メッセージ(稲嶺 惠一様)

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稲嶺 惠一 様

株式会社りゅうせき 参与

復帰五十周年にあたって

 折角の復帰五十周年という喜ばしい年にも拘わらず、目を転ずると、地球温暖化、コロナ禍、ロシアのウクライナ侵攻など暗い話題に囲まれている。沖縄を見ても、せっかく達成した観光客一千万人もコロナ禍により大幅ダウン、多くの企業も苦しい状況にあり、基地問題に関しても中央との食い違いは続く。個人所得の伸びも鈍く、貧困問題も大きな話題である。

 復帰五十年、その評価については、立場の違いにより大きく意見の分かれるところではあるが、空港、港湾、道路、ダム、各種大型施設など生活に直結するインフラ面は見違えるほどの発展をとげている。

 しかし私は最大の変貌は、情報通信分野だと思っている。沖縄は東西千キロ、南北四百キロに広がる海域に点在する島嶼県であり、遠隔地ゆえのコストがかかり、対応策なければ無人島になる可能性を含む。尖閣諸島がその一例である。多くの離島に、最新の情報を的確に送れるようになったのも、総務省沖縄総合通信事務所(発足当初沖縄郵政管理事務所)を始めとする関係当局の、格段の尽力によるものであり心より感謝をしたい。

 私も平成二年より九年間、沖縄情報通信懇談会の会長を務め、その主旨である沖縄の地域特性に即した高度情報社会を造るための活動に参加し、教えられることも多かった。

 知事就任後、関係当局のご指導を得ながら情報通信関連企業の積極的誘致に力を入れ、沖縄の自立的発展を目指す「沖縄国際情報特区構想」の推進に関与でき、平成十九年度、「情報通信月間」総務大臣表彰を、片山虎之助総務大臣より受ける光栄に浴したのも思い出深い。

 その後も関係各位の弛まぬ努力により沖縄情報通信関連産業は伸び続け、観光業に続く沖縄第二の産業に位置づけられたのは喜ばしい事である。

 多くの関係者の血のにじむような努力あってこそであり、こころより感謝したい

経歴

昭和32年4月
いすゞ自動車株式会社 入社
昭和48年9月
琉球石油株式会社 入社(現:株式会社りゅうせき)
昭和54年7月
沖縄県冷蔵倉庫協会 会長
昭和61年6月
株式会社りゅうせき 代表取締役社長
昭和63年5月
財団法人地域産業技術振興協会 理事長
平成元年4月
沖縄経済同友会 代表幹事
平成2年4月
沖縄情報通信懇談会 会長
平成3年2月
沖縄県経営者協会 会長
平成3年5月
沖縄セルラー電話株式会社 代表取締役社長
平成3年7月
青年海外協力隊進路相談カウンセラー
平成5年6月
日本トランスオーシャン航空株式会社 取締役会長
平成5年6月
株式会社りゅうせき 代表取締役会長
平成6年3月
沖縄県青年海外協力隊を支援する会 会長
平成8年9月
沖縄米軍基地所在地市町村に関する懇談会 島田懇 副座長
平成8年11月
沖縄懇話会 代表幹事
平成9年2月
沖縄県経営者協会 特別顧問 現在に至る
平成10年3月
沖縄貿易情報センター 会長
平成10年12月
沖縄県知事(1期目)
平成14年12月
沖縄県知事(2期目)
平成16年7月
全国知事会 副会長
平成18年12月
株式会社りゅうせき 参与 現在に至る
平成27年4月
慶應連合三田会 副会長 現在に至る

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