何ていうんでしょう、大座敷に雑魚寝というスタイルでございまして、そこへ何とかVIPルームみたいな離れをつくれないかというのを、今、宿坊と呼ばれるところにお話をしております。これが成功すると、俳優さんが泊まったり、それからご夫妻がゆっくり羽黒山のVIP別室というか、そういうところに泊まれるようにできたらいいなという、実はアイデアでございます。
それから、次のは参考資料というか、茶屋みたいなのをつくって、それでほんとうにこういう料理で、料亭みたいな、懐石料理を食べたいと言いましたら全部ご用意いたして、それで待合室からかごに乗せて運んできたらというアイデアだけのものでございますけれども、こんなことをやってもおもしろいかなと。
この雪がいっぱいあるのは、先ほども申しました、今年は大型のロータリー車、中型のロータリー車、それから普通の除雪機を二、三台入れまして、3メーターの雪に挑みました。ひたすら雪かきをやりまして、毎週毎週庄内中から20名以上のボランティアの雪かき隊が来まして、その人たちの名前を、愛という字、人を愛するの愛に、にんべんの仁という字に雪と書いて、愛仁雪隊(あいにゆきたい)という隊士名をつけまして、真っ赤なコートをつくりまして、それを皆さんが来て、毎週日曜日はボランティア雪かき隊が出また。雪をかいて、みんなで雪をどうしたらいいのかというところでございますが、最終的にやりたいのは、東京側から電話があって、「雪の撮影をしたいよ」と言ったら、「何センチくらいがご希望ですか」と言ったら、「向こう側に10センチか20センチ」、「はい、わかりました、じゃあいらっしゃるときまでに全部かいておきます」というような形でやりますと、実はロケ隊100名ぐらいが来ますので、真冬に。それで1週間ぐらいの撮影の1カットを撮ると、全部宿泊してくれるし、3食飯を食ってくれるしということで地域おこしになるだろうなということで今回はその練習をしたり、交通会社からもらったバス、まだ動くバスなんですが、その中にだるまストーブを入れまして、上に煙突をつけまして、だるまストーブバスというのをつくってみました。真っ赤に燃えている、だるまストーブの中へ撮影隊が寒くなったら飛び込むということを考えて、これをつくっております。
ということで、そろそろお時間でございますが、最後の締めでございますけれども、実は庄内というのは、これが地図なのですが、上のほうから行きますと、酒田の山居倉庫というところがございまして、これは今でも使っている米蔵。最上川からお米を全部出してきたものをそこに詰めて、千石船、北前船で運んだわけなんですが、その蔵がそのまま残っているところに年間67万人参ります。それから出羽三山神社、これは先ほどお話いたしました山伏の修験道に年間66万人です。で、左側の加茂の水族館というのが、実はオワンクラゲで有名になりまして、17万人から一気に毎年20万人になってしまったというところでございます。ちょうど石倉のオープンセットというのが、ちょうど下のところにある、この連携をとりながら石倉のオープンセットにいろいろな観光客を呼び込んでいこうという計画でございます。
あとは今までの実績と、映画撮影予定ということで書いてございます。
以上でございました。

【月尾座長】  ありがとうございました。続きまして福田様からお願いします。

【福田様】  今、宇生さんのお話で、非常にうらやましい限りでございますが、私、熊本の水俣市から参っております福田と申します。よろしくお願いいたします。
皆さんもご存じのとおり、水俣病ということで公式発見から50年過ぎながらも今なおいろいろな混迷している地域でございまして、やはり急激な発展には必ずひずみが出てくるということを水俣の体験から感じておりまして、そういうことを、しかしすばらしい、1つの地域でございまして、今日、お手元に写真を出していますように、目の前が天草でございまして、天草が一望できる不知火海に面した地域でございます。ここで私ども、農園をやりながら、農業の持ついろいろな可能性を今度はその中に取り入れながら、まさにそういう物心両面豊かになっていけるような、そういうものをみずから実践し行動していこうということで、大きな問題があったからこそ、私はよかったなという思いで、今なおふるさとから逃げずに、次の世代に自信をもって地域の信用を引き継がせるような役割を背負っていこうということで取り組みをしていますので、私は地域の活性化というのは、やはりものづくりと交流じゃないかなと。そのものもなるべく身近にある素材を使いますと、その経済効果ももちろん大きいですし、そしてその魅力づくり――そういう商品を通した信用づくり、ブランドづくり、そしてまたそういう魅力が、生活の魅力が交流人口を生み出していくものではないかなと思っています。交流人口が増えますと、「ああ、いい仕事をしていますね」とか、「いいところに住んでいますね」と言われると心も豊かになるように、そういう物心両面を豊かにするということが大切だという思いで取り組みをしております。
ちょっと次のページへ行きますが、水俣市は鹿児島県の県境でございまして、山と海がすべて自分たちの町の中にすべてが点在していると。だからすべて源流から河口まで、そして海というのが小さな湖みたいなものですから、その中ですべてが完結できるという地の利を持っているというところでございます。
次のページが、2つの温泉がございまして、海のほうに湯の児温泉というのと、山手のほうに湯の鶴温泉というのがございまして、これを今、湯の児のほうがカメにまつわる由来もございますので、ツルとカメの温泉めぐりという企画をいろいろ立てたりもしておるところでございます。
次のページが、そういう水俣の体験から、今、市民の意識も高うございまして、今、ごみの22の分別、そして月曜日から木曜日の間では、毎週どこかで、市内で約300カ所の中でずっと月曜から木曜の間、ごみの分別が行われていると。そしてまた環境学習という形で高校生、中学生の方々が主においでになっていまして、みずからそういう体験などもしていただけるようなこともしております。
次のページでございます。中では、今、水俣市では環境マイスター制度とか、そしてごみの減量の会議とか、あとは水俣のほうの市役所も全国で6番目だったと思うんですが、ISOの取得をなさいました。今、現在はもう民間指定に切りかわっております。今は学校でのISO版とか、幼稚園、保育園のISOというのが今、この仕組みが全国に広がっていると聞いております。それから水俣の中のエコタウン事業ということで、九州では北九州、大牟田、水俣というのがエコタウンに指定されておりまして、そういう中でいろいろな環境に関する企業が進出し、実際に事業を行っております。
次のページ、行かせていただきます。今まではちょっと水俣のことに対するご説明でありまして、私は常に思考の3原則ということで、歴史観、多面的、本質的、そういうものから物事を見ることが大事だということを心がけております。
水俣は徳富蘇峰・蘆花が生まれたところであるんですが、徳富蘇峰はもう昭和の初めに工業が発展――産業革命の例を挙げまして、イギリスのマンチェスターとか、その例を挙げまして、急激な発展には必ずひずみがくると。だから用心しなさいということをいち早く忠告していますし、水俣はまた婦人会というのが日本で初めて始まったところでありまして、そういう中にも蘇峰は、経済的なものだけを追い求めずに、精神的、心霊的なものとの調和が大事だということをふるさとあてに手紙を託しております。
そして弟の徳富蘆花というのはまた、小説の一節に、短所とは常に裏から見たら長所であるという言葉も残しております。そういう観点に基づいて我々は水俣の中で、昔からこういう暮らしということの先人の知恵をおかりしながら、そしてまた今の現代であり、未来につないでいこうということを考えております。
後のことはちょっと観光の言葉の、言葉遊びで表現しているところでございます。
次をご案内いたします。バレンシア館ということで建物がございますが、私どもは決して入園料をとっている施設ではございません。自分たちの暮らしをいかに魅力にするかというのに、スペインというテーマを引いているんですが、これは決してスペインの物まねというよりも、地域のことを一生懸命考えていたらスペインになったというところでございます。
といいますのが、ものづくりという、私たち、個性というものづくりをする上で、ちょうど北海道の十勝ワインが有名になったころでしたので、ものづくりで人が集まってくると。地域のイメージも変わるということを目のあたりにしながら、我々はミカンの産地でしたので、サングリアをつくろうということで、スペインとの出会いがありました。同じバレンシア地方というオレンジの産地であるということ、そして料理がパエリアという料理がありまして、これがオレンジの木をたき物にしてつくり始めた料理でありまして、その中に海の幸、お米、タマネギ、そしてサフランを使うんですが、水俣がタマネギのまた産地でございます。そしてまたサフランの産地でもある。すべて地域のものでパエリアというのができるということもその中の1つでございます。
そして水俣の公害の場所が埋め立てられまして、新しい再生の年というのが1992年でございました。そのときはバルセロナのオリンピックの年でもございましたし、世界環境会議がブラジルで開催された年でもございました。そういうことが地域におけるチャンスだという思いで、不知火海を地中海に見立て、バレンシアオレンジをアマナツに置きかえて、そしてリアス式海岸のきれいな沿岸ですので、このリアスというのはスペインの地名から来た言葉でもございますので、そういうことを地域の資源を守っていこうということで、そのような取り組みを始めてまいりました。
建物は全部古電柱とか、まくら木とか、1回役割を終えたものに新たな息吹を与えるということで、極力新建材を使わずに、地域にある資源をすべてそのようなテーマ性を引いてつくり出してきたということで、いつオープンということではなくて、もうつくりまして20年ちょっと――21年ほどたつんですが、少しずつ毎年加わってきているという過程でございます。
そして、次のスペイン館というのは、奥のほうが工場になっておりまして、そこでジュースからワインから、そういうものをつくっておりまして、約十何――そうですね、ジュース、ジャム、ドレッシング、それからいろいろ、種類から言いますとミカンからいろいろ取り組みをやっておりますが、約200近くの商品構成ができております。パンなどもそこで製造したりもしております。
ワインにつきましてはメルシャンのほうと一緒にさせていただいて、その辺のルートで販売もしていただいたり、また私どもの株主にもなっていただいております。ここで試飲、試食ができるようになっております。下のれんがの広場は、溶鉱炉の後の耐火れんがを活用させていただいたりもしております。
そして次、セビリア館というのがございますが、ここは中は地ビールの製造もしていまして、ここではアサヒビールさんのほうと連携してやらせていただいておりまして、アサヒビールさんもうちの株主になっていただいております。この建物も全部古電柱でつくっていまして、テーブルなどは、ミシンの足とか――ミシンとか、昔の足踏みミシンとか、大きなテーブルはボウリング場のレーンをテーブルにしたりとかということで、すべてそういうものを活用している。真ん中に柱がありますが、こういうのはかわらの割れを、スペインがわらの割れを巻いて柱にしておりまして、柱を邪魔と思うか、魅力にするかということでございますので、それをいかに、柱を魅力にするかという考え方であります。
これは悩める貝のみ真珠は宿るという言葉があるんですが、悩みを持った貝には、アコヤガイには核が入ります。核があるから、痛いから出そうと思っても、出せなければそれを抱き込んでいくんですね。それが光り輝く真珠に変わっていくと。これはまさに今、水俣がその大きな核を囲い込みながら、今、みんなでそれを磨き上げていこうという、囲い込んでいこうというのが、私は今の水俣の現状であろうと思っています。まさに私は世界に光を発する地域になれることと確信しております。
次のページをお願いします。突然ここに、白いカメというので、何だろうかとお思いだと思いますが、これは奈良時代に宝亀元年という年号がありまして、これは水俣の地方から白いカメを天皇に献上したと。それによって日本の年号が宝亀元年というのに変わったという史実がございまして、そういうものに基づいて、カメにまつわる地名、由来が数多くございまして、そして隣の出水市というところがツルの飛来地ということもございまして、そういうことから、私が個人的にカメを集め始めて、そういうコレクションなどもつくっております。
1つだけ地域に伝わるものをちょっとお伝えいたしますが、ウサギとカメの物語は皆さんご存じだと思うんですが、実はこれは第4話まであるということで、第1話はウサギが昼寝をしたからカメが勝ったというのは皆さん、ご存じのとおりでございまして、第2話は、今度はウサギが昼寝をしませんでしたので、能力のあるウサギが勝ったというのが第2話でございます。第3話は、カメがゴールを設定したんですね。自分の目指すゴールを。そのときは川の向こうがゴールでした。だから川縁まではウサギは早いんですが、今度はウサギは川を渡れませんので、カメが勝ったというのが第3話。第4話が、今度は競争から協力になりまして、陸の上を走るときはウサギの背中にカメを乗せて、川を渡るときはカメの背中にウサギを乗せて、そしてお互いよかったねと。それによってみんなを幸せにしましたというのがウサギとカメの物語。これはまさに今、農商工連携と同じようなことだろうと思います。それぞれ得意技をもって、それをどう結びつけ、融合し合ってみんなを幸せにしていくかというのが、今、非常に求められていることじゃないかということで、あえてここに書かせていただいております。
次、ちょっと、今度はミカンのことについてお話ししますが、限りある時間ですので、簡単にちょっとまいりますが、私は常に与えられた、足もとにあるミカンの産地でございまして、特にアマナツミカンの日本一の産地ということもありまして、全部ミカンになったつもりで商品づくりをやっております。
やってきた過程はちょっと別としてお話し申し上げますが、ミカンには花が咲きます。非常に可憐な白い花ですが、香りが豊かで。水俣はまたお茶の産地でありまして、緑茶と紅茶のほうもつくっておりますが、そういう中でお茶と、緑茶がちょうど栽培され――新茶が出るころにミカンの花が咲きます。そういうものと組み合わせることによって、今、非常に香りの豊かなお茶ができます。生の花を入れてもいいし、乾燥したものを入れることで今、花花茶という形でその辺の商品にもなっております。それとか、紅茶になりますと、紅茶に今度はミカンのオイルを加えますと、紅茶で有名なアールグレイという紅茶になります。イギリスではこれをベルガモットというかんきつのオイルを加えるんですが、そのかわりにミカンのオイルを加えますと、アマナツアールグレイという、これはお茶組合と私どもとやって、そして福祉施設でそれをブレンドしてもらって、商品化してもらったりもしております。
そしてそこからサングリアというワインが生まれ――それから、そうですね、ミカンになったつもりで話すと、それからハチみつがとれますから、そのハチみつを、アマナツからのハチみつを今度はビールの中に加えまして、アマナツのハチみつを入れたビールということで、うちではケセラセラという名前で出しているんですが、そういうこともやっています。これは決して異業種じゃないという思いですね。
それから、アオミカンについてはちょっと後でまたお話ししますが、ミカンの皮を、今、皮を主役にしておりまして、中身を副産物と。安全な皮づくりというものに努めていまして、皮をペーストにしたりカットしたりすることによって、いろいろな形の中に、お菓子の中からいろいろなものに使われております。
そして、今度はミカンから出るオイルからハンドクリームとか、ボディーソープとか、そういうものをつくっておりまして、これは地元、チッソのほうと、チッソがヒアルロン酸とかコラーゲンの製造をしていますので、そういうことと融合させてそういう商品づくりもやっています。ちなみにチッソさんの子会社も、私どもの会社にも資本参加をいただいてもおります。
そして、流通面については熊本の鶴屋デパートさんもご担当いただいて、そういうところもうちの株主になっていただいているというところで、いろいろな方々のお力添えの中で、お互いに得意とするべきものの中でものづくりを行っているというところです。
次のページに行きます。これは、今度は農商工連携というので、全国88選というのにも選ばれておったんですが、これは今までの経過ということで選ばれました。そして今度、新しく申請をしましたのが、アオミカン、摘果ミカンを利用した商品の開発ということでやっておりまして、そういう中でアオミカンがよく、育毛効果があるということを多少今、育毛剤のメーカーなどが宣伝していますから、ヘスペリジンという成分が多くあって、血行をよくするという、そういうのが多少知られてまいりましたので、そういうアオミカンを入れたシャンプー、リンスを使っていこう。で、また熊本は馬油などが盛んに商品化としてありますので、そういうものを活用しようということです。
それからポン酢とかドレッシングをつくっていこうと。熊本でいいますと、デコポンというのが有名でございまして、デコポンというのは登録商標されていますので、なかなか名前を、特にアオミカンについては使えないんですが、ちょっとそこで考えたのは、ポンというのは、愛媛県ではポンジュースと言いますね。あれはポルトガル語でポンというのが果汁ということで来ているそうですね。そしてまた、ポン酢というのは、オランダ語でポンスということで、青の、ライムの酸っぱい果汁のことをポンスというということで、それからポン酢というのが生まれてきたと。決して日本古来のものではないわけですね。そういうことからということで言われています。今、しょうゆさんのポン酢というイメージが強うございますから、果汁を中心とし、また農園とか、そういうことを通して、それからのポン酢にしていこうということで、名称も私は今、デコというのと早摘みデコ、それからグリーンデコという登録商標を出していまして、それとポン酢と組み合わせますと、デコポン酢になるわけですね。字を組み合わせますと。そういうことでちょっとネーミングをそういうことで考えた商品づくりということで考えています。ドレッシングであればもう、やっぱりグリーンですから、グリーンの色を出した商品をつくろうと今、思っています。
ちなみにカボスといいますと、皆さん、グリーンと思っているんですが、熟れたら黄色くなるんですよ。普通のミカンと一緒です。ただ、グリーンが主役であるというだけの話で、そのままならせていたら、黄色く大きなミカンになります。でもそれはほとんど売られていませんので、カボスというとグリーンだと思っているだけの話です。だからどこが主役であるかというのは、これはわからないわけでありますから、今は逆に常識を裏から見るぐらいの発想、それが必要だろうと。今までの常識はほんとうに常識だったかという、だからそういう面でいろいろな角度からそういうふうに、私はだからミカンになったつもりでいろいろな取り組みをしようということで、ミカンの種もまたいろいろな成分が多く含まれていますから、昔はユズの種などは化粧水などに使われておりました。そういうものをまたいろいろな形で、昔こうしていたよというのは大体間違いがございません。そこにどう使い勝手をよくしたり、品質を安定化するかということさえできれば、そこから新しいものは生まれてくるんじゃないかなということで、先人の人たちのお知恵をおかりしながら、それを現代風に置きかえていくということを商品開発の場合は常に心がけております。
まさに私は地域づくりもそういうことではないかなと。決して前だけを見ることなく、先人の人たちが、どうしたら一番その地域にとって暮らしやすいのか、それは皆さんお考えであったわけですから、その辺をちょっと現代風にアレンジしていくということによってそういうすばらしい暮らしが表現できるんじゃないかなと思っています。
次のページにまいります。これは先ほど言いましたが、思考の三原則ということで、歴史観、多面的、本質的ということで常に考えていまして、これは地域の、エゴというのは濁点をとるとエコになりますし、そして環境が観光になっていくと。そしてそういう中で水俣の体験をどう生かしていくかと。そして我々の地域というのは、また阿蘇は出っ張っていると思えばいいんですね。不知火海は引っ込んでいると思えばいいわけでして、そういう面で不知火海に流れ出すところの水系を1つのエリアにして、環境圏というとらえ方で、行政圏じゃなくて環境圏というとらえ方で地域を見てみようということで取り組みを考えています。
そこで、ちょっとレンコンプロジェクトについてはその後でお話ししますので、次のページをめくっていただきたいと思います。不知火海に面している我々の地域というのは、非常に鹿児島県まで一部またがりますが、3分の1が鹿児島県、3分の2が熊本県でありまして、でも、海に線引きが地図上ではあるんですが、住んでいる魚が熊本県、鹿児島県という魚はおりません。我々人間もまさに同じことだと思いますので、やはりそれも自然の形態での環境圏という考え方で地域を見てみようと。
その中で豊かな森を守るということで、今、我々の地域でも、ほか全国的かと思うんですが、山を、木を伐採しても植林までしていないところが多いんですよ。それが土砂崩れの原因になったり、海を汚したりということになってまいります。これを植林までしていこうということで考えておりまして、今、伐採したら、一番いいのは住宅用に木材を使うことが一番いいわけでございまして、その次に、これは新栄合板と書いていますが、水俣にベニヤをつくる会社がございまして、これは九州でも1カ所しかございません。ほとんど、もう8割ぐらいが今、間伐材からベニヤをつくっております。外材は今、ベイマツが一部入っていますが、それはもう2割ぐらいしか今はございません。そういうことで、間伐材から合板をつくっている。そして、今度は十条製紙というのが八代にございまして、そういう削った後のしんとか、木のくずを今度は紙にするということで、十条製紙という隣の町の八代市のほうでそれが使われているというところであります。
でもそれだけでは、やはり植林までまいりません。ですからそこに、間に今、グリーンで囲ってあります、赤の字で書いていますが、これから香りをとろうということで、スギ、ヒノキの香り、これは今、エステーさんのほうとちょっと今、一緒にやっていまして、これを今後設置して、テストプランをつくろうということで話が進んでいます。スギは非常にいやし効果があると。ヒノキは活力を生み出すとも言われています。八代市というところはまたイグサの全国のもう七、八割の生産をしているところでございます。それは畳表のまた香りというのは、集中力が出るとも言われています。そういうものの香りをどうつくっていくか。そしてミカンからの香り、そういうことでこれを商品化をしていこうということで今、研究、開発が進められております。近々実行していこうということで話し合っているところであります。
それから、バイオエタノールを水俣から。今、水俣市が環境モデル都市として、全国で6カ所の中の1つとして水俣市が選定されております。そこでバイオエタノールなどの生産をしたり、私は環境学習なんかでおいでになる子供さんたちにも、そういう車で水俣をご案内するというのが、私の1つの夢でございまして、そしてミカンの搾りかすから、非常に糖度が高いものがありますので、そういうものからエタノールにすると。これはもう実際エタノールになる――やっておりましたので、出水市に日本アルコール、NEDOの工場がございまして、ミカンからのエタノールを以前とっておりました。そういうことを水俣ほうからやっていこうということを考えていますし、あと、木材とか竹、そういうものをセルロースにして、食品残渣も含めて、最初のところでは機械が一緒でございますので、途中までがセルロースにするのは、竹とか木のほうをやります。そして食品残渣とかというのは、また途中で一緒になりまして、それからバイオエタノールを抽出するということを、今、協議会を立ち上げて、いろいろな企業が参画をして、その実現に向かって取り組みをしようとしております。
そういうことから、今度は植林までする費用を捻出して、そしてすべて山を切ったと。後は植林をしていくと。まさに循環型のそういう仕組みづくりをやっていければと。やっぱり経済的なものが結びついてこないと、これはもう持続可能にならないと思っています。そういう持続可能な環境保全型の事業を水俣の体験を生かしてつくり出せればなと思っております。
それからちょっと、最後のですが、レンコンプロジェクトと書いております。このヒントになったのは、アメリカのほうでクランベリーというのがございまして、クランベリーというのはツル状のやつですが、熟れたときだけに真ん中に空洞ができるという特質がございまして、収穫のときに水を畑に引き込むように最初から造成してあるんですね。そしてそこに収穫のときだけ水を引き込みまして、そしてそこにツルを揺さぶりますと、熟れた実だけが上に浮くんですよ。で、青い実は下に沈むわけです。これが自動選別になるんですね、水の上で。そして今度は真っ赤にじゅうたんを敷いたみたいに湖みたいになるわけですね。それを見にお客さんがおいでになる。そしてまた、いろいろな情報誌が世界に情報を発信するわけですね。
しかし観光のためにやっているんじゃないですね。もう自分たちの省力化のための生活風景がまさに観光客を呼び込んでいくという、そういう風景を、そういう話を聞いて、私ども、クランベリーの商品も扱ったりしているんですが、そういうことから、これを熊本の中にちょっと置きかえてみようということで、熊本は皆さんご存じのように、からしレンコンというものがございます。そういう面で、で、鹿児島はよく芋づる方式で、みんなが連携してやっているということをよく言われます。熊本は、特質はいっぱいあるんですが、ちょっとばらばらしている面があるということも言われておりまして、これを今、レンコンヅルで地域を活性化しようということで、水を張ることに――まず、産業としては農業をやるというので、レンコンということをもう持続可能ということは産業にするということですから、農家としてのちゃんとした所得になるようなことの活性化を図るということ。そして、それはもうばらばらしていたら力になりませんから、ある程度広い土地をそこで確保して取り組むということ。そして水を張ることによって熊本の五十何万の人口は、阿蘇の伏流水でみんな生活をしているんですね。水を飲んでいるんです。でもそれを、あまり知られていないというのが実情です。だからこれは、多分世界一だろうと言われているんですが、阿蘇の伏流水の水であるということ。まあ日本一であるということは間違いありません。
それから、それもどんどん地下水が減っていると。だから今、企業が畑を借りて水を張ったりもしておりますが、これは持続可能ではないと思います。そして、今度はやっぱり朝、今日はNHKの方もおいでですが、朝、NHKあたりで、ハスの花が咲いているときに、バックに熊本城もしくは阿蘇などが背越しに放映されるイメージが出るような場所を最初から選定してそういう場所を選定したらどうかと。それは情報発信になります。
そしてハスの花は朝、花が咲くときにじわっと咲かずにぱっと開くんですね。だから音がすると言われています、ハスの花が咲くときに。音を聞こうとすると泊まらないといかんわけですね。泊まりますと、波及効果が地域において非常に大きくなります。そして、あとは物語ですね。ちゃんと物語を伝えていくという意味で、今、熊本は築城400年。本丸御殿というのができまして、今、お城においでになるお客様が今、日本一になりました。首里城を抜きまして、今、熊本城が日本一であるということです。そういうタイミングが、時代の背景があるということですね。
そして、今度は、これは加藤清正が堀にレンコンを飢えさせて兵糧攻めに遭ったときの、栄養分の高いレンコンというものを導入したと言われています。そして、細川忠利公が病弱で、そのときに、熊本に森からし蓮根というのがあるんですが、その先代の平五郎さんという方が料理長をなさっていまして、それをからしレンコンにしてお出ししたと。そうしたら、非常に美味だということで、そしてレンコンを輪切りしますと、九曜の紋ということで、細川さんの家紋によく似ているんですね。そういうこともありまして、これは門外不出にしようということで、明治維新まで庶民が食べられなかったんですね。それからやっと庶民が食べられるようになったというのがからしレンコンの文化でございます。そういうことを踏まえて、そしてそれを産業化するということですね。
これは、大分県の大山町では梅で、梅干しの全国大会を4年に1回開催しているんですが、そうすると、有名な審査員と商品を用意しまして、そしてそれでレシピを出させるんですね。そうするとそのレシピが地域に残っておばあちゃんたちの梅干しづくりのレベルが上がるわけですね。そういうことによって、「あそこの梅干しはうまい」というブランドが生まれてくるという、全国の知恵をおかりするということでは、そんな感じでレンコンというものを加工品なり料理などを、そういうことでつとめたらどうかと。で、ハスの花からのお茶ができたりとか、ハスの実が加工品になったりとかしていますし、お正月には遠くを見通すということで、大体祝い事としてお正月にはレンコンというものを料理の中に出されております。
最後に、教育という意味では、熊本の大学生などはレンコン掘り体験をして卒業すると。1回泥んこになって、そして体を洗って、社会に対する出発という意味の地域らしい教育のあり方をしますと、熊本のイメージといいますか、よき思い出となって教育にもつながっていくんじゃないかな。そういうのを単位交換してやるぐらいの気持ちでやると、学生もスポーツ感覚で取り組むんじゃないかなということで、農商工というだけの問題じゃなくて、観光だったり、教育だったり、そういう面で情報だったりで、いろいろな形でいろいろな分野が連携し、力を合わせていくということ。みんなで力を合わせたら、最後のページになりますが、地域の特性を磨き、みんなで力を合わせると、レンコンづるで地域力が高まってくるということだろうと思います。
そういうことで、もたれ合ったらだめですので、個性をしっかり磨き合って、そしてお互い連携していくということが大切であろうかと思いますので、そんな形で、我々も水俣の体験を生かして、ぜひこれからの真の豊かな地域というものをつくり出していきたいと思っているところでございます。
これで終わらせていただきます。ありがとうございます。

【月尾座長】  ありがとうございました。
それではお二人にご質問させていただければと思いますが、皮切りに私から質問させていただきます。
全国で映画の撮影の場所に選んでもらおうということで、フィルムロケーションオフィスなどが各地につくられていますが、私が知っている範囲では、庄内映画村がもっとも成功しているし、最後の説明にもありましたように、大変に多くの映画の撮影が行われています。この成功の理由はどうお考えになっておられますか。

【宇生様】  「蝉しぐれ」をやったきっかけだと思うんですが、もともと映画をつくるときというのは、制作プロダクションというのがございまして、それは東宝とか松竹さんとはちょっと違う、要は何ていうんでしょう、プロダクションサイドというのは、まず企画を立てて、「おくりびと」もそうだったんですが、企画を立てて、それをやる、やらないというのを皆さんに企画書を回すわけですね。で、実は「おくりびと」の場合は、最初は別の配給会社が乗っておりました。ところが本木君と聞いた瞬間におりました。なぜおりたかといいますと、今までというか、本木さんの映画がそんなに当たっていなくて、要は絶対に当たる映画を撮りたいということで主役が別の方だったら受けてもいいよという話でした。で、松竹さんが受けたというような形で、要するに制作プロダクションと非常に、自分で言うのも変なんですけれども、人間関係というか、それがきっちりできてきたということだと思うんです。
通常、フィルムコミッションとかは、ワンカットとかワンシーンを撮影するためにその場所に行ったりするのですが、うちの場合はほぼ庄内で撮り切る勢いでやりますので、大体1つの映画が来ますと45日から50日ぐらいは確実に、80名から120名のスタッフたちが宿泊するというロングランでやっています。基本的には、何ていったらいいんでしょうね、何でそんなに来るかといいますと、多分皆さんお友達というか、庄内映画村があるということで、あらゆる意味で、周りでどこかで撮るよりは、経済的にというかリーズナブルに、先ほどのお昼のお弁当もそうですけれども、宿泊費に関してもほかの地域で撮ればその金額はできないだろうというぐらい、地元の方たちが協力をしていただいているというところだと思います。制作プロダクションが「山形に行くよ」「庄内に行くよ」と、「どこで撮ってもいい映画だったら、庄内へ持っていくよ」と今、言われておりますので、これだけ映画が実は撮れているということで、その制作会社の方たち、スタッフの方たちもみんな庄内米と長芋とか、みんな食べ物のすごいファンでございまして、うちからいっぱい野菜を送ったり、お米を送ったりしています。

【堂垣委員】  すごく今、庄内映画村のほうが活性化しているということはわかったんですけれども、地元への経済効果というものについて、ちょっと教えていただけますか。今、現段階でどれくらいの。

【宇生様】  経済産業省さんが、東北における、何だっけな、すごく長い名前で、どれくらいの映画が波及効果があったのかというのを出したのが、昨年の3月にございまして、そのときに「蝉しぐれ」がどのくらい現場で使ったかというのが、1億8,000万ぐらいなんですけれども、要は直接費と間接費ってあると思うんですが、それでいろいろ計算していきますと、「蝉しぐれ」、それから「ジャンゴ」、「おくりびと」、「山桜」、「ICHI」までで、全部でこの間計算してみたら、34億ぐらいの経済効果、プラス「ジャンゴ」のときには、とか、皆さん、俳優さんたち、結構飲み助もいますので、その飲んだ人たちの費用が全くわからないんですが−。

【月尾座長】  地元での雇用はどのくらいですか。

【宇生様】  雇用、雇用。はい。映画村のほうで。これから多分、今までは大体十四、五名なんですけれども、多分この石倉のオープンセットを今、7月にオープンしようと思って必死になっていろいろやっていますから、そうなると多分30名から40名ぐらいの雇用は生まれるというのと、あとは実際に映画が大好きで、映画の事務所というか、制作に雇われていく人たちも地元でぽろぽろ5名とか10名とか出始めました。制作、それからあとは照明、あとはカメラですね。ということで、もともと東京で勉強していた、で、庄内へ戻ってきた子が、来た映画にくっついてそのまままた東京へ戻ったりとか、地元で撮ったりとかということも起こっています。

【飯盛委員】  貴重なお話をありがとうございました。
私も庄内――鶴岡、1週間、大学院の非常勤で滞在しますので、映画村さんのほうによくお伺いをしておりまして、今日、改めてすばらしい取り組みだと感銘をいたしました。
先ほどの話からちょっとかかわるんですが、やはりこの庄内映画村、つまりよそには絶対にまずできないだろうというような、庄内映画村さんの強み、土地の強みというんでしょうか、その地域、まさに地域力かもしれませんけれども、それを宇生社長がお考えになっていることと、これにかかわる話ですけれども、先ほどから質問が出ているんですが、おそらく地域の方々のいろいろなソフト的な部分というんでしょうか、このホスピタリティーとか、そういうものはどうやって生まれてきて、例えば今、お弁当も格安でできているというお話がありましたけれども、そういう地域全体を巻き込んでいくポイントみたいなものがあれば教えていただければと思います。

【宇生様】  よく聞かれたりとか、いろいろな周りのというか、何ていったらいいんでしょうか、九州の観光課の方が来られたりとか、いろいろな質問をして、やっぱり映画を誘致して映画村みたいなものをつくりたい。どうやってやったらつくれるのかというご質問をよくいただくんですけれども、稀有な状況というのは、まず1つは、「たそがれ清兵衛」から始まった藤沢周平さんのふるさとであるということがまず1つあります。実はその藤沢周平さんのファンというのは、全国にものすごいいらっしゃるわけですが、その方たちが、藤沢周平さんの映画を撮った場所というのを、まず皆さんが見に来るということと、それから何と今、庄内は、大体30万ちょっとの人間なんですが、ある映画館のシネコンというのは、1カ所しかないんですね。イオングループのイオンシネマ三川というところに1カ所あるんですが、何とそこの年間の入場者数が38万人なんですね。これの比率というのは、人口が30万ちょっとのところで年間に映画を見る人が38万人いるという、皆さんに会われると、庄内というか、映画村さんが来たから、何かえらく映画を見るようになったと、洋画より邦画を見るようになったということを、それはもう現地でしょっちゅう撮っているわけで、それにエキストラの登録が今、1,000名ぐらいいるんですが、その1,000名の方たち、やっぱり自分が出たら絶対映画を見ますので、ということと、ですから、相乗効果という。
ただ、藤沢周平さんがいらっしゃらなくて、どこかへ行って映画を1本撮って、それが会社ができる要因にはちょっとならないだろうなという。ですから「たそがれ清兵衛」、「鬼の爪」、「武士の一分」、その間に僕が担当した「蝉しぐれ」があるんですが、その後に「山桜」、で、今、もうあと、これから2本撮りますけれども、やっぱり地域の作家の作品が常に撮られているという状況が起こっているので、その辺のこともあるのかなと。もし藤沢周平さんがいらっしゃらなかったら多分映画村ができなかったと思いますけれども、そういうところがポイントかと思います。

【小田切委員】  既に話に出ていることなんですが、地域の方々の協力というのが、大変特徴的だなとお聞きしていたんですが、先ほどの、例えば愛人の愛の、愛仁雪隊ですか、これにしても、おそらく地域サイドに一種のオーガナイザーといいましょうか、仲介者がいて初めてできることだと思うんですね。それで、それを多分つかまれているところが社長の1つのポイントだと思いますが、そのオーガナイザーたるものは、どういう方でしょうか。

【宇生様】  一番のもとになっている、背骨になっているのが、酒井家、庄内藩酒井家18代目の酒井忠久さん、致道博物館の館長さんでいらっしゃいますが、私は殿様と呼んでおります。18代目の殿様でございます。綿々と酒井家というのは直江兼続が押さえた後に入ってきて、それからずっと庄内を治めてきた子孫というか、今でも皆さんに殿様と呼ばれる方。非常に公明正大で、民のことしか考えないと、18代目になってもすごいなと思います、それは。その方が映画村を目いっぱい応援してくれている。
それに付随して、庄内というのはやはりほかの地域に比べるとものすごく豊かな地域だと思うんです。全部でたしか、記憶がちょっと違っているかもしれないんですけれども、庄内でとれる農産物は30万人に対して、1人当たり3.7人の人間を食わせているそうです。ですから、それがある以上は、庄内の人たちというのは、多分餓死もしないし、飢え死にもしないだろうなという、自給自足率がものすごく高い上に庄内浜から海のものがとれると。こういう場に育った人たちというのは、おのれがという、自分がというよりは、公のためにという言葉に動いてくれる方たちが多いんですね。
僕は今、実際は八ヶ岳というところに住んでおりますが、その地で何かやるのが非常に難しいのは、例えば何かのイベントをやろうとしたときに、「それをやったらおれたちの明日が食えるのか」というところから始まります。ですから、「全員協力して、地域をこういうふうにしようや」と、「3年後にこうしようよ」と言うと、必ず何%かの方が「おれたちの明日はどうしてくれるんだ」って、「会費を返せ」みたいな話が出てきます。 庄内では公の人が非常に多くて、「こういうことをやりたい」と言うと、もう進んでやってくれる。ですから映画のエキストラもそうですけれども、無料奉仕で、うちはTシャツ1枚しかあげません。たまにちょっと豊かな映画が来まして、「エキストラに多少お金を払えるよ」と言うんですけれども、それは「やめてください」と言っています。なぜかといいますと、一たんお金をもらっちゃいましたら、次もお金がもらえると思うじゃないですか。そうしたらほんとうに良い映画なんだけれども、予算がない映画は撮れなくなります。ですから、映画会社にも「3回エキストラに出たら3回、3枚のTシャツが入るだけです」ということでも、それだけの人たちが集まるぐらい、皆さん非常に豊かな方たちで、協力してくれる方たちがいらっしゃるところだからかなと思います。

【月尾座長】  ありがとうございました。
まだお聞きになりたいことがあるかと思いますが、時間の関係で、今度は福田社長のほうに、質問がございましたらお願いします。
先ほども話が出ておりましたが、水俣病は前の福島知事のときに終結宣言が一応出されましたけれども、やはりまだ地域にはいろいろな影響が及んでいるのでしょうか。

【福田様】  ええ、一応そういう終結というとらえ方ではあったんですが、まだ裁判のほうが1つだけ残っておりまして、それが行政責任とか、そういうところが今、問われておりまして、それがまだ、今度、全面解決に向かって今、取り組もうということで、今、それがちょうど半ばではないか――半ばといいますか、年度中になるべく結論――年度まではわかりませんが、今の衆議院の選挙までの間には、それを解決しようということにはなっておりますが、どうなっていくかわかりませんが、いずれにしても、私は、何かいつまでもそれが尾を引いていて、新しい展開がなかなか発信できないというのが実情でございまして。
これは1つのアイデアとして思っているのは、私はタイミングとネーミングは非常に大事だと思っておるんですが、そういう中で、どこかで終結宣言ができる中で、今、水俣の駅が、新幹線が部分開業でございまして、あと2年後に全線開通になります。そういうタイミングもありますし、水俣病の、私は完全終結が一番タイミングだと思うんですが、そのときに、ちょっと私のアメリカの知り合いの人が私どもを訪ねてきたときに、水俣ということでちょっと心配してきたと。ところが駅が、新水俣駅というところであったので、なんかほっとしたという話からなりまして。アメリカじゃ、ニューヨーク、ニュージャージー、ニューデリー、ニューメキシコとあるように、ニューだと。だったら、もうこの水俣病を乗り越えた水俣として、新水俣市として生まれ変わっていくということを、ネーミングだけじゃなくて、今度はやっぱりここに、例えば2年ぐらいの――1年なり2年の最低そういう期間を置いて、そのときに一人一人が何ができるかというのを、やっぱり地域を回りながら、みんなでそういうことを、あと何日ということを掲げながら、そのときに一緒になって町の名前も変わって、みんなが新しく生まれ変わった町にしていくということが私は大事じゃないかなと思っていまして、そういうことがいつなのかと、どこがタイミングなのかというのを今、模索しているところでもございます。

【小田切委員】  すみません。連続して発言になりまして。福田社長がおやりになっていることを客観的に見ると、地域農業の企画、あるいは技術開発普及、それでさらに商品を集めて加工して販売するという、言ってみれば農協機能、JAの機能ですよね。その点で農商工連携の1つの隠れたポイントは、農協との関係というのがポイントになると思うんですが、実態を見てみると、何か農協とバッティングしている事例はあまり多くなくて、全然無関係か、意外と協力関係を持っているかどちらかなんですが、福田社長の場合はどちらになるんでしょうか。あるいはバッティングしているような状況でしょうか。

【福田様】  これは常に連携しながらやっているところでありまして、地元のJAさんのほうとは、原料の供給だったり、ある面では違う商品をお互いに委託をお願いしてつくっていただいたり、そしてまた県のほうの果実連という団体があるんですが、そこのものもうちのほうで委託を受けて、そして瓶詰はうちのほうがやって、それを向こうにまた供給すると。委託先としてもうちを活用させていただいたり、そういう面では連携しながらやっているところでもございます。

【月尾座長】  福田社長は観光カリスマにも任命されておられて、いろいろな機会に広報活動をしておられると思いますが、失礼ながら、これまで、このような立派な施設があって、いろいろな活動をしておられるということを知りませんでしたし、サングリアの製品が熊本から出ているということも知りませんでした。自分が知らないということを棚に上げて質問するのは失礼ですが、現在、全国に広めるための広報活動はどのような戦略でやっておられるのでしょうか。

【福田様】  それが一番難しいところでありまして、いろいろな、何でもそうですが、製品ではいけないんですね。やっぱりそれをどう商品にするかということでございまして、やはりそこには――私も、ものづくりだけであれば、決して水俣でする必要はないんですよ。だから私はイメージによって人とものは動くわけですね。だからイメージが悪ければ、じゃあ人もものも動かないのかというのじゃいけないわけです。だから、今度はものづくりを通して人を動かし、イメージを変えればいい。人を動かし、ものを動かしてイメージを変える。だから切り口はあるんだと。だから、どういう切り口から、最終的に地域の信用というものをどうしたら取り戻せるかということですね。いい物があってもそれを商品化しなきゃだめだという、そういうことを水俣の体験から感じています。
しかしどうしてもまだ、水俣といいますと暗い情報しか流れてこない。なかなか明るい情報というのが出てこないというのが、またある面じゃ実情ですね。やはりそういうところを、我々はもう自分のふるさとから逃げないという思いでやっていますし、やっぱり我々も学生時代、自分のふるさとを語れないつらい思いというのがありましたから、子供たちにそういう思いをさせちゃいかんという、それが大きなばねとなって、どちらかと言うと、経済効率だけを考えたら、こういうことはやっておれんだろうということをやっているわけでございまして、そこら辺はいろいろな企業の、関連のあるところにご協力もいただいたりしているんですが、なかなかその辺がまだ終わりそうで終わらない中で、地域全体が今、衰退をしてきているというのも実情でございます。これをどうにかしていこうということで、あえて私もそういう水俣の実情をお伝えするために、あえて出てお伺いしてお話しさせていただいているというところでもございます。
それとやはり、私は、地域はみんなで……、片親だけで変わろうと思っても変わるものじゃないと思うんですよ。もうオセロゲームと一緒ですね。端と端が変われば真ん中が変わります。自分が変われば周辺が変わってきます。それが点々と広がると、面として変わっていくんです。だからそれしかないと。だから私は人にスポットを当てて、この人がいるからこういうことを支援していこうということが、成功するためには大事じゃないかなと思いますね。広く、ただ浅くしても効果はなかなか出てこないと思います。

【飯盛委員】  何度もすいません。慶應大学の飯盛でございます。
私も九州出身ですが、福田農場さんを存じ上げていたんけれども、今、まさに社長がおっしゃった、この地域活性化ということと、経済性の両立というんですか、これはもう絶対にやっていかないといけないことで、これはもう、例えば非営利組織だろうが、一般企業だろうが、この両立というのはこれから絶対大事なことだと思うんですけれども、ところがやっぱり企業になってしまいますと、やっぱりどっちかというと地域のためによりは、経済性の効率を優先させた上で、例えば雇用を確保するとか、そういうふうになりがちなところを、福田社長のところは今、まさに地域のことを前提にして、例えば水俣から逃げないと、ほんとうはもっと効率を考えれば、もっと別のやり方もあるかもしれないけれども、水俣の資源を使う。子供たちの教育にも目を配る。いろいろなアイデアを出す。こういう両立をするための秘訣とかポイントとか何か、これからこうすればいいんじゃないかとか、そういう思いなどがあればお聞かせください。

【福田様】  私もまさに、今、おっしゃいますように、持続可能ということはやっぱり経済的にも結びつけなきゃいけませんし、信用で人とものは動いていますから、だからそういう面で私もいろいろな企業に、いろいろな、ご一緒に何か研究開発をするにしても、また、ある面では私どもの株主になっていただく上でも、仕事のつながりがあり、そしてその信用をおかりしていくという。だから私はお金を貸して、資本参加してくださいというよりも、信用をかしてほしいと。そしてともにお互いが持っているものを生かし合って、何かそこに、経済的なものを生み出していくことを常に訴えながら、そういう信用をおかりしながらやってきているというのが実情でございまして。
なかなか経済性というものでどこまでお貸しできるかということはあまりないんですが、そういう面では信用をおかりしながら、そういう取り組みをさせていただいていることには改めて感謝しているんですが、そういう、やっぱり地域の信用となると、意外と――会社の信用とか、個人の信用は生活に密着していますから、これはだれでも大事だと思っています。ただ、地域の信用となると、これはだれかがするものだと、つい思ってしまったり、これは行政がするべきものだとかついつい思ってしまう。でもこれは一人一人集まって地域であるということですね。だから住民意識をいかに高めていくかというのが、やはり何事も、その地域住民の意識以上の町にはならないということも、改めて感じたりしております。

【月尾座長】  ありがとうございました。
時間もまいりましたので、これで終わらせていただきます。お二人とも、お忙しい上、非常に遠いところをお出でいただきましてありがとうございました。 (宇生様・福田様退席)

【月尾座長】  次の議題に進ませていだただきますが、お手元の第3回地域力創造有識者会議資料について地域政策課長からご説明いただいてから、自由に議論させていただきたいと想います。

【地域政策課長】  それでは、お手元の資料を簡単にご説明させていただきます。
まず、地域力創造に関する首長アンケートの結果、前回概略をご説明申し上げましたが、その詳細版でございます。詳しくは後ほどごらんいただくということで、ざっとご説明を申し上げます。
2ページに問IからVIIまでございまして、問II以外の部分について、規模別に整理してございます。
3ページをごらんいただきたいと思います。まず必要とされる地域力とは何かということで、都道府県、政令市、中核市、特例市、中核市30万以上、特例市20万以上、その他の市、町村という形で整理させていただいております。分析といたしまして、どの規模の団体におきましても、コミュニティー力、地域リーダー力、住民力、地域経営力、経済産業力をとらえるという傾向がございました。また、大きな都道府県、政令市におきましては、経済産業力を挙げている割合が他団体と比べて高いというようになってございます。それから政令市、中核市、特例市、その他の市におきましては、コミュニティー力と挙げておりますのが、市部のほうで高くなってございまして、逆に町村部では低いと。町村部ではリーダー力、住民力というものが比較的高い割合となっているところでございます。
4ページは、次のページでございますが、力を入れている取り組みは何かということについての答えでございまして、都道府県におきましては、農林水産業、企業誘致等の産業系を挙げている割合が高くなってございます。それから、政令市、中核市、特例市におきましては、他の規模の団体と比べまして、コミュニティー力、また地域防災力・防犯力等に力を入れているという傾向が見られるところでございます。また、規模が小さくなりますほど、やはり農林水産業、人口定住というところに力を入れているという傾向が見られたところでございます。それから町村部ではまだNPOというところまでたどり着いていないのか、その比重は比較的小さいような傾向が見られました。
5ページでございますが、それでは今、取り組みが不十分で今後さらに力を入れていかなければいけないと考えていることは何かというところでございますが、政令市、中核市、特例市では企業誘致、観光振興、それから地域情報の発信などの地域ブランドの強化等を挙げているところでございます。それから規模が小さくなりますほど人口定住、町村で言いますと、2つ目のこの赤っぽい色のところですが、11.0のところですが、これが規模が小さくなるほど大きくなっていると。また公務員力も町村の左から5つ目の5.8%のところでございますが、これもそう割合的には大きくございませんが、規模が小さくなるほど必要性を感じているというところが見られたところでございます。
それから6ページで、これらの対策を進める上で、必要性を痛感しているという事項は何かというものにつきまして、やはり補助金・交付税、財源関係、権限関係の割合が高くなっておりますけれども、政令市では権限移譲、それから地域に対する愛着・誇りの涵養というのが他団体と比べて高くなってございまして、逆にその他の市町村レベルでは、住民のやる気、協力・連帯意識の向上、地域リーダーの養成というものが高くなっているところでございます。
7ページが、自由記載のところで、地域力創造に関して期待することということで、総務省に対しましては、情報提供の関係では、成功例・失敗例というものの情報を与えてほしい。また、職員の研修、情報交換の場としての横断的なネットワークをつくってほしい。また、長期的な人材の派遣等にも支援してもらいたい。それから、やはりトータルな情報提供という意見が出されたところでございます。
その他の意見といたしましては、自治会や地縁団体等への支援対策が充実。それから、都市部の地域力についても検討すべきではないかと。また、先ほどもございましたが、長期に二、三年ぐらいの規模で、地域派遣指導できるような支援体制を創設すべき。また、地域コミュニティーの維持・強化に向けた取り組みを支援してほしい等の意見が出されたところでございます。
8ページが、その他の省庁、総務省以外のものでございますが、さまざまな政策領域を総合的にとらえる視点と一体的な政策展開ということで、縦割りではなくて、そういう一体的な支援が必要ではないかという意見が見られるところでございます。さらに環境、食糧の問題を地域活力、企業活動に生かすような施策を横断的に実施してもらいたい等々の意見が見られたところでございます。
次、9ページでございますが、これはお忙しいところを皆さんにご協力いただきまして、地域力についての要素分析ということで、まず地域から連想する地域力とは何かということで、いろいろ地域を指定いたしまして書いていただいたところでございます。
こちらのほうで人的要素、経済的要素、自然的要素、社会的要素という形で整理させていただいておりますが、東京ではやはり人、人材が豊富だと。人口集積が企業集積、さらに経済力につながっている。また、情報発信の中心だと。人、もの、金、交流が世界中からある等々の地域力、そういうことが地域力のもとだというようなことを挙げていただいたところでございます。
また、沖縄につきましては助け合いによる生活、他の地域と全く異なるバックグラウンドがある。南国というイメージ、同族意識の強さ等々を挙げていただいたところでございます。
10ページ、さらに松江でございますが、中小の都市ということで、松江でございますが、地域資源を発見し展開していく、そういう自主性がこの地域にはあると。また、昔ながらのものがそのままの形で残されている、新鮮で安価な食材、豊かな自然、城下町文化等が残っている、それから歴史と伝統文化、地域社会の結びつきや同族意識の強さがあるという意見を出していただいたところでございます。
4番目に、その他、地域力を有すると思われる地域という形でこれらの地域を挙げていただいたところでございまして、ごらんいただければと思います。
これらをもとに、11ページで、私どものほうで挙げていただいたものを人的要素、社会的要素、経済的要素、自然的要素という形でできるだけこういう形で取り上げて整理させていただきました。
まず、人の要素ではリーダー力。公務員力。これは住民と行政の橋渡し。研究力、大学等の連携。それから若者力。問題(魅力)を発見する力、課題を抽出する力。活動力、よそ者などを受け入れる受容力。それから地縁組織、NPOなどの住民力。情報力。この住民力、情報力は社会的要素にもかかわってくるということで、二股になってございますが、社会的要素といたしましては、そのほか教育力、伝統文化力、つながり力、安心・安全力。経済的要素といたしましては、産業力、消費力(購買力)、基盤力、交通基盤、産業基盤。それらを支える行政としての財政力というものもあるだろうという形で挙げさせていただいております。それから自然的な要素では環境力、天然資源力、地域資源力というものがあるのではないかと。
これらの要素をいかに地域力に結びつけていくかということで、12ページでございますが、まず地域を見つめるということで、地域の魅力の発見、あるいは課題を抽出すると。まず気づきからスタートするであろうということで、地域を見つめ、課題を抽出して、それをいかに行動に結びつけていくかという動機づけが必要であろうということで、そこには明確な将来ビジョン、参加意識を高める、地域への愛情が前提になるでしょうし、また活動を展開するためには、収入というものも不可欠でございますし、それらの活動を支える場というものも必要だろうと。これらが相まって、対策が動いていくと。これら、各場面で、下にございますように、人材力、人的な要素というものが加わっていくということで、地域力の向上のための取り組みが行われて、それがフィードバックしていくということではないかなという形で、一応整理させていただいておりまして、またこの辺についてもご意見をいただければと思います。
それから、13ページが、人材、事例のデータバンクをつくるべきだというお話がございまして、それで今、現在作業中のものでございますけれども、人材及び事例に関する情報を相互にリンクさせつつ、ワンストップで提供するということで、総務省のホームページから人材のデータバンクと、地域力創造事例集ということで活性化センター、私どもの関係する財団でございますが、地域活性化センターのホームページへ飛びまして、ここに地域力創造人材データベースというものと、地域力創造事例集という形で、ここからさまざまな人材で、事例のデータが与えられるようにするというようなことで、今、作業を行っているところでございます。
14ページに、データのリストということで、人材のデータ、事例のデータを挙げてございます。これは、私どもの総務省で把握している事例、あるいは総務省の関係団体で把握している事例ということで、今、当面この総務省関係ということで整理を行っているところでございまして、3月下旬を目途に整備をしたいと。その後、随時関係団体等からのデータをアップデートしていくということで考えているところでございます。
なお、他省庁分につきましては、現在内閣府の地域活性化統合事務局で人材の関係の作業を行っておりますし、また事例集などもありますし、他省庁独自で持っているものもございまして、その辺をよく調べさせていただきまして、状況を把握させていただいて、さらに検討していきたいと考えております。
15ページでございますが、これは現在私どもで、前回のこの会議の際に、現在検討中の施策という形でご紹介申し上げたんですけれども、それのその後の進捗状況につきまして、ご報告を申し上げます。
地域力創造プランと、鳩山プランという形で、自然との共生を核としてということで、現在この施策の細部の詰めを行っているところでございます。理念といたしましては、自然との共生を基本として、人も自然界の一員という姿勢のもと、豊かな自然環境を大事にしながら活力ある地域社会を形成していくということで、さまざまな主体が連携して地域力を高めるための取り組みを展開していくということで、柱は3つでございまして、1つは定住自立圏構想の推進と。中心市の都市機能と周辺市町村の環境、歴史、文化などで相互に役割分担いたしまして、定住の受け皿を整備していくということで、これにつきましては現在、先行的に取り組んでいただく24市、22圏域との意見交換を踏まえまして、要綱、支援策を取りまとめたところでございます。また、この先行実施団体におきましては、来年度、21年度中に協定を締結していただきまして、これを踏まえまして全国展開を図っていきたいと考えているところでございます。
2つ目が、地域連携による自然との共生の推進でございまして、都市住民を地域おこし協力隊という形で長期に派遣する取り組み、1年から3年程度の長期派遣。それから短期で、流域の自治体間の協定で、森林保全等のボランティア活動を促進する。また、自治体が行います企業あるいは自治体間でのカーボンオフセット協定を通じましての低炭素化の実現。また、低炭素社会に向けての自治体独自の太陽光発電、エコ改修等の取り組みに対する財政的な支援を行っていきたいと考えているところでございます。
3番目の柱が、過疎地域等の条件不利地域の自立・活性化の支援でございます。
以下はちょっと時間もございませんので、飛ばさせていただきますが、16、17ページが定住自立圏、16、17、18、19と続きます。それから20ページが、先ほどの1年から3年の派遣であります地域おこし協力隊の資料、21ページが集落対策ということで、過疎、集落支援員という取り組みについて紹介した資料でございますが、時間の関係上、詳細な説明は省かせていただきます。
最後に22ページでございますが、今後のこの会議の進め方としてのご提案でございますけれども、第4回、4月下旬に一応、これまでの議論を踏まえまして、中間的なとりまとめといいますか、こういう議論が出たという形での、一応とりまとめをさせていただきまして、それから今後、第5回目、6回目と、今までもご議論がございましたように、各府省の取り組みを聞いていくということでございますので、それらにつきまして、どういう項目を聞いていくか等々の議論も第4回目にしていただければと考えてございます。6回目、7回目と各産業分野について、各府省のヒアリング、またその分野での活動の方からのヒアリング等々を踏まえまして、地域力向上のための施策について検討を進めていくという形で来年度、21年度は進めさせていただきたいと考えているところでございます。
以上で説明を終わります。

【月尾座長】  ありがとうございました。
この資料をもとに、また『舞たうん』には椎川審議官が地域力は資源力と人間力だという論文を書いておられますので、これらも参考にしながら地域力についてご自由にご議論いただきたいと思います。
この後、来年度の最初に中間まとめができてくるので、こういう内容を盛り込んでほしいというようなご意見もいただければと思います。

【杉沢委員】  人的な要素というのが、地域力の一番トップに挙げてあるということは、私も非常にいいところに目をつけてこの要素分解図をつくったと思うんですけれども、やっぱりこれからもう少し高齢者の力、老人力みたいなものにもっと頼ってもいいのではないかと思って、それが抜けているような気がしました。先ほどの事例発表の福田社長さんの話の中でも、先人の知恵とか、これまでこうしてきたというようなものをやっぱりもう一度見直す必要があるというようなお話がありましたので、ますます高齢化するに対応して、その力をほうっておく手はないと。寝たきり老人にしないで、出たきり老人を増やそうというような合言葉で私たちも今、取り組んでいるところなんですけれども、そのあたりをもう少し盛り込んでほしいなという気がいたします。

【月尾座長】  若者力はあるけれども老人力はない。

【地域力創造審議官】  女性力もないですね。

【月尾座長】  女性力を表に出すと差別と言われかねないので難しいのですが、ご検討いただければと思います。

【江尻委員】  今日のお話でも、とても強く思いましたのは、観光という1つのテーマが地域力の大事な要素になっているということではないかなと思いました。前回のお話、FM局のお話の場合には、地域の中の人たちがどのようにして連携しながら力をつけていくかというようなお話が中心だったと思うんですけれども、今日の場合はどちらかといいますと、外に対して自分たちの力を発信していく、それから外から人やものが入ってくることによって地域力をつけていくという、その1つの切り口が観光というところになるのかなと伺っていました。
そんな中で、今日しみじみと思いましたのと、この分解図を見て思いましたのが、活動力・受容力の中に、主体性と「よそ者」などとあるんですが、実はこのよそ者というのが、今後の地域力、その地域での地域力をつくっていくために、とても大きな役割を果たしていくんじゃないかと思うんです。定住をしたりとか、先祖代々住んでいる人は、もうその土地に住んでいこうと思って住んでいるわけなんですけれども、例えば学生であるとか、それから仕事の関係でその土地にたまたま住まざるを得なくなっていた人とか、いろいろなことでその土地にどうしても行かなくてはいけないようになってしまった人が、実はその土地のファンになって、定住をしていって、盛り上げていくという役割というのが大きくなってくるのではないかなと思いまして、ですからそういう意味で、よそ者、第三者と言ったらいいんでしょうか、参入者と言ったらいいのかわかりませんが、その辺のところに少し目をまた向けていくということも必要かなと思いました。
以上です。

【月尾座長】  ありがとうございました。
確かに長年その地域におられると非常にいいものがあるけれども、なかなか気がつかないという場合があって、外から来た人がすばらしいと言って発展したものがたくさんあります。北海道の霧多布湿原なども外から来た人が努力して、トラストができました。ぜひ今のご意見も反映していただければと思います。

【西村委員】  私も同じようなことを感じました。特に今日のお二人の発言は、わりあい新しいものをクリエーティブにつくっていくというところもあったと思うんですね。そういうものが地域の人をわくわくさせたり、夢を持ったり、それが1つの連帯感につながっているという意味で、そういう新しいものをクリエートしていくような、そういう創造的なものをうまく応援するとかいう部分。
それからもう1つ、今の観光と言われましたけれども、交流といいますか、中の内部的な交流もそうした――必要だと思うんですね。ですから交流の力というか、その両方が、創造的な力はいずれにしても交流につながってくると思うんですけれども、創造の力とか、交流の力というのがどこかに入るといいなと思いました。
特に15ページのところですが、地域力創造プランというのがあって、ここの副題が「自然との『共生』を核にして」と書いてあるんですけれども、これも非常に重大なところですけれども、やっぱりそれだけではないんじゃないかなという、幾つかのキーワードを入れてもいいんじゃないかなという印象を持ちました。
以上です。

【堂垣委員】  さっき説明を省かれたんですけれども、私、集落支援員というこの制度というのは、1月にちょっとNHKの「クローズアップ現代」という番組でも取り上げたんですけれども、非常に可能性があるんではないかと期待しているのですが、この集落支援委員と、まず質問なんですが、この地域おこし協力隊というのと、集落支援員というのの関係は、どういう感じなんですか。これは同じ扱いなんですか。

【地域自立応援課長】  じゃあちょっとそれにつきまして補足します。今の地域おこし協力隊は、今、考えていますのは、都会のほうから農山漁村に人を送り込みたいと。移住と言いますけれども、1年以上3年未満ぐらいは行っておいてもらいたいと。そこで農林水産漁業自体を助けたりとか、それから地域おこし活動自体をやるとかいうことをもくろんでいるんですね。集落支援員のほうは、都会から行くということは必ずしも別に必要ありませんし、それで見守り活動として集落を定期的に点検していただくということに従事していただくということなので、重なる部分もかなりあるんですけれども、ちょっとコンセプト的には、人の流れとかいうのをつくっていきたいというのが地域おこし協力隊のほうで、見守りのほうをしっかりやりたいというのが集落支援員だと思います。
補足があれば。

【過疎対策室長】  集落支援員は、この資料の21ページにもありますが、地元の地域の実情に詳しい人材が基本です。ただやはり、その視点だけでは限界があります。場合によっては、外部の視点、特に若者の視点を入れるというように、そういうノウハウを持った若者が集落支援員になっていくことも考えられると思います。基本的には、都会から若者が入って、水源地・森林整備などの地域協力活動を手伝ってもらうのが地域おこし協力隊で、地域の課題について、ある程度経験、ノウハウを持った人材が集落支援員ということになるかと思います。

【堂垣委員】  ともかく、今、よそ者の話が少し出たんですけれども、実際に高齢者が多いところに若者が何人かある程度の期間いるというだけで地域というのはほんとうに変わってくるという実例はたくさんありますし、私もそういう例は見ておりますので、非常にこの方向性としては、ほんとうに方向性というのは、地域力を高めるためには意味があると思うんですね。
それで、今、地域おこし協力隊のほうは、人の流れをつくるということだったんですが、まさにこの地域力創造の、この会議ができた状況と今現在と、社会状況が随分変わっていますよね。例えば派遣切りの話も含めて、今、都会――今のこのチャンスというのは、もしかするともう一回都会から地方のほうに人を戻せるというか、その機会、チャンスだとほんとうに思っているので、これはほんとうに国のほうも含めて思い切ってそういった施策をとっていただいて、もう一回地域に人を戻すということをぜひやっていただきたいなと思っております。

【名和田委員】  「余計なことを言うな」と言われそうかなと思いながら、今のご意見にちょっと関係があるんですけれども、一言で言うと、大都市のことを忘れないでほしいということなんですが、私が午前中、ちょっとおくれてまいったのは午前中の会議が長引いたためで、横浜市の地域まちづくり条例の委員会で、多くは都市計画、建築関係の委員の方々なんですけれども、みんなもう地域福祉のことも含めて議論しているんですね。要するに、横浜だけじゃありません、大都市、やっぱり非常に疲弊しておりますし、非常に大きな転換期にあると思います。
一例というか、中心的な問題を挙げれば、今まで、特に横浜は市民活動が盛んで、ボランティア活動が盛んだと言われてきたんですけれども、その中心にいる多くの人たちがもうそれは持続可能でないと感じていますし、政策当局もそういう客観的な分析を出しております。横浜市の活発な市民活動になってきたのは、やはり主婦層ですよね。ところがその主婦という存在が今、かなり劇的に減っているんですね。もはや横浜市で統計をとると、M字型雇用というのはMの字をなしておりません。ですから持続可能じゃない。だから何か転換しないともたないんですね。
そのポイントはやっぱり、多くの人が言っているように、今日まさしく事例発表もありましたような、こういうコミュニティービジネス的な方向、やっぱりちゃんと所得を生み出しながら地域づくりが行われていくということがポイントだと思います。その意識が、農村はもうかなりあるんですね。どんな人に伺っても、それはもう生活が成り立たなかったら地域もくそもないということはもう、農村に行けば行くほどよくわかっていただいて、説明する必要がない。ところがまだまだ大都市では、いやいや、やるならボランティアなのよというような意識で、実際にそれで若い人が参入できますかということなんですね。
そういう大きな問題を今、大都市は抱えており、かつ今、格差の拡大でますます、いわゆる生活困難層と言われる人たちが増えています。ですから、何となく今日のご説明を聞いても目が、どっちかというと自然との共生とか、やや地方の小さな市町村に向いている感じがするんですけれども、大都市の問題もぜひお忘れなく。
じゃあ具体的に何なんだと言われると、それはいろいろありますということしかないんですけれども、大都市に住んでいる困難を抱えている人たちのことを常にイメージの端っこに持っておいていただきたいなと思う次第です。
以上です。

【小西委員】  じゃあ私は手短に。
この地域力創造データバンクの、これは具体的な取り組みとして、これが非常に重要だというのは、私もそう思うんですけれども、裏面のデータリストを見ますと、何かとりあえずという感じがするんですね。コンセプトがあまりなくて、とりあえずこんな感じから行きましょうということなので、大体こういうのって、これで終わってしまったら困るよなという感じがするわけで、この地域力創造データバンクがとても大事な分だけ、どんなコンセプトを立てて、どんなふうにこのデータバンクの中身をよくしていくかというところに、非常に私は関心があります。今のところ、どんなお考えでしょうかという。お答えは特に今日でなくても結構です。

【月尾座長】  中間まとめの中に、そのようなことを反映していただければと思います。

【小田切委員】  11ページの地域力の要素分解図にかかわってなんですが、多分こういう書き方とは別に、地域力というのは2つの側面があって、これはもう先ほど江尻委員、あるいは西村委員から出た話なんですが、何ていうんでしょうか、持続的にあるいは連続的な再生産力という側面と、不連続でジャンプするような革新力というそういう側面があると思うんですね。それで、おそらくこの2つの側面が状況に応じて、どちらが大きくなるのかという、そういう動きをしているのが地域だと思っておりまして、その点で、再生産という側面、革新という側面をうまく入れ込んでおくような、そういう仕事にしておけば、この図がかなり動態的なものといいましょうか、あるいは現場で使えるものになっていくんだろうと思います。
それで、どこをどういうふうに改善したらいいのかというのは、ちょっと思いつかない話でありますが、いずれにしても2つの側面があるということだけは、どこかでテークノートしていただきたいと思います。

【飯盛委員】  先ほどのお二人のお話を伺いしても、やっぱりこの地域力の要素分解図、私もこのとおりでまとめてくださったと思うんですが、私は専門の経営学の観点からまちづくりを見ているんですけれども、経営学の観点からいきますと、経営資源という考え方があって、これは人、もの、金、情報ですね。情報というのはブランドとかも入りますけれども。そうすると、その中で何が大事かという話になってくるとやっぱりどうしても人、つまりいろいろな資源を動かして、その資源というのは目に見えるものと見えないものがあると思います。見えるものはといえば、自然とか、景観とか、ここに書いてあるとおり、まさに天然資源力かもしれませけれども、あとまた、いろいろ地域における専門の知識を持った方々もたくさんいらっしゃるわけで、こういう方々を意味づけして、何かの方向性に持っていくという人、リーダーというものは、もう1つ別の次元に、書き方は2次元ですから、もうどうしようもないんですけれども、あるのかなと。つまり今日、お二人の話をお伺いしても、こういう方、このお二人自身が地域資源だし、地域力だし、こういう方々が地域の資源をうまく生かして展開されているという、こういう人がやっぱり大事なんだなということを痛感しました。私が大学人だからそういうふうに、教育とか人づくりのほうに目が行きがちなんですが、やはり今日の話を聞いてもそう思いました。
もう1つは、このデータリストの中の参考として事例集で、今、総務省さん中心にお書きになっていますけれども、日経さんが「日経地域情報化の現場から」と特集で事例集をずらっと出していらっしゃって、これも地域づくりの事例として重なる部分がたくさんあると思うんですけれども、例えば「からり」とか、「いろどり」とかあると思うんですが、これもいろいろもしかしたら参考になるかもしれないというコメントでございます。
以上です。

【月尾座長】   最後に私のほうから意見を言わせていただきます。
まず地域力創造データバンクは迅速に準備していただき、一部は動き出したということで結構なことだと思います。それから鳩山プランについては、大臣の名前で出るので、我々が意見を言う立場にはないのですが、定住自立圏をお考えいただくときに、大臣は環境新党を立ち上げようというほど自然環境にご関心があるので自然との共生は重要ですが、文化が類似している地域をまとめることも重要だと思います。英語でバイオリージョン、日本語では生命圏域と訳されている概念があり、同じような自然環境と同時に、文化も共通している地域を一体として自立するべきだという考え方です。自然を表に出すということは大臣のご意向を反映して結構ですが、同じような文化を持っているところも一体となるということをご検討いただければと思います。流域圏は自然が共通していますが、流域圏だけではなく、文化が共通している地域も一体として自立していくということが大事だと思います。鳩山プランの手直しが可能なら、そのような修正もしていただいたらどうかと思います。
瀧野事務次官にわざわざお見えいただいておりますので、最後に一言お願いします。

【総務事務次官】  いつも先生方には地域力の発展につきましてご発言いただきまして、ほんとうにありがとうございます。
我々もこういう問題、常にその時代、時代で悩まなければいけない問題だと思っています。特に今回、地域力創造ということで取り組みをいたしましたら、その後、経済的に厳しい状況になりまして、当初、我々は地域おこし隊というものにそれほど関心が集まるというイメージでもなかったんですけれども、マスコミからは、この点についてものすごく関心が集まって、それは今、現在の派遣切りとかそういうような雇用問題を反映しているんだと思います。
そういう意味では、こういう、常にいつの時代でも取り組まなきゃいけない問題ですけれども、その時々の時代を反映した考え方というものが当然必要なんだろうと思っていますので、ぜひ今日のお二方から興味深いお話を聞かせていただきましたけれども、先生方からまたいろいろお知恵を拝借して、今の時代に合ったこの地域力の考え方というものを我々も行政の中に生かしていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

【月尾座長】  ありがとうございました。
今後について地域政策課長からお願いします。

【地域政策課長】  先ほども申し上げましたように、第4回目は4月下旬というのを一応のめどといたしまして、また皆様のご都合をお聞きさせていただきまして、日程調整をさせていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
以上です。

【月尾座長】  ありがとうございました。これで終わらせていただきます。

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地域力創造に関する有識者会議
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